2012年4月4日水曜日

黒龍の唾20120403

黒龍の唾(前編)           
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○ ナレーション 
 「ギリシア、黄金に満ちたミケーネ文明
 は、北部民族のドーリア人と呼ばれるギリ
 シア人の大南下によって突如滅ぼされる。
 その後400年にわたって文字のない暗黒時代
 が続き、紀元前750年、民族と英雄の歴史は
 イリアスとオデッセウスの英雄物語として
 再生する。ゲルマン民族の大移動の後には
 ニーベルンゲンの物語、古事記にはヤマト
 タケル、神武天皇の英雄物語がある。

○ 都会の化粧品会社のビル。地下の画廊。
画廊の隅に置いてある椅子に腰掛けているワンピースの加藤久美子(24)が音楽にあわせて動くモチーフを眺めている。
久美子「こんなリズムの無い環境音楽を一日
 中聴いてたら眠くなるよねー」
三十歳ぐらいの女性・叶が肩をたたいて
女「もういいわよ。飛行機なんでしょ。こん
 な梅雨時に大変ね」
久美子「叶さんはいつやられたんですか?」
女「桜の頃、飯倉の大名組屋敷跡の発掘よ。
 加藤さんはどこ?」
久美子「西日本市です」
忙しく受付からバックを取り出す久美子。
久美子「しかも、上司が実習指導官なんです」
女「へーめずらしい」
久美子のモノローグ(以下M)「市立歴史博
 物館なのにいつもいなくて一年経っても二、
 三回しか見かけた事がないし」

○ 飛行機の中
久美子がコピーされたファイルを読んで
る。全く興味が無く寝てしまう。
○ 手元のファイルのアップインサート
大和言葉の語幹(上代古語の分析、追跡)

○ 西日本空港 到着ロビー出口前路上
ターミナル出口にレンタカーを停めてドアを開け立っている男・主藤如月(37)。ワンピースの久美子がサンダルで大股で出てくる。主藤を見つけるとバッグで前を隠すように小走りに駆け寄ってくる。
久美子「よろしくお願いいたします」

○ 環境音楽のCDが鳴る自動車内(夕暮れ)
車が全く走っていない高速道路。街灯もなくまるでタイムマシンのトンネルの様。
久美子のM「これからどこへ行くのかしら?」
主藤「机のファイル読んでくれましたか?」
久美子「ハイ」
久美子のM「うーん、寝ちゃって読んでねー。
 きっとどこに行くかも書いてあったのよね」
高速をようやく下りて川沿いに進める。

○ 川沿いの道、旅館がすぐ横
車を降り夕映えの川中の島の公園を眺め
主藤「鵜飼が8時からなので、あと15分で
 汗を流して着替えて降りてきてください」
久美子「鵜飼?ですか?」
主藤「ええ」
久美子「着替えなきゃだめですか?特にジャ
 ージなんか用意するように言われてなかっ
 たんでデニムしか持ってきてないんですが」
主藤「いえ、どちらでもいいですが。ただそ
 のドレスでは窮屈かと思って」
久美子「すみません。今日はギャラリーの監
 視バイト終わってそのまま来ちゃったので」 
  携帯が鳴って、でる主藤。

○ 露天風呂つきの部屋
久美子がジーンズで風呂から出ると部屋中に浴衣を広げている旅館の制服の老婆。
老婆「お時間が無いのでお持ちするようにと 
 仰せつかりまして。どちらになさいます?」
久美子「じゃあ、その鳥の子色の、流水紋に
 萩の柄のと、薄い桃色の紗織りの博多帯を」
老婆「お詳しいですね」
久美子「ええ…」
久美子のM「そうよこんなとこで温泉つかっ
 てる場合じゃないのよ、早くこのフィール
 ド実習片付けて単位とらないと。鵜飼船に
 浴衣で乗れって、真っ暗な中で何をさせら
 れるのかしら」

○ 温泉旅館ロビー
主藤が着替えず携帯で話している。久美子が隣のエレベーターから降りて観光協会の団扇で前を隠すように小走りでくる。
久美子のM「こんなんで何の調査をするの?」
主藤は携帯がようやく終わる。
×   ×   ×
主藤が浴衣に着替えてくると久美子が売店で緋(あけ)色の櫛を買って、上げた黒髪に櫛を差し夜会巻にして留めたとこ。
久美子のM「いいわよ。何すればいいの?」

○ 4人用の鵜飼の船(同夜)
主藤と久美子の貸切。周りは暗くなって鵜飼の篝(かがり)火に向かって船頭が船を進めていく。一人の乗合船の観光客が鵜が捕った鮎を受け取ろうと中腰になって片脚を船の外に掛け手を伸ばす。
主藤「さあ」
主藤も腰を上げ、中腰になって袖をまくる。頭を抱える久美子。ため息をついて、久美子も中腰になって袖と裾をまくって片足を船の外に出そうとする。
久美子のM「さあ、どうぞ。その鮎をつかめ
 ってか?いいわよ。覚悟はできたわ。こん
 なのがフィールド実習なの?」
主藤「おつかれさま、どうぞ」
久美子「はあ?」
主藤はビールを持っていて酌をしようとするだけ。赤面する久美子。

○ タイトル『ドーリア人の侵入』
『レポート1:黒龍の唾(つば)』

○ 鵜飼の船(鵜飼から遠ざかり)
主藤、久美子「乾杯」
老婆が乗り込み鮎を焼く炭の香り。
主藤「いきなりこんなとこで鮎のつかみ取り
 はないですよ。鵜飼は見物しかできません」
久美子も鮎の背中にかぶりつき川の香り。
団扇で大きく扇ぎながら光を眺めてると、
久美子のM「ちょっとごめんなさい。なんだ
 かはっきりしないのよ。だって、銀座から
 車も街灯もない真っ暗なタイムトンネルの
 ホースのような高速ををくぐり抜けると一
 気にそこが別世界の夕暮れの亀山公園。露
 天風呂と貸切の鵜飼の船だったのよ」
久美子が音も無くビールを半分一気に飲み干し、うまいこと袖を持ってビールを主藤にだけついで、ビンを置く。
主藤「冷酒でいいですか」
久美子は恥ずかしそうにうなづく。
久美子「いつからフィール実習なんですか?」
主藤「それは明日からで、これはいわゆる学
 会の余禄ってやつです」」
主藤は汗がにじむので襟をあけてしまうが、久美子は表情を変えず主藤も見ずに主藤を団扇でゆっくり扇ぎだした。
主藤M「それじゃあ自分に風がいかんでしょ」
恥ずかしくなって襟を合わせる主藤。
久美子のM「副館長いいとこあるじゃない。
 貸切の船の上で焼きたての鮎よ。これには
 他のどんな何とかクルーズも及ばないわね」

○ 温泉旅館部屋
ゆかたの主藤と久美子。
久美子「主藤さん、お電話なさってて入れな
 かったでしょ。お風呂お先にどうぞ」

○ 温泉旅館 部屋付きの露天風呂
主藤が湯船から出る。川中の公園は真っ暗だが蛍が二群に分かれ点滅している。
久美子「ごめんなさい、いいかしら」
小声で洗面用の小さなタオルで前だけ隠して久美子が伏目です早く入ってくる。
久美子「すみません。勝手に。人魂みたいな
 光が二つ、ついたり消えたり飛んでますよ」
と、掛け湯(下湯)をしながら話す。
主藤「蛍だよ。交尾のときオスは、ああやっ
 て二群に分かれシンクロして光るそうだよ」
久美子「これが?」
  しばらく立てひざをして、タオルで前を隠し蛍を見つめている久美子。
久美子「すぐ終わるんで髪洗っていいですか」
久美子は背を向け洗い出す。後姿のみ。それを目にして主藤は湯船につかる。
久美子が髪を洗い終えて、タオルを湯船の外に置き、手だけで適当に見えないように隠して湯船にすっと入ってくる。
久美子「蛍とわかると何ともないわ、こんな
 の初めて見ました。うーん良いお湯ですね」
主藤「これからまた西日本飛行場の近くのホ
 テルに戻って、明日からフィールドワーク
 なので十分疲れをとっといてください」
久美子のM「えっ戻るの?もう十時すぎよ」

○ 真っ暗な高速を走る車
車を運転する主藤と眠りそうな久美子。
久美子のM「このまま眠って起きたら銀座の
 監視席だったりするのかしら」

○ 城山の中腹のホテルの駐車場(同深夜)
  車が別のホテルの駐車場に停まる。

○ 久美子の部屋(翌朝)
目覚めてカーテンを開ける久美子。見渡すと天満宮は霧に沈み博物館のエレベーターのみ、霧から頭を出している。

○ 主藤の部屋(同時刻)
電話音。出かける姿の主藤が電話にでる。
久美子から「霧が目の下にいっぱいですよ」
主藤「ええ、見てました。もう起きてるなら
 今すぐ出られますか」
久美子「はい」

○ 久美子の部屋の前
主藤のノックで久美子がブラウスにジーンズだけで銀縁眼鏡を掛けて出てくる。
主藤「(慌てて)じゃあ10分後にロビーで」
久美子「すみません、洗顔してすぐ行きます」

○ ホテルのある城山頂上の展望台
久美子と主藤が登りきって見下ろす。眼下は霧で覆われている。さらに霧が麓からどんどん湧きだすが、堤防のような水城に堰き止められ、その堤防の切れ目から日本海方向に溢れ出ようとしている。
久美子のM「なんなのこの景色は?一体何?」
久美子「ダムから霧が溢れ出そうとしてます」
主藤「あのダムが水城(みずき)ですよ」
久美子「ろくろくみず(663年)に白村江(は
 くすきのえ)のですか?」
主藤「よく知ってますね。663年日本が新羅に
 負けて逆襲に備えた堤防状の防御要塞です」
久美子「でも水城が切れちゃって切れ目から
 霧があふれ出しそうです」
主藤「高速道路を通すために切った場所です」
久美子「ああ、霧が動いてあふれ出ちゃう」
主藤「この山自体が大野城といって、その白
 村江の後に造られた城で、霧に守られるよ
 うに覆われてるところが政庁跡です」
久美子「霧が生き物のように流れ出てますよ」
主藤は三脚を据えてビデオを撮っている。霧は生き物のように動き水城の切れ目から流れ出ていく。まるで龍の息の様。
久美子「日本にもこんな景色があったなんて」
驚く久美子、全く表情を変えない主藤。
久美子「あのぉ、これってメジャーですか?」
主藤「さあ、有名かどうかは知りませんが、
 この水城ができてすぐ後に、この霧を歌っ
 た人がいてその時から霧はもうここにあっ
 て溜め息のように動いてたっていってます」
久美子「えー、じゃあ1400年もの間、知られて
 いるってことですか?」
主藤「はい」
久美子のM「嘘でしょ」
久美子が『大野城、霧、ため息』でググると
○ スマホ画面インサート
 『大野山 霧立ち渡る わが嘆く
 息嘯(おきそ)の風に 霧たちわたる』
 『大野山に霧がたちわたっている。私が、
 亡き妻を思って嘆く溜息のように霧がたち
 わたっている』万葉集巻五 山上憶良762年

○ (もどって)城跡展望台
陽が高くなるにつれて霧が晴れ展望台のテーブルにはねずみ色の風呂敷がほどいてあって茶碗にヒツマブシがのっている。
主藤「夕べの宿でつめてもらったんですが」
風呂敷をテーブルクロスの様に広げる。
久美子のM「舛花(ますはな)色じゃない」
   ×   ×   ×
食べ終わって見下ろす久美子と主藤。
主藤「さあ、では、宿を引き払って実習です」

○ 弥生館横の公園(同日 9時)
主藤と久美子。住宅街の古い保育園のような建物(弥生館)。集落模型のある横の直径100メートル程の円形の公園に入る。
主藤「ここは日本で初めて縄文の土器と弥生
 の土器が同じ地層から見つかった場所です」
久美子のM「何をいきなり言ってるの?」
主藤「縄文時代に既に稲作が行われていたこ
 とを示していることでも有名な遺跡です」
久美子のM「はあ?稲作?」
主藤「半島からの渡来人たちが定住しその後
 先住民の縄文人を従え混血が生じ、言葉も
 半島の言葉と縄文の言葉が混じって、最初
 に日本人と日本語が誕生したのはきっとこ
 の付近一帯に違いないでしょう」
久美子のM「混血って、日本人ってずっと日
 本に住んでたんじゃないの?大体稲作って
 縄文時代にはなかったの?」
主藤「その上陸から約200年ほどの間で人口は
 爆発的に増加し、あぶれた人々は東へ東へ
 と向かっていきました。日本中に広がって
 いったんです。その痕跡を探して侵入の道
 筋を明らかにするのがこの実習の目的です」
久美子のM「こんなおんぼろ資料が日本の始
 まりでいいの?どうしてもここからでは東
 へ向かい日本を覆いつくす民族移動の鳥瞰
 図上の矢印は頭の中に浮かびません」
久美子「レポートの書き出しもここですか?」
主藤「そうです」
久美子のM「どうするのこれから?夕べも寝
 ちゃって題名しか覚えてないんですけど」
○ ファイルのアップインサート
 『大和言葉の語幹・上代古語の分析、追跡』

○ カルスト地形の中を走り抜ける車
久美子と主藤、車の中。
久美子「九州にも秋吉台みたいなところがあ
 るのね、あら通り過ぎちゃって」
どんどん山に入っていく。
久美子「もーどこまで行くのよ?」
こっそりファイルを覗く久美子。
○ ファイルインサート
 『6月22日宿泊 S市 S楼』 
今夜の宿に目がいく。フグで有名な街。
久美子「夕べの調子なら今夜はフグよねっ!」

○ 田んぼの脇の道路の路側帯
車が三方が山に囲まれた農村に停まる。
主藤「渡来人の侵入でおそらく、縄文人の男
 性は殺されて女性は食事や採集の担い手と
 して奴隷となり混血が進んだでしょう。混
 血してできた新しい単語の語幹はヤマトコ
 トバとして日本中を覆い尽くして、混血児
 である日本人の大移動の経路として今でも
 地名などに残っています。その痕跡をたど
 っていくんです」
久美子のM「何千年も残ってる訳無いじゃん」
主藤「もちろん途絶もあるわけですが…」
  察したように言い地図を広げ指差す主藤。
○ 地図インサート
地図上ほとんど矢印が書き込まれているが、現在地のみ矢印が空白になっている。
主藤「このように連続性の途絶している点を
 終末点といってこれが生じる大きな理由は
 ①河川山脈海峡などの地理的条件
 ②民族移動の停止(疫病、対抗する文明)
 ③時代経年による消失、等があります」
ファイルを閉じる主藤。
主藤「今ここにいる場所がまさに終末点と疑
 われるわけですが今回の調査の目的はこの
 終末点の語幹の有無を確認することです」
久美子「確認できなかったら?」
主藤「このひとつ手前が終末点だったという
 だけのことです」
久美子のM「超地味。どうでもいいじゃん」
久美子「どうしてここは残ってるんですか」
主藤「さあ?なぜかここはまだなんですが非
 常に狭いので実習には最適だと思います」

○ 田んぼの横のアスファルトの照り返し
久美子と主藤が照り返しの中降り立つ。
主藤「これだけ三方を山に囲まれていたら物
 理的な停止には間違いないでしょう」
真新しい家々。道路の横にはコンクリートの水路。離れてついていく久美子。
久美子のM「こんなとこに痕跡が見つかるの?
 私にはこの実習の内容が全く見えません」
主藤「さっきの矢印はアキという言葉の追跡
 なんです。だから、この集落のどこかにあ
 るアキが終末点であると考えられるんです
 が、アキの語幹が見つからないんです。荒
 山(アラヤマ)神社ならあるんですが」
久美子「あきやまがあらやまに訛ったんじゃ
 ないんですか?」
主藤「まず、耕地の名を聞く事から始めます」
主藤が農地で働く老人の元に歩み寄って、
主藤「教育長さんから紹介されてきました」
忙しい中一瞬手を休めにこやかに応じる老人A。話はものの数分で済んでしまう。
主藤「農地に“アキ”は見つかりませんね」
  歩いて次の家を目指す二人。
久美子「これがフィールドワーク?」
別の玄関先で老婆Aと話すが同じ。これで終わりかと思った時主藤がたずねた。
主藤「この明治時代の地図にある神社の持ち
 主のお宅はどちらでしょう」
  老婆Aが横の林を指しながら
老婆A「戦争後までわたしの先輩とお祖父さ
 んが家と一緒に神社も守っていましたが」
主藤「史蔵さんですね。祖父のお名前は具和
 さんですか?」
老婆A「さあ?どうだったでしょうか。先輩
 も戦争後病死されて家は死に絶え、今は雑
 木林です。確かボッコクロだったんですよ」
久美子と主藤。次の家に向い歩きながら、
久美子「ボッコクレって?」
主藤「伝染病でしょう」
久美子「伝染病ってベンハーにでてくる?」

○ 神社の鳥居の横の家。(1950年夏夕暮れ)
由利具和(89)衰弱して床に伏せている
が眼光は確か。枕元に手をつけていない茶碗。人が出て行った気配。入れ替わりに食事を持ってきた同じ集落の娘・愛祢(29)が暗い玄関から勝手に入っていく。
愛祢「おるとー」
愛祢は手をつけてない茶碗を見るが、なにも言わず新しい食事と取り替え、急須からお茶を入れ仏壇にも供える。
具和「愛祢、ありがとう。だが、もうここに
 は来ちゃいかん」
愛祢「…」
具和「いいか、史蔵を待っていても無駄だ」
愛祢「えっ?」
具和「史蔵は戦争じゃなくて、伝染病で死ん
 でいる。私が50年前の清との戦争で北京か
 ら持ち帰ってあれの両親も兄姉も死んでい
 る。史蔵だけには移らんようにしてたつも
 りだったが。由利の家はこの私で終わりだ」
愛祢「じいちゃん」
具和「史蔵のことは忘れてお前は嫁に行け。
 おまえの器量なら良縁も望みのままだろう」
愛祢の髪に触れ、祝詞をあげ始める具和。

具和「(提出後このときほんとは具和が櫛を愛祢掘り出したのを知っていて、櫛がもしかしたら史蔵の災いをとくかもと思う★★★★★★)
具和「アラヤマの…」
愛祢「この祝詞、覚えるなって言っていた…」

○ この村の愛祢の家(同夜)
黙々と機織をしている愛祢。隣室に父母。
母親「いつまで機織続けるつもりなの?」
愛祢「(聞こえない小声で)アラヤマの…」
母親「史蔵さん、亡くなってたそうじゃない」

○ 神社の祠(ほこら)の中(夏祭りの夜)
史蔵(5)と浴衣の愛祢(5)。御神体に近づく二人。神棚が崩れご神体の動物の頭蓋骨が落ちる。牙で傷つく史蔵の腿。子供の泣き声にかけつける具和。

○ 神社の祠(祭りの数日後)
社の横を流れる大きなヤマメのいる川では傷が癒えた史蔵(5)と愛祢(5)が遊ぶ。史蔵の腿に傷が生々しい。祝詞を上げると虎の頭蓋骨を叩き割る具和。川から上がって見にきている子供二人。
具和「川で遊んでなさい。史蔵、この祝詞は
 覚えてはならんのだ」
   ×   ×   ×
社の裏に虎の骨と一緒に櫛を埋める具和。
具和「この神社はもう終わりでよかろ」
  いつの間にかのぞいて見ている子供二人。
 
○ 温泉場・引き揚げ支援施設(機織の翌朝)
引き揚げ支援会のタスキを掛け髪を上げて櫛を押し込むと前かがみで引揚者の足を洗い始める愛祢(29)。周りが華やぐ。
愛祢「ご苦労だったでしょう」
うつむいたまま足を洗う愛祢の髪をまとめた櫛と髪形に気づいて小声で言う男。
史蔵「離れろ、俺の病気はうつるんだ」
愛祢「はい?」
足を引っ込める帽子の男に尋ねる。
愛祢「もしや由利史蔵さんという人をご存じ
 ないですか?昨年まで北京にたんですが」
愛祢も足の傷に気づく
愛祢「史蔵さん?」
男(史蔵)は裸足で逃げる。追う愛祢。人に紛れて諦める愛祢。物陰から史蔵が、
史蔵「おれは伝染病で死んだんだ。愛祢はい
 い男を見つけて結婚するんだ」
不意に白衣の男二人に後ろから肩をたたかれ声を掛けられ驚いて振り向く史蔵。

○ 神社(同年(60年前 1950年) 大晦日)
村人たちと愛祢(29)と愛祢の父。雪が舞う中、潰され廃材となり大晦日のお札と一緒に燃え上がる神社が養魚池に映る。

○ 郊外の療養所(翌日 正月元旦)
個室に入れられ鍵を掛けられ、ひとり、史蔵が正月の雑煮の病院食を食べている。

○ 集落の家(三件目)(現在)
別の玄関先で、老婆Bと主藤と久美子。
主藤「神社のお祖父さんも伝染病でしたか?」
老婆B「もう何十年も前のことですよ」
と、声を荒げる
主藤「いえ一家全員が伝染病だったのかと?」
老婆B「こんな風に山に囲まれてるからって、
 由利さんとこ以来60年間、誰もボッコレて
 ないんだから、もう誰にもうつらないわよ」
蚊が顔の前に来て追い払おうとするが逃
げないので体ごとよける久美子。
老婆B「大丈夫よ、蚊からなんてうつらない
 わよ。由利さんちだってきれいに焼き払っ
 たんですから。あんたたちも前にもそうや
 って聞くだけ聞いて逃げ帰ったでしょうに」
引込んでいく老婆B。なぜか藪蚊が二人に集ってきて気味が悪い。
主藤「こう取り付くしまが無くては皆、引き
 上げるよ。空白で残ってる訳だ。川の右側
 の集落は5軒だからあと2軒大丈夫ですか」
久美子「はい」
すずしい顔で上腕と首筋の蚊をたたいて殺す久美子。目を丸くしている主藤に、
久美子「蚊なんかからじゃ移らないんでしょ」
主藤「君は伝染病が怖くはないんですか?」
久美子「今でも移るんですか?」
主藤「何十年も前の物が移るはずありません」
久美子のM「なら早く行こうよ」
主藤のM「ふーん」
久美子「どうして神社の事を聞いたんですか」
主藤「神社や山ノ神はその地勢を束ねる場所
 にあり、谷頭水源であったり昔からの遺跡
 の上にあったりする事が多いんです。そし
 てその神社を守る家は集落でも最も古い家
 で、文化風習を伝えている事があるんです」
久美子「じゃあ、残念でしたね途絶えちゃて
 るなんて。でもどうして具和さんのことま
 で知っていたんですか?」
主藤「来る前に戸籍で調べてたんです」
集落の谷の一番上流からあたって無駄骨で、5軒目の家まで降りてくる。谷川のコンクリートで整備された養魚場に魚の群れが集ってる。主藤たちの足音に驚いて飛び込んだ蛙を食べようと群がる大ヤマメ。久美子が驚いて飛び石から靴を踏み外し水の中に踝まで浸かってしまう。
久美子のM「何これピラニアじゃないの?」
主藤「人影で餌やりと思って集ったんでしょ」
久美子「なんでこんなに大きくて貪欲なんで
 すか?気味悪いですね」
主藤「受精時に温度などのストレスを加える
 と三倍体といって大きくなるんだそうで、
 ここのはなぜか戦前からあるんだそうです」

○ 神社の鳥居の横の家(1950年 夏夕暮れ)
愛祢(29)と衰弱して寝てる具和(89)。
具和「アラヤマの…」
愛祢「この祝詞…私が伝えろって事なの?」
具和「愛祢、史蔵のことは忘れて、嫁に行け。
 それからヤマメのこと聞かれたなら受精12
 分後だ…そしてその後24分間24度だ」
愛祢「?」
具和「お前たちが掘り出していた櫛は呪いをとくかもしれない。が、どうかわからん★★★★★★提出後」
○ この村の愛祢の家(同夜)
黙々と機織をしている愛祢。隣室に父母。
母親「史蔵さん亡くなってたそうじゃない?」
父親「じいさんも、もうもたんだろう。あの
 大ヤマメはどうするのか誰にも何とも言わ
 ん。愛祢、ヤマメのこと何か聞いてるか?」

○(もどって)田んぼの横の照り返し 
久美子のM「三倍も大きくなるの?ほんとに
 食べられるかと思ったわよ」
濡れた靴が音を立て、うんざりの久美子。
主藤「もう少しです、あのお家で最後です」
久美子のM「ちっ、顔に出ちゃったかしら」
谷川を挟み右上が谷頭集落、左下が別の集落。主藤が左下の一軒は通り過ぎ、最後の右上の一軒に向かっていく。川を隔てた左下の家の門に久美子が目を留める。
久美子「このうちは古いわよ」
通り過ぎようとする主藤を呼ぶ久美子。
久美子「ピンポンしなさいよ」
通り過ぎ右上の家で話し始める主藤。
久美子「お話聞いといたほうがいいですよ」
元気の無い久美子の声。聞こえない主藤。
久美子「もーしょうがない」
魚の群れる谷川のを怖がりながら渡る。

○ 雨戸の締め切られた家の門の前
久美子がピンポンするが人の気配が無い。
久美子「すみません」
久美子の声に主藤が一瞬振り返る。
主藤のM「その集落には話が通ってないよ」
久美子「ごめんください」
隣の家の生垣の隙間から畑仕事の格好の婦人が現れる。猛暑の照り返しの中。
婦人「どちらさま?」
久美子のM「大体わたしの論文は近代ヨーロ
 ッパの新古典主義絵画なのにどーしてこん
 なとこで川にはまってなきゃいけないのよ」
婦人「この家は途絶えたんだけれど、その途
 絶えた当主の妹さんが、お家が途絶えると
 きに神社も実家もなくなって帰るとこがな
 いって悲しんでたわ」
久美子「はあ、その妹さんは今どちらに?」
久美子のM「銀座の画廊の人なんか飯倉の発
 掘で終わりにしたっていうじゃないのよ。
 大体どうして近代ヨーロッパの教授が弥生
 文化の市立博物館や実習を紹介するのよ?」
婦人「街に嫁いだんだけど今は特養にいるそ
 うよ。会っても認知症で何も聞けないわよ」
久美子「そちらの連絡先よろしいですか?」
婦人「街で鹿納さんといえば誰でもご存知よ」
久美子「どうもありがとうございました…」
バテバテで、朦朧とした久美子。
久美子「門に飾ってある黒と金色の櫛を頂だ
 いしていいでしょうか?代わりにこれ」
ポケットから夕べの緋色の櫛を差し出す。
婦人「新しい櫛は魔よけにはならないのよ」
  櫛をポケットにしまう久美子。
婦人「この櫛、前からあったかしら?特養に
 行くのならもってってあげて。でも判らな
 いわね。去年のお祭りの時なんか一人でこ
 こまで徘徊してきちゃって大騒ぎだったわ」

○ 特養(昨年夏)
痴呆の進んでいる愛祢。療法士が白い布に包まれた金色と黒の櫛が食べかけの菓子の袋に入っているのを見つけて、
作業療法士「今日は持ち物に名前を書こうね」
一瞬、目に輝きが戻る『鹿納愛祢』の名前を鏡や櫛に彫っている愛祢。

○ 愛祢の実家の門の前(昨年夏)
祭囃子が遠くで聞こえる中、閉じられている門に石ころで櫛を打ち付ける愛祢。櫛に鹿納愛祢の名前。打ちつけ終わると同時に隣の婦人と街の鹿納の嫁が現れる。
隣の婦人「タカちゃん、こっちよ」
嫁(タカ)「こんなとこまで一人で来て。で
 もこんなしっかりした顔つきは久しぶりよ」
愛祢のM「これが最後の正気かもしれない」
迎えの特養の車に乗る涙目の愛祢。

○ 愛祢の実家の門の前(昨年夏)
養魚場の餌やりに来た史蔵(88)が打ちつけられた櫛に見入って安心した様子。
史蔵「鹿納の家にい(嫁)ったのか」

○ 神社の横の家(85年前 夏)
史蔵(5)と浴衣に稚児髷の愛祢(5)。
夏祭り。裃の具和(65)、妻・杏姫(56)。
いつまでも稚児髷で史蔵と遊んでるのをみて杏姫が愛祢を呼んで髪をすき直す。
杏姫「あいねちゃんはきっと美人になる。ほ
 らこうするともっときれいよ」
竹串で髪を止める。声にならない史蔵。

○ 神社の祠(ほこら)の中(同日)
史蔵(5)と浴衣で夜会巻の愛祢。夏祭りで開放してある祠の神棚の櫛を見つけ、
史蔵「よーし、待ってろ愛祢」
黒金の櫛を取ろうとして神棚から落ちてくる骸骨の牙で傷つく史蔵の腿。物音と愛祢の泣き声に駆けつける具和。
具和「30年以上もたっとるのにやはりこれに
 関わっちゃなんないのか」

○ 天津(清国)の港湾施設ビル屋上
(日清戦争開戦前夜117年前1894年3月早春)
開戦準備で船の数を探っている平服の具和(33)。不意に至近距離から足を撃たれ落下し、頭を打って気絶。

○ 北京の隔離病棟(数日後)
ベッドの上で奇声に目覚める具和(33)。頭と足に包帯。大部屋の奥にドアの無い小部屋があって異様な臭い。奇声が聞こえる。隣のベッドに白人の男とベッドの間に立っている看護婦・杏姫(24)。
杏姫「ご気分は?頭が痛くはないですか?」
隣のベッドの白人男「ここの御主様(おぬし
 さん)の斎黒主(さいくろす)さまの声さ」
具和「ここは?」
隣の男「お前はこの伝染病の疑いらしいが、
 ここは監獄よりも脱出困難な隔離病棟だ」

○ 隔離病棟小部屋の前(日替わり)
頭の包帯が取れた具和が真っ暗な小部屋に踏み入ると奇声。隣の男と杏姫が来る。
杏姫「誰か御主さんを解放してあげて」
隣の男「御主さんは清朝皇帝の離宮、円明園
 から俺達が持ち出した宝を守るよういいつ
 かったまま、病状が悪化して、耳も、残り
 の片目もだめになっちまった。最後に残っ
 たのは口の感覚だけで、誰の命令も聞けな
 くなって30年近くああやって口に櫛をくわ
 え壁に当てて、口の振動で誰かが近づくと
 大声を上げて宝を守ってるのさ」
杏姫「守るものが無くなれば御主さんは自
 由になれるし宝も清に戻す事ができるわ」
隣の男「一日一回、夕食の一分間だけ口から
 櫛をはずすが、うっかり近づけば膿だらけ
 の体で噛み付いてくる」
史蔵が隣の男の腕の噛み傷に気づく。
隣の男「この病気は感染しにくいって医者は
 言いやがるが…」

○ 北京の隔離病棟(数日後夕方)
大騒ぎの病棟。兵隊が探し憲兵が怒鳴る。
兵隊A「院内のどこにもいません」
憲兵「足を撃たれてるんだ。遠くには行けん」
憲兵が医者に詰め寄る。
憲兵「やつは伝染病なだけじゃなくて日本の
 間諜なんだぞ」
医者「ここは隔離病棟なので下手な監獄や、
 軍病院よりも抜け出すのは難しいんです」
憲兵「いいから、見つけ出せ。わざわざ天津
 から運んできた甲斐がないじゃないか」
御主様の横に立ってじっとしている具和。

○ 北京の隔離病棟(翌日)
食事になって櫛を口からはずす御主。わずか数十㎝横に立っている史蔵が、堂々と斎黒主の尻の下にある箱の中から、黒い石を持ち出し部屋から這い出る。
杏姫「お願い、櫛も奪ってあげて」
史蔵「?」
杏姫「櫛が残っている限り、斎黒主さんは永
 遠に開放されないわ」
引き返して櫛を取って出てくる具和。
杏姫の手引きで病棟を抜け出ていく。
看護婦「一日中立ちっぱなしで足は大丈夫?」
史蔵「大丈夫。それより便所に行かせてくれ」
杏姫「もう今日は院内の捜索してないので、
 慌てなくてもいいわ。さあこっちよ」
  人目を気にして看護帽を脱ぎ窓から階段室へ降りる杏姫。後を付いていく具和。
具和「花月巻きじゃないか。看護婦さん、あ
 んた日本人なのか?」

○ 北京の日本公使館(同夜)
コートを羽織った具和と杏姫。暗闇に紛れ勝手知ったる塀の隙間を通り抜ける。

○ 神社の祠(ほこら) (日替わり陽春)
帰国した具和が黒い石と歯形がついた櫛をご神体の頭蓋骨の顎の下に置く。物音に気づいて出て行く具和。村長が来る。
村長「大本営からお呼びとは村の誉れだ」
具和「足が治るまで呉の海軍病院に行って養
 生するだけですよ」
村長「この桜んごた武運長久。そいちゃり戦
 が終わったらぜひぜひ鹿納の家に寄ってな」

○ 神社の祠(ほこら)の中(35年後の夏祭)
開放してある祠。頭蓋骨の下には金色と黒に塗り直された櫛のみ。黒い石はない。

○ 神社の横の家(同夜)
史蔵(5)と浴衣に稚児髷の愛祢(5)。
夏祭り。裃の具和(65)。妻・杏姫(56)。
杏姫が愛祢を呼んで髪をすき直す。
杏姫「あいねちゃんはきっと美人になる。ほ
 ら。これおばあちゃんが東京で考えたのよ」
竹串で髪を止める。見とれる史蔵。

○ 神社の祠(ほこら)の中(同日)
史蔵(5)と夜会巻きの愛祢(5)。夏祭りで開放してある祠。御神体の頭蓋骨の下に塗り直された黒金の櫛があるのに気付き取ろうとして牙で傷つく史蔵の腿。愛祢の泣き声に駆けつける具和(65)。
具和「30年以上もたっとるのにやはりこれに
 関わっちゃなんないのか」

○ 神社の祠(その数日後)
境内の横の川で遊ぶ二人。史蔵の腿に傷。祝詞を上げると虎の頭蓋骨を叩き割る具和。川から上がって見に来る子供二人。
具和「史蔵、この祝詞は聞いてはならんのだ」
社の裏に虎の骨と一緒に櫛を埋める具和。いつの間にかこっそり見ている二人。
具和「この神社はもう終わりでよかろう。龍
 の唾に触れた私には何もおこらないのに、
 私の触るものは皆消えていってしまうのか」

○(具和の回想)32年前・北京の隔離病棟
  具和(33)と隣のベッドの白人男。
隣の男「龍の唾は人を溶かすそうだが、あの
 石ころは北京の守り、別名黒龍の唾って呼
 ばれ、触れる者の姿を消すのだそうだ」
具和「大丈夫、ちゃんと見えてますよ」
  隣の男が腕の傷を見せながら。
隣の男「一生隔離病棟から抜け出せないんじ
 ゃ、世の中から見えてないのと同じさ」

○ 集落の家(最後の一軒)玄関先(現在)
  玄関先で老人Bと主藤。久美子が来る。
老人B「夕べも市長まで電話させやがったっ
 て誰も神社の焼け跡には行きたくないよ」
主藤「お手数かけまして、すみませんでした」
頭を下げる。久美子に車の鍵を渡して、
主藤「最後のお宅もだめでした。私は川左の
 集落を回りますので車に戻っててください」
久美子「これで終末点じゃないんですか?」 
主藤「今ここで終わりにしたら悪い意味で私
 達が作った終末点だ。谷頭水源に焼き払わ
 れた神社。ここに何もないはずがないです」
久美子のM「しょーがねー」
ふらふらの久美子が主藤の肘を引いてく。
主藤「どうしたんですか。そっちの集落も全
 く根回しできてないんですよ」
久美子「ボケて特養に入ってるけど神社と関
 りのある人をこちらがご存知だそうです」

○ 雨戸の締め切られた家の門の前
主藤「どうしてこのお宅に聞きにいったんで
 すか?川下の別の集落なのに」
久美子「この表札の下にある櫛の金は金色じ
 ゃなくて、花葉(はなば)色といって幕末
 から明治に流行ったの。この集落の人たち
 はどこも古いんでしょうけど、この家は確
 実に幕末ごろから続いているんですよ」
主藤「何ですかその『はなば』色って?」
久美子「山吹色より少し黄色がかった色です」
主藤「金色にしか見えませんよ」
久美子「私は少しだけ色に詳しいんです」
主藤「あなたの専門はヨーロッパ絵画でしょ」
久美子「そうです。私のテーマはヨーロッパ
 新古典主義の色材の分類と時代区分です」
主藤「でも、これは、日本の色でしょう」
  久美子が息をついて
久美子「そうまでおっしゃるのなら、判りま
 した。あなたの家もしくはあなたは、歌舞
 伎のファンか、宗家とお知り合いや御ひい
 き筋なんじゃあないですか」
主藤「どうしてわかるんですか?」
久美子「宗家の色は柿色が有名ですが、舛花
 (ますはな)色も五代目が好んだ色として
 有名で、それをあんな大きな風呂敷で持ち
 歩く人は今時いませんよ。あの色は普通に
 売ってる色じゃないんです」
言葉の無い主藤。
久美子「日本の色はもちろんですが、それま
 での歴代の色を総攬してないと次の時代の
 色の同定、識別はできないんですよ」
主藤M「世界の色を全部覚えてるってこと?」
×   ×   ×
櫛をはがしている主藤と久美子。
主藤「この櫛は黒地なので他のどんな黄色が
 あっても同じ金色にしか見えませんよ」
久美子「それは明度対比といって対比効果の
 一種です。私には色の対比を抜きに個別に
 色を見る習慣があるようなんです」
主藤「絶対音感じゃなくて絶対色覚ですか?」
久美子「そんな言葉はありませんし、そんな
 能力を持ってる人はいないでしょう」
主藤「なんとか心理学のファイ現象なんか実
 際そこにない色さえも認識させることがで
 きると豪語してるのに、あなたはそんなこ
 とお構いなしってことですか」
久美子「なんですかファイ現象って?」
主藤「ドイツの心理学者のマックスヴェルト
 ハイマーがハンカチに刺繍されたイニシャ
 ル(MW)の重ね文字の形を見て、いつも
 菱形が3個あるようにしか見えないことか
 ら発想を得たといわれる、眼の錯覚のこと
 です。ちょっと目を閉じててください」
主藤はアスファルトに『MW』と、丁寧に手掌で長さを測った『T』の字を書く。
主藤「この縦と横の線はどちらが長いですか」
久美子「縦でしょう」
主藤「同じに書いたんですよ」
主藤「色にも同じような錯覚があるはずなの
 にあなたはそんなことお構いなしですか?」 
久美子「だから違うんです。私は色相や明度、
 彩度の対比や、同化、錯覚はもちろん、配色による情感だって感じます。ただ、その時
 に個々の色そのものの認識をしてから、色
 の組み合わせをする習慣がある様なんです」
主藤「要するにぼんやりこんな組み合わせと
 いうより、何色と、何色の組み合わせでこ
 んな感じというように思ってる訳ですか」
久美子「でも私は、その色を見分けることな
 んかよりも、その由来、いつどのような人
 たちによって誕生して使われたかなどを知
 りたいし、忘れ去られた昔の好まれた色や
 配色、その成立の習慣や背景を、探ってみ
 たいだけなんです。さあ、行きましょ。今
 更行くとこが一軒増えたっていいでしょう」
主藤「疲れているようですがいいんですか?」
久美子「はい」

○ 同じ門の前(一年前)
櫛を打ち付ける老婦人の愛祢(88)。

○ 神社(65年前大晦日)
黒と金の櫛を握り締める愛祢(29)と村人たちと愛祢の父。
父親「ボッコクレの家だ。養魚池は残しても
 神社も潰すしかないだろ。爺さんもそのつ
 もりで跡取りを探さなかったんだろう」
  潰され廃材となり大晦日のお札と一緒に燃え上がる神社が養魚池に映る。
村人「爺さん大山女の事何も言わなかったな」
愛祢「(小声)受精12分後に24度で24分って」
父親「?」
愛祢M「由利の家は滅びてなくなるけど爺ち
 ゃんの作った大ヤマメは残るよね」

○ 郊外の療養所(正月)
史蔵(29)が個室に入れられ鍵を掛けられ、正月の雑煮の病院食を食べている。

○ 村の愛祢の実家(同正月)
雪のうっすらと積もった晴れた元日の朝。機織をしている愛祢。母親が見かねて
母親「綺麗にしてお年賀のお相手手伝ったら」
愛祢「(聞こえない小声で)アラヤマの…」
母親「史蔵さんも爺さんも亡くなり由利の家
 は跡形もないのよ。もういいでしょ機織は」
  玄関先で母親が頭を下げる。
母親「元旦というのに。芸者がしているよう
 な髪を、粋がって崩さんで。とても正月に
 お目に掛れるようななりじゃございません」
鹿納「いいんですよ」
年賀で訪問着の鹿納(29)が穏やかに微笑む。機織の部屋から遠眼で見てる愛祢。
   ×   ×   ×
夜明け徹夜で機を織り上げてしまう愛祢。
  櫛を抜いて夜会巻を解くと名残惜しそうに髪をすき、織りあがった白い機で包む。

○ 愛弥の実家の川向かいのアスファルト道  
(1996年らい予防法改正後)
  神社の横の川がコンクリートの養魚場になっている。雨戸を閉め切った愛祢の実家。サングラスの史蔵(76)が、通りがかりの郵便配達に愛祢の実家を指さして
史蔵「あそこの家は?」
郵便配達の男「去年死に絶えたよ」

○ 愛弥の実家の隣の家玄関先(同日)
サングラスの史蔵(76)と老婆C
史蔵「すみません、横の家は?」
老婆C「あんた史蔵さんじゃないのかい?ボ
 ッコクレで死んだって聞いてたけれど」
顔をそむけ逃げる史蔵。声を荒げる老婆。
老婆C「おーい、ボッコクレだよー。あんた
 らのせいでこの村の名前だけで縁遠いんだ」

○ 愛祢の実家 門の櫛の前(1年前)
顔を伏せて養魚場の餌やりをしている史蔵(88)。櫛に見入って安心した様子。
史蔵「鹿納の家にい(嫁)ったのか」

○ 雨戸の締め切られた家の門の前(現在)
金黒の櫛を剥す久美子。電話を切る主藤。
主藤「じゃあ、これから街に行きますよ」
久美子のM「えーこれからー。思わずかっこ
 つけていいって言っちゃったじゃない」

○ 養魚場。雨戸の閉められた門の前(現在)
軽トラックの史蔵(89)。携帯がなる。
携帯(特養の職員)「急きょ昼の食介のボラ
 ンティアを今日からお願いしたいのですが」
史蔵「何時からでしょうか?」
職員「一時間後です。私が来客応対なので」

○ 特別養護老人ホーム(同日、昼下がり)
いろいろな老人の声の賑やかなホール。久美子、と主藤。職員が来て、
職員「鹿納さんと教育長からお話の学者さん?
 お二人だけ?(小声)食介頼んじゃったよ」
車椅子に乗った老婆・愛祢(89)を指す。
職員「あの方は言葉はおろか、誰の顔かもわ
 かりませんよ」

○ 特別養護老人ホーム受付(同時刻)
  サングラスの史蔵(89)が受付で賞状のようなものを出して話している。
事務員「初日なので介護福祉士の登録証のコ
 ピーをとらせていただきます」
 『福祉士の登録証(今年の三月の日付)』

○ 特別養護老人ホーム(現在)
愛祢他、数人の老人。食事介助をしているサングラスの老人のボランティア。久美子と主藤が話しかける。
主藤「今日は。お話聞かせてください」
久美子「こんにちは、おばあちゃん」
ぼんやり反応がない
主藤「アラヤマの神社のことご存知ですか?」
半分に閉じた目が少しあいたかのよう。
主藤「由利史蔵さんのことご存知ですか」
ボランティアの老人が食事を食べないので介助を諦めたのか立ち上がる。
主藤「アラヤマの具和さんのこと聞きたくて」
具和の名でスイッチが入ったようにテーブルをスプーンでたたきだす愛祢。
 トン、ト、トン。トン、ト、トン(音)。
あわてて主藤がビデオを構えるのと同時に愛祢が祝詞をあげるように歌いだした。
老母「アラヤマの、みかみのところ、このこ
 のうえにこのこのまでも、…シゾウさん…」
  目に光が戻りかける愛祢。
車椅子から崩れ落ち、髪を振り乱し史蔵の足をめくり上げ傷を確かめる愛祢。
史蔵「わかるのか?俺のことが。愛祢さん」
表情がなくなる愛祢、もとの痴呆に戻る。
久美子「あなたが史蔵さんですか?」
史蔵「あんたたちは何でこのもう伝わってな
 いはずの祝詞の事を知っているんですか?」
久美子「アラヤマ神社のことを知ろうと愛祢
 さんを訪ねて来ただけだったんです」
主藤「あなたは亡くなったって聞きました」
史蔵「中国から帰った翌日、二日市の救済所
 で伝染病として隔離され、以来死んだこと
 にされてしまったんですが、私は引揚た日
 に真っ先に帰って爺さんに会ったんです」

○ 神社(60年前、昭和25年)
引き揚げてきたばかりの史蔵(29)と病床の具和(89)
史蔵「じいさん。あんたがうらやましい。北
 平(北京)では宝を持って逃げ出した伝説
 が50年以上たった今でも残っている。あん
 たの名は永遠に伝説の中に残るんだ」
具和「そんな伝説の中に生きるよりこうして
 この世の養魚場で大山女を造って小作人と
 して暮らすほうが私にはよっぽど望ましい」
史蔵「奪った宝はどうしたんだ?」
具和「戦争が終わって5年間もおまえは何を
 していた。蒋介石の北平で。隔離病棟にも
 行ったのか?いいか、宝を探すな。龍の唾
 に触るものは体が溶けて見えなくなるんだ」
史蔵「じいさん、あんただってこの年まで長
 生きできてしかもちゃんと見えているよ」
具和「私が宝を自由にしたからか私は消えな
 かった。その代わりか家族が消えていった。
 自分が溶けてなくなる方がよっぽど楽だ。
 今度は帰ってきたと思ったお前もだ。これ
 が龍の唾の力なのだ。お前もあの伝染病に
 感染している。すぐに治療するんだ」
史蔵「宝は?櫛しか見たことがなかったぞ」
具和「清から持ち帰った翌年、講和条約の折、
 来日された李全権閣下にお返したが5日後、
 閣下は日本人の暴漢に顔面を銃で撃たれた。
 櫛は閣下が塗り直させ看病に呼ばれた妻へ
 の礼にと、下さったが、黒龍の唾は庭石に撒いて紛れさせてしまってそれっきり判らん。
 いいか、宝を探すな。龍の唾に触るもの探
 す者は体が見えなくなるんだ」
谷川で山女の餌やりをしている愛祢の上を足音もなく通って街へ降りていく史蔵。それとは気付かず玄関に入っていく愛祢。
愛祢「おるとー」
 
○ (もどって)特別養護老人ホーム(現在)
史蔵「じいさんは私の顔を見るなり早く手当
 てを受けろといいました。私も治るまで愛
 祢にも会わないつもりで翌日救済所に行く
 と、私を待って探している愛祢に会ってし
 まいました。この櫛を差した前よりひと際
 美しい愛祢を見て私は思わずその場を逃げ
 去りました。そしてそのまま予防法が変わ
 る1996年まで45年間出られなかったのです」
史蔵のM「宝を探したというだけで、まさに
 私の体は世間から見えなくなってたわけか」
久美子のM「何よこれ?実習と関係あんの?」
史蔵「出られた時に愛祢の実家は無く、私は
 死んだとされてました。養魚所の餌やりと
 して戻って毎日家を見ていると、去年、名
 前を彫った櫛が打ち付けてあるのに気付き
 ました。鹿納の名でここは簡単に探せまし
 たが、介護ボランティアの登録をして半年、
 今日初めて認知症の愛祢に会えたのです」
  髪を振り乱した愛祢を車椅子に戻す史蔵。
史蔵「一瞬私の名を判ってくれて、存在を認
 めてくれたのかと思ったが錯覚だったのか」
久美子が櫛を出して
久美子「髪をすいてあげてもいいですか」
職員「こちらの介護福祉士の方なら」
史蔵がすいてまとめると、老婆が自分でアップにする。櫛を渡すと巧く髪に差す。
久美子M「おばあちゃんの夜会巻き格好いい」
史蔵「花月巻きじゃないか」
  白い腕でひっくり返して押込んでとめる。
史蔵「これは花月巻きといって祖母が愛祢に
 教えていつも娘のときにしていたんです」
愛祢「アキヤマの…」
再び目が普通に戻った愛祢が祝詞を歌う。
愛祢「アキヤマの、みかみさまいる、いわい
 わの…史蔵さん。帰ってきたのね」
久美子のM「ちょっとお、本当にアキヤマよ」
ほんの30秒ほどで終わってしまう。
  歌い終わると櫛に手をやり、抜くと、髪がほどけて、史蔵に櫛を手渡す愛祢。
史蔵「やっとこの世に戻ってこれたようだ」
愛祢「この為に私は祝詞を伝えられたのね。
 最後にあなたに会ってこの世に戻すために」
表情が消えていく愛祢の手を握る史蔵。
久美子「主藤さんアキヤマですよ。ありまし
 たよここに、終末点が」
主藤「ウン、ここに語幹があった。あの神社
 の字名はアラヤマだったが神さま自体はア
 キヤマの御神(ミカミ)だったんでしょう」
主藤がビデオのスイッチを切る音。
史蔵「い、今の瞬間が残ってるんですか?」
久美子「ええ」
主藤「史蔵さんはこの祝詞をご存知ですか」
史蔵「聞いたことはあったが覚えるなといわ
 れていて、二番があるのも知らなかった」
久美子「なぜ愛祢さんに伝わったんでしょう」
史蔵「爺さんが私は二度とこの世に戻れない
 と思っていたから愛祢に伝えたんでしょう」
史蔵のM「爺、唾の呪を解いてくれるのは祝
 詞以外にないと知ってたみたいじゃねえか」
老人たちの勝手な声が響きだしてくる。
主藤「史蔵さんでさえ伝えられなかった祝詞」
老人たちの声にまぎれながら
主藤「おそらく、今この世に生きている中で
 は愛祢さん以外に誰も覚えている人もなく
 二度と歌われることもないこの祝詞。まさ
 に今ここがライブの終末点だったんだ」
静かに言い切るだけで表情を変えない主藤の横顔をみつめる久美子。
久美子のM「ちょっと気色悪いわよ。朝の霧
 に続いてまた…。この人平然としてるけど
 いつもこんなこと体験してるのかしら」

○ 丘の上、林の中の遺跡館(同日午後)
丘の上の資料館には人っ子一人いない。甕棺(かめ型のひつぎ)の墓あと資料館の建物から出てくる主藤と久美子。
主藤「ここは朝の公園に一番近い丘です」
何気に受付のパンフレットを手に取る。

○ パンフレットインサート
『この墓に葬られた成人の平均身長は162㎝で
 あり戦前の昭和を含め日本のあらゆる時代
 でもこの平均身長を上回った時代はない』
  久美子がパンフレットの身長の絵を差し
久美子「これって、本当ですか?」
主藤「身長の事ですか?ここの弥生人は骨格
 が違うんだから正に渡来人との混血でしょ」
  風に木々の音が波のように聞こえてくる。
主藤「あそこが朝の公園でこのあたりまで入
 り江で海だったようです。君はすぐこの下
 に打ち寄せる波音やそこから半島へとつな
 がっている海が想像できますか?」
木々の音で波が目に浮かぶとともに、ここから大きな矢印が天に登り日本を覆っていくのが頭に浮かんでしまい首を振る。
久美子のM「えー矢印まで見えちゃったじゃ
 ない。きっと1400年前の霧と、最後に偶然聞
 いた語幹のせいよね」

○ フラッシュバック
銀座の地下画廊、タイムトンネルのような高速道路、鵜飼、水城の霧、最後の語幹、波打ち際から日本を覆う矢印。

久美子のM「昨日今日でいろいろなものを見
 すぎたせいよ。それにしてもこの人顔色一
 つ変えないけどいつもこんなの見てるの」

○ 海峡の橋を走る車中(現在明るい夕暮)
主藤と久美子。
久美子「今夜はどこに泊まるんですか?」
主藤「講和条約のおこなわれた海峡の街です」

○カットバックで・海峡の橋を走る車中(同時刻)
別の車。史蔵が一人運転している。

○カットバックで・神社(60年前、昭和25年)
史蔵(29)と病床の具和(89)
史蔵「じいさん。あんたがうらやましい。あ
 んたの名はこうして永遠に伝説の中に残る
 んだ。奪った宝はどうしたんだ?」
具和「黒龍の唾は不吉だと全権が庭石に撒い
 て紛れさせてしまってそれっきり判らん。
 いいか、宝を探すな。龍の唾に触るもの探
 すものは体が溶けて見えなくなるんだ」

○カットバックで・海峡の橋の上(現在)
史蔵が櫛を握って一人運転している。
史蔵「この櫛が呪いをといて60年後にこの世
 に戻れるとは思ってもみなかった。89歳の
 私に思い残すことはない。その石ころを潰
 すことが私で終わってしまうだろう由利の
 家の本当の終末だ」

○ (もどって)車の中
主藤「その海峡の街です」
久美子のM「よしっ。予定どーりー」
主藤「いい加減ファイル読んどいてください」
久美子「そこは読みましたよ。うっいけない」
久美子のM「やベーバレバレじゃん」

○カットバックで・特養老人ホーム(数時間前)
史蔵「じいさんは私の顔を見るなり早く手当
 てを受けろといいました。私もそのつもり
 で翌日救済所に行くとそのまま予防法が変
 わる1996年まで45年間出られなかったわけで
 す。私は二日市の救済所に行く前夜、祖父のとめるのも聞かず愛祢に会うより、北京で
 伝説となっていた祖父が持ち帰ったという
 龍の唾と呼ばれた宝を探しに行ったんです」

○ (もどって)車の中 海峡の橋の上
久美子と主藤。
久美子「龍の唾ってどんな宝なんでしょう」
主藤「清なら黄龍旗、四神の龍なら青い龍」
久美子「黄龍旗も青龍も龍の色は緑ですよ」

○カットバック・料亭の庭(116年前、休戦締結後)
日本全権が夜の庭を見て怒りに震えてる。
日本全権「北京突入は目前だというのに」
  庭を挟んで、具和と石を持ってる李全権。
具和「李全権ご自身が撃たれるとは、不吉な」
李全権「いや不吉でも何でもない。結局北京
 は守られた。もうこの石は誰の物でもない」庭に向かって投げ、庭石に紛れ判らない。

○カットバックで・(60年前、昭和25年)
病床の具和(89)
具和「黒龍の唾は不吉だと庭石に撒いて紛れ
 させてしまってそれっきり判らん。いいか、
 宝を探すな。龍の唾に触るもの探すものは
 体が溶けて見えなくなるんだ」

○ (もどって)料亭の駐車場
車が停まる。踏み出し黒い敷石を踏む足。史蔵だと思う足はサンダルの久美子。
久美子のM「龍の唾ってどんな宝なんでしょ
 う。一体どこにあるのかしら?」



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愛祢が櫛を取って持っていたことを具和が知らず、そして櫛を持っていると災いが起こると具和は思っている。そのために葬った。それを掘り出した愛祢。愛祢は災いが起こるとは知らず。
結局、妻の杏姫が持ち出セといった櫛は龍の呪いをとくものだった





久美子「北京の」
黒龍の唾はみつからなかった」
色形も不明
青龍の唾
北京北京毛藍(beijing blue)がありますよ
青龍の青は緑だよ。
よだれは白だろう
灰色、琥珀色、黒色



久美子「どうして具和さんは愛祢さんに伝えたんでしょう」
史蔵「じいさんは私が二度とこの世に出られないと知っていたから愛祢伝えたんでしょうか。」


私と両親をらいにしたその宝は


  主藤は団地のひとつを指して
主藤「海はおそらくここから2キロぐらい向こうのあたりだったようです」
久美子のM「ここからってこんな市営団地に囲まれたとこからじゃ海も何も見えるわけ無いじゃない」






レポート書いてる 矢印を一センチ伸ばしただけで終わり
史蔵さんのことは書けませんよね
お庭はどうします

宿はホテル 橋が見える

電話して
環の間あいててOKと




史蔵「その宝の石があるのかあればじいさんは本当のことを言っていたのか」

○ 料亭の玄関先の庭(60年前、同夜)
敷石がびっしりと敷き詰められている。
月明かりの中一つ一つ探し続ける史蔵。
史蔵「由利の家を滅ぼそうとしている唾はどれだ。どうせ滅びるんだから手にして死にたい」

○ 二日市駅 汽車のデッキ(同朝)
二日市の支援所に向かう史蔵(29)


久美子のM「じゃあ私の血液にもここから始まった人々のDNAが流れ続けているって?」


○ 神社の鳥居の横の家。(1950年夏夕暮れ)
由利具和(89)衰弱して床に伏せている
が眼光は確か。枕元に手をつけていない茶碗。人が出て行った気配。入れ替わりに食事を持ってきた同じ集落の娘、愛祢(29)が暗い玄関から声を掛ける。
愛祢「じいちゃん、おるとー」
愛祢は手をつけてない茶碗を見るが、なにも言わず新しい食事と取り替え、急須からお茶を入れ仏壇にも供える。
具和「愛祢、ありがとう。だが、もうここには来ちゃいかん」
愛祢「…」
具和「いいか、史蔵の引き上げを待っていても無駄だ」
愛祢「えっ?」
具和「史蔵は戦争じゃなくて、伝染病で死ん
 でいる。私が50年前の清との戦争で北京か
 ら持ち帰ってあれの両親も兄姉も死んでい
 る。史蔵だけには移らんようにしてたつも
 りだったが。由利の家はこの私で終わりだ」
愛祢「じいちゃん」
具和「愛祢、史蔵のことは忘れて、お前は嫁
に行け。おまえの器量で良縁は望みのままだろう」
歌い始める具和。
具和「アラヤマの…」
愛祢「この祝詞、節は何度も聞いてるけどこんなにはっきりとした歌詞があるのを聞いたことは無かったよ。じいちゃん…」

○ この村の愛祢の家(同夜)
機織をしている愛祢。
母親「いつまで機織続けるつもりなの?」
愛祢「…黙々と機織」
母親「史蔵さんが亡くなってたんだっていうじゃないの」

○ 夏祭りの神社の祠の中(夏祭りの夜)
幼いころの史蔵(5)と(5)愛祢。お祭りで開け放たれた神社の御神体に近づく二人。神殿の神棚にある獣の頭蓋骨。恐る恐る背伸びして二人が覗く。頭蓋骨の顎の下にある櫛を見つけ、史蔵がとろうと頭蓋骨に触ろうとするとバランスを崩し、棚が壊れ頭蓋骨が落ちる。牙で傷つく史蔵の腿。お祭りのざわめきの中、子供の泣き声にかけつける具和。
具和「今でもこれに係わっちゃならんのか」
 
○ 神社の祠(祭りの数日後)
社の横を流れる大きなヤマメのいる川では傷が癒えた史蔵と愛祢が遊ぶ。半ズボンの史蔵の腿に傷が生々しい。
社の中で、虎の頭蓋骨を叩き割る具和。
具和「この神社はもう終わりでよかろ」
社の裏に櫛と一緒に埋めている具和。
 いつの間にか河から顔を出しのぞいて見ている二人。
  
○ 二日市温泉(引き上げ支援施設)翌日
走ってきて引き揚げ支援会のタスキを掛け髪の毛を上げて櫛を押し込む。引揚者の足を洗っている愛祢。
愛祢「ご苦労だったでしょう、もしや、由利史蔵さんという方をご存じないですか?」
うつむいたまま足を洗う愛祢の櫛に気づいて、帽子を深くかぶった男は裸足で逃げる。愛祢も足の傷に気づく
愛祢「史蔵さん」
人ごみに紛れていない男。
諦める愛祢。物陰で史蔵。
史蔵「おれは伝染病で死んだんだ。愛祢はいい男を見つけて結婚するんだよ」
白衣の男二人に後ろから肩をたたかれ声を掛けられ驚いて振り向く史蔵。

○ 郊外の療養所(夏)
個室に入れられ鍵を掛けられベッドに横たわる史蔵。

○ 神社(大晦日、雪がちらつく65年前)
村人たちと愛祢(29)と愛祢の父。
  潰され廃材となり大晦日のお札と一緒に燃え上がる神社が養魚池に映る。


案内の職員が止めようとスプーンをよこせというように手を広げると髪を振り乱して怒り右手でスプーンを投げる。久美子が持っているビデオカメラの部品に当って取れて落ちる。
職員「ごめんなさい」
あわてて捕ろうとしてテーブルの上の黒い碁石がスイッチの上に散らばって部品がどれかわからなくなる。
そこここで勝手な声を上げている老婆たちの声に混じってスプーンをたたき続けると次第に目つきがはっきりとしてくる愛祢。主藤があわててレンズフードのシャッターを開けようとするが取れた部品がスイッチで回せないので開かない。
主藤「こりゃあだめだ」
  しゃがんで探す主藤と職員の鼻先に久美子が無数の黒い石の中からスイッチを拾い上げて差し出す。
主藤「よしっ」

案内の職員が止めようとスプーンをよこせというように手を広げると髪を振り乱して怒り右手でスプーンを投げる。久美子が持っているビデオカメラの部品に当って取れて落ちる。
職員「ごめんなさい」
あわてて捕ろうとしてテーブルの上の黒い碁石がスイッチの上に散らばって部品がどれかわからなくなる。
そこここで勝手な声を上げている老婆たちの声に混じってスプーンをたたき続けると次第に目つきがはっきりとしてくる愛祢。主藤があわててレンズフードのシャッターを開けようとするが取れた部品がスイッチで回せないので開かない。
主藤「こりゃあだめだ」
  しゃがんで探す主藤と職員の鼻先に久美子が無数の黒い石の中からスイッチを拾い上げて差し出す。
主藤「よしっ」

もしその石を見つけるのが私で終わってしまうだろう由利一族の結末の理由だと思ったのです。(私が感染したのは自分から北京の病棟に探しに行ったからなんです)」


久美子のM「常識的に考えたらそうだよね」
久美子のM「確かに終末点にはびっくりしたけど一日の最後がわざわざ朝の公園の近くまで戻って、人骨とお墓?」
久美子「しかもまた誰もいないじゃない」
 
夕暮れですっきりした感じだがお墓の横で気持ち悪いはずだし、自分はヨーロッパ絵画なのに。小高いこの丘の木々の間から広がる平野を見ると

なってたんです愛祢に二日市の救済所で偶然遭う結局
最後になった前日に、私は帰ってきてじいさんに会ったんです



じゃあ私の血液にもここから始まった人々のDNAが流れ続けているって

P55
なんで愛祢サンに伝わったんでしょうか
読書目線のこと なんで愛祢にお簿r綱といった祝詞が伝わったのか?

ちがう
じじいが史蔵にかけられた竜ののろいをとくのが愛祢の祝詞だと知っていたのか?


★★★★★★★愛祢にいると認められるのが存在の証

117年前
条約後 北京に突入できないで悔しがる陸奥宗光

具和「やはり不吉でした。撃たれるとは」
李「いやこれぐらいですんで北京は守られた。やはり守りだ。この石は誰のものでもない。庭に向かって投げる。石に紛れ本当にわからない。何重もの奥に入り込む。


。北京毛藍とい
 う青色(beijing blue)がありますけど」
主藤「黒龍の唾から生まれた姫がいますが


カットバックで




(カットバックで)





(カットバックで)

























   ドーリア人の侵入               

          レポート① 黒龍の唾(前編)
妖精オンディーヌ           
111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111111

○ ナレーション「14才11ヶ月のオンディーヌは永遠の命によって数百年間生き続けている水の妖精であった。彼女は初めて沼で会った男性に恋をする運命にあった。彼女は恋すると、その瞬間から永遠の命を失い歳をとりだす」

○ インサート オンディーヌの沼の絵
 ナレーション「数百年で初めて恋した男は、目覚めて、呼吸しているときはずっと必ず彼女を愛すると誓った。男を信じたオンディーヌは永遠の命を捨ててまで彼との愛を選んだ。
ある日の午後、彼女は池の近くの馬小屋の横を歩き通り過ぎるとき彼のいびきを耳にする。
彼を起こさないように小屋に入ると彼は違う女の腕の中で寝息をたてていた。オンディーヌは彼を蹴起こして彼に魔法を掛けた。
オンディーヌ「おきて呼吸をしている時は私を愛すと誓った。でも眠っているときには違う女の腕の中にいるなら、二度と眠らないように、呼吸ができるのはおきているときだけで、眠ると呼吸ができなくなるように」
呪いをかけると、オンディーヌは水の中に戻って金魚に姿を変え死んでしまう。

インサート オンディーヌの沼の絵の中に泳ぐ金魚 金魚のアップ

○ O病院待合室 7月6日月曜午前11時
大型金魚が三匹浮かんで死んでいる水槽をのぞき込んで事務の男・井村が事務の女・青木と話している。
青木「ちょっとこれ、理事長の金魚3匹とも全滅よ、早く片付けないと」
井村「毒でも入ってんじゃねーの?だって巻貝も全部死んじゃってるぜ。月曜で一番忙しい時に限って。うちは270ベッドしかないけど救急だってやってんだから毒だったらどうすんだよ。後で医療廃棄場で処理しよう」
青木「それより理事長今日は午前中の外来診療にいらっしゃってるから外来が終わる前に何とかしないと」
井村「この辺には、ペットショップならあるけど犬猫だろ。誰か金魚屋知らないか?」
事務員たちは通常の医事課事務に忙しくてそれどころではない。
ピンクのパンタロンの白衣姿のみゅう(加藤英利華22歳)が、井村の後ろから小声で言う。
みゅう「私知ってますが」
青木「誰あなた?」
井村「今日から医事課クラークで採用の子だよ。入職早々悪いけど着替えて行ってきて。」

○ 自由通り沿い三丁目。金魚熱帯魚専門店
  店内 泳ぎ回る金魚のアップ
  前かがみに見つめるポロシャツすがたの(naracamicie)みゅう。
みゅう「エー三万?まだ池に行ったら金魚いるよね」
店主「みゅうちゃん、欣弥さんの育ててたのはうちだって扱って無いんだから池で採ってきたのなんて話になんないよ」
みゅうAside「そんなの気にするようなおじさんじゃないと思うけど」
みゅう「じゃあこれよりも高いの」
店主「ああ、多分売れば50万以上で買い手はいくらでもいただろう。欣弥さんは育てるだけだから売る気なんて毛頭無いだろうけど」
みゅう「ふーん」
店主「俺もなんでそんな高価なものをって聞いたら、そういうものこそ待合室でみんなにみてもらって元気になってもらいたいからだって言ってたよ」
みゅうAside「ふーん」
店主「あの人は昔から服だって絵だって何だって値段が安かろうが高かろうが本物しか自分からは手を出さないたちだったから、待合のやつだってきっと入賞してた一番良いやつだろ」
みゅう「じゃ、これ三匹」
店主「だから職員もO病院を希望して就職する人は多いけど欣弥さんから声を掛けて手伝ってくれって頼んで来てもらってる人は多くないって 
金魚をすくいながら
店主「欣弥さんなら一目でわかっちゃうぜ」
みゅう「だからって何にも言わないわよ、きっと」
○ O病院待合室 (同日7月6日月曜午後1時)
  金魚を持ってきたみゅう水槽を運び出そうとする男の事務員と井村が声をかける。
井村「ちょうど良い手伝ってくれ」
水槽に手を支えようとするみゅう。
井村が水槽をつかみかけ急に腰を抑えみゅうに寄りかかりみゅうがソファの上にあったプリムール(仏cafe)の箱に座ってしまう。中から出るプリンと割れたプラスチックの破片。破片でデニムの腿が切れる。切れたとこを見ながら。
みゅうAside「うっ。プリムールのやつ何でこんなとこに。就職初日から最悪。お気に入りのデニムジーンズだったのに」
井村「ごめん、すまない、大丈夫か」
みゅう「ダイジョブです、ジーパンだけですから。井村さんこそ大丈夫ですか」
  腰を抑えなかなか起き上がらない井村。
  
〇 O病院裏 医療廃棄物置き場 (同日7月6日月曜午後1時30分)
  ピンクのパンタロンの白衣に着替え医療廃棄物の排水口で水を流そうとしている。
井村「ゆっくり飛び散らないように」
  声をかける井村。と、みゅうの手に持った金魚が手に持った小型の水槽から勝手に飛び出し金魚の死骸の浮いた水槽で泳ぐ。
井村「おい早く捕まえろ、一匹3万だぞ、死んじまうぞおい」
金魚はみんなが顔を見あわせる中で元気よく泳ぎまわる。梅雨の晴れ間。

○ みゅう(加藤英利華22才)の部屋
(4日後7月10日 金曜日 朝6時)
大型スピーカーから曲ダッタン人の踊り目覚めると、寝ぼけながらも手際よくスウェットを身につけるみゅう。

○ みゅうの家キッチン・居間(同時刻)
姉(加藤久美子24)と母
窓の外を見ている母。急に雨が強くなる。
母 「こんなに雨が強くなっているのに」
姉 「心配要らないわよ、みゅうちゃんは、ちゃんといつも濡れないんだから」
母 「こんな雨の中でも?」
姉 「不思議と濡れないんだから」
母「傘も何も持たないでいったのよ村上と」
明るくなってリビングのドアが開く。
みゅうが髪の毛も全く濡れずに現れる。
母「ひどくなるときに出てくんだもの」
みゅう「ううん丁度やむとこで大丈夫だったわ。お姉ちゃん、このジーンズかっこいい」
姉「みゅうちゃんデニム穴開いちゃったんだって。そんな危険なとこなの?」

○ O病院(同日朝8時25分朝礼の5分前)
  医事課事務室でpcで職員名簿を見ながら医事課男・井村と事務員女・青木。
青木「理事長、金魚の事気づいてらっしゃらないみたいだったわ」
井村「何もおっしゃらないけどわかってんじゃないか。それよか青木テスト受けろよ、一回目は通りやすくなってるって言ってたぞ」
青木「25歳過ぎていまさらテストなんて無理よ。井村さんこそ」
井村「俺もう四十だぜ、しかも男が医師補助じゃやっぱり女性のほうがいいよ」
青木Aside「そうよね、ワンピースで来ちゃった人の聴診のときショーツの下半身にバスタオル巻いてあげるのは男性じゃ無理よね」
井村「誰もテスト受けないってわけには行かないぜ。下から二人でいいよな?」
青木「あとで婦長に確認してみてよ」
井村「しょうがないよな。来週テストだもん。誰も希望しないよ」

○ 外来ブース奥(同日午前8時30分)
外来看護婦クラーク勢揃いの申し送り。
婦長「新型インフルエンザの患者数が500人を超えコントロール不能で熱発者の隔離はもう不要で待合室でマスク装着のうえ、待機とします。医師補助業務テストは来週土曜日ですが今日いっぱいまで受け付けますので個々に医事課の井村さんまで。以上」
  ×   ×   ×
クラーク7人は今日は誰が茨医師につくか、外来ブース奥のホワイトボードにクラークの名前の書いてある磁石を順番につける婦長の手元をじっと見つめている。
水谷アキ(21)「御願い茨先生はやめて」
みゅう「なんですか茨先生って?」
アキ「毎週金曜日だけ来る内科の非常勤の先生よ。先週百人超えちゃって翌日の土曜日の朝、私、夢で起きたのよ」
みゅう「なんか悪そうな夢。」
アキ「7時でもまだ60人しか終わってなくて何時になるか判らないって泣いてる夢」
みゅうAside「ひどーい」
みゅう「で、何時に終わったんですか?」
アキ「不思議と五時半に終わったのよ。どうしてだかわからないけど」
みゅう「すごいどうして」
アキ「茨先生は介護保険の主治医意見書とかどんどん書いちゃって、その患者が全部茨先生が主治医ってことで茨先生の外来に来て、一年しかたってなくてそれも週一なのに100人超えちゃうのよ」
オーダーpcをクリックしてみゅうが
みゅう「もう40人いっぱいの上に15人の予約外が入ってますよ。この上に初診が7人ですでに62人」
アキ「外科、整形、まだ無い…だめ今日は内科よ。加藤さんあきらめて」
みゅう「今日も100人ですか?」
×   ×   ×
○ 外来ブース奥(同日午前8時35分)
申し送りが終わったのを見て婦長に確認を取りに来る井村。すぐ横の第一診察室に座っている茨医師(35)
井村「加藤と水谷で出しますけどいいよね」
婦長「いいわ、他に希望者いないんでしょ」
出て行く井村。
  アキとみゅうが来て
アキ「おはようございます。」
茨 「おはよう。医事のテストですか?」
アキ「医師補助業務っていう資格を取ると診断書作製とかできるんだそうです。持ち込みOKで一回目は易しいって。ただ試験は来週の土曜日なんですよ。私たち無理やり受けさせられるんです。下から二人」
みゅうAside「これが茨先生?30過ぎのおっさんよ」
  カルテに今日の日付の印鑑を押しながら、
アキ「なんか普通の先生と違うんだよね」
みゅう「気難しいんですか?」
アキ「全然そうじゃないんだけど、」
9時の時報とともに外来診療開始のアナウンスが鳴り、外来の外科内科とそれぞれのブースから看護婦クラークが待合室に出て行って呼び込みをはじめる。
アキ「内科から一番の番号の方どうぞ」
外来診療が始まりみゅうとアキはブース横のスタッフ通路に立って補助を続ける。
  ×   ×   ×
アキ「ここまで順調に来てるわよ」
みゅうAside「気がつけば11時30分ね」
カルテの問診表に63歳男性。昨日よりの寝汗。両下肢のこわばり。
みゅう「寝汗?」
  入ってくるなりいきなり話し出す。
男「いつもは月曜日に来るんだけど昨夜は寝汗で起きたんでそれで来ました」
茨 「今は症状がありますか?」
男「今は症状は何もない。ただ昨夜起きたら今まで一度もなかったのに寝汗をかいていたんです。自分は健康には人一倍気を使っているんで毎晩ウォーキングを30分きっちりしています。ただ昨夜はいつも7時30分からのを会合の為に8時10分からに遅らせざるをえなかったんです。ウォーキングはこれからも続けていいのでしょうか?」
と、一方的に話す。
みゅうAside「ここまで5分以上よ」
アキ「きた。ストッパー」
みゅう「なに?ストッパーって何ですか?」
アキ「みんな大抵前の人が5分ぐらいで終わってたら自分も5分ぐらいで終わりにしようって思うでしょ。こんなにごった返しているんだから。そんな中でも居座って言いたい事だけいって何もしない人が、ストッパー。これが来ると後の人がみんないらつくの」
みゅう「どうしてそんなことするんですか」
アキ「とにかく自分が普通と違う患者だって居座ることで表現したいのよ。とにかく不必要に外来の流れを止めちゃうのよ」
みゅうAside「ウォーキングしたらいいかどうかなんて、先生も答えようがないじゃない」
茨 「糖尿病の人は汗をかきやすいですが検査をしてみましょうか?」
男「先月採血して異常なしといわれてやる必要ありますか?」
みゅうAside「だってあなたが心配か聞くからじゃない」
男「近頃の先生は検査検査ですね」
茨 「必要性は低いと思いますが、万が一のことで検査されてはいかがかと思います」
男は検査するともしないとも言わず。
男「糖尿病は足がしびれるでしょう。眼や腎臓にもくるじゃないですか。私は朝起きると膝がこわばりますけど糖尿病ですか?」
みゅうAside「だから検査をお勧めしてるの」
男「看護婦さん、今日血圧高いみたいだから計ってくれないか?」
アキ「申し訳ございません、私たち看護婦じゃないので事務員なので医療行為できないんです。計れないんです。今看護婦を呼びましておはかりします」
20分以上いて何の検査も予約もなく、月曜日いつもの医者のとき来て相談するといって出て行く。返してしまう茨。
アキ「内科から27番の方どうぞ」
カルテ:37才男性(橘田)。二ヶ月続く両下肢のシビレ。むくみ。高血圧の薬を変更し、利尿剤内服するが効かず。
みゅうAside「また両下肢のシビレ?」
息を切らし汗を拭きながら入ってきた男は100キロ近い肥満体形だった。
みゅうAside「50近くにしかみえないわ」
橘田「もう二ヶ月以上も足がしびれてしょうがない。月曜日に心臓外科の理事長先生に診てもらおうと思って来たんだけれど待ちきれずに帰りました」
下肢を診察する茨。指で押さえると指の跡に両足ともへこむ。
茨 「指圧痕とそれと痛みによる運動制限があるんじゃ大変でしょう。他の病院でもやっているでしょうがCTをやらせてください」
再び検査を行うという言葉に
橘田「また検査なら、福祉治療大学病院の東京治療所の紹介状書いていもらえますか」
みゅうAside「えー。じゃ何しにきたのまた連続ストッパー?」
橘田「そちらに電話したところ治してくださるという返事だったんです」
茨 「わかりました、お書きします。ただその大学は西日本にあったと思うんですが」
橘田「ええ、そちらから東京でいくつか卒業生の治療所を紹介してくださるということで教えてもらったんです」
茨 「ではこれから行かれる治療所に直接電話された訳ではないんですね」
橘田「まあそうです」
茨は静かに、でも強い口調で
茨 「私はこれから見逃して大事になってはいけない検査をしようとしているんですが」
橘田「…」
茨 「あなたは、見たこともないあなたの電話で治るという、しかもそこではなく違うところを連絡もしないで治るといって紹介する、というところに行こうとしています」
橘田「…」
茨 「治療所はその場限りでだめでもそのままでしょうが、私はもしも治せなければ治ったのを見届けるまで治せる先生を探します」
アキ「ね、ちょっと普通じゃないでしょ」
みゅうAside「他に行きたいって言うんだからそれでいいじゃないの」
橘田はほんの一瞬考え黙ってうなづき
橘田「こちらで検査をお願いします」
茨は検査オーダーを入れながら話す
茨 「その治療所は医院ではないはずです」
橘田「えー?ホントですか、だって治療とか医療とか大学の名前に入ってますよ」
茨 「この大学には医学部は無いはずですよ。
だから卒業生は医者ではないと思うんですが。
採血とレントゲンで異常なしなら造影CTをします。その間に心臓の超音波を入れます」
  橘田は検査を受けに退室。
アキ「下肢の浮腫、むくみってみんな夕方になるとむくむように普通にあることじゃないんですか?」
茨 「あんなふうに指の跡がつくのは指圧痕といってしかも両側の時は心臓や肝臓、下肢、下大静脈など循環系の原因があることがあって原因を突きとめないと」
アキ「どうしてこの人にはいろいろしてあげるんですか?その前の足のシビレの人とは何が違うんですか、指圧コンてなんですか?」
茨 「pitting edema指で押さえたあとだよ」
アキ「軽く抑えたぐらいでつくんですか?」
茨 「お餅を押さえて沈むぐらいです。前の人は自分で勝手に帰っちゃったけど、この人は2ヶ月間ずーと病院通いでしかも両下肢がしびれて痛いのを原因不明で過ごして苦しんでいる。西日本から紹介された東京の治療所が治してくれるって、誰が聞いてもおかしい話にすがるくらい頼るものが無いんだ」
みゅうAside「ふーん」
  ×   ×   ×
午後一時前、みゅうとアキは4時間立ちっぱなしで午前中の外来の途中で昼交代のものと代わり、食事に行く。
×   ×   ×
13:45 食事を終わり戻ると茨は午前の最後として橘田に採血とCTの結果を説明していた。
茨 「CTは肺動脈も異常ないですし心臓の超音波も正常範囲内ですが、入院して原因を調べましょう」
橘田「二ヶ月も病院通いしていまさら入院は。第一休みがもう残り少ないんですよ」
検査結果の説明にあくびがちな橘田に
茨 「夜はよく寝られますか?」
橘田「どうしてですか?実はこうなる前は寝られなかったんですが、足はむくみましたけど幸い夜は寝られるようになってきました」
茨 「いままで睡眠時無呼吸症候群(SAS)の検査を受けたことはありますか?」
橘田「いえ、去年も不眠症の時があって、その時は女房のジアゼパムもらってたんですが、今回もまるでジアゼパムのんだときみたいに寝られてます。でも日中は眠いんですよね」
茨 「SASのテストを受けてみましょう、それと念のため、前のジアゼパムが残っているかもしれないので血中濃度を調べてみましょう。いいですか?」
橘田「ええ…いいですがもう何ヶ月も前で、それ以来、依存性があるっていうので怖いので眠剤は飲んでませんよ」
茨 「まだ残っているかもしれません」
茨 「うちのSASの検査はポリソムノで脳波もも測定するものですが検査後は、常勤の先生の診察受けてもらえますか?」
橘田「金曜意外は無理です」
茨 「じゃあ看護婦さんに浮腫を看てもらって帰ってください」
みゅうAside「今度はお話に従うのね。ああまで言われちゃね」

○ 外来ブース前検査前室(同時刻)
橘田は出て行って検査の説明を検査前室でアキとみゅうがする。
アキ「SAS検査は仕事後当院に一泊していただいて翌日は普通にお仕事にいけます」
橘田「じゃあ今日お願いします。最近仕事もうまくいかなくて夜は寝られるのに昼も眠くてだめなんです。家内も娘もいびきがひどいって別の部屋で寝るようになって。これだけ一生懸命生きているのにこれでいいのかと迷うばかりで。」
  女を呼ぶ橘田.前室に入ってくる女。娘も連れてこようとする。
みゅう「あの箱、プリムール(仏cafe)のプリンじゃない、いいわね」
  娘はプリンを食べるといって前室のすぐ前の水槽横のソファから動かず。プリンを食べている女の子を残し入ってくる女。 
橘田「今日は泊まりで検査だって。寝ているときの呼吸を診てくれるって」
女 「ここ二ヶ月この人はぐっすり寝ているって言うけどいびきがひどくて一緒に寝られないの。娘はパパのこと大好きだからさびしいって泣きながら寝てるのよ」

○ 外来ブース(同時刻)
説明後、外来ブースに戻るあきとみゅう。
アキは“今日の治療指針”というマニュアル本で睡眠時無呼吸症候群を見る。
仕方なくみゅうは新臨床内科学9版を開く。SASの横にオンディーヌの呪い、という病名を見つける。
午前中の外来が終わる。十分後午後二時からすぐ午後の外来が始まる。
茨 「医局で食事してくる」
茨が一瞬引き上げようとするとき
みゅう「オンディーヌの呪いって?」
アキ「オンディーヌの呪いって何ですか?」
茨 「これは違うよ。むしろピクウィックだな。へーそれにのってるの?」
アキ「ここです」
茨 「病名の由来が面白いんで好んで使われるけど本当は脳の先天奇形で珍しいんだ」
アキ「由来って?」
茨 「50年ぐらい前にこの先天奇形を報告した人がヨーロッパの妖精オンディーヌが恋人に、眠ると呼吸が止まる魔法をかけたことからとったんだ」
アキ「どうして魔法をかけたんですか?」
茨 「なんでだろう、それ以上は知らないな、とにかく検査後の下肢の浮腫をチェックするよう看護婦に申し送ってください」
茨が出て行くと、井村が入ってくる。
井村「二人の問題集。これも病院もちだ」
  青木が井村を追ってやってくる。
青木「井村さん、金魚!」
井村「どうしたんだよ」
青木「金魚」
井村「だからどうしたんだよ」
青木「また、全部死んでるんです」
×   ×   ×
17:10 あと二人で外来が終了。
アキ「ね、信じられないでしょう。これで87人よ。結局あのストッパー入れても89人終わるわ」
みゅう「あっという間に5時でしたね」
アキ「なんでこんなにぴったり終わるのか不思議よね」
×   ×   ×
17:15終了すると
茨 「昼に飯食いながらPUBMED(文献検索サイト)で調べたらNeurosurgery(アメリカの学会誌)の2005に特集してて表紙がオンディーヌの絵だって。医局からもってきたけど見るかい」
アキ「この子加藤さんそっくり」
みゅうAside「私こんな幼児体形じゃないわよ」
茨Aside「そっくりじゃねーかこの子誰?」
茨 「オンディーヌの呪いはSir Lawrenceにかけられたもので、彼は目覚めて呼吸しいているときは彼女への愛を誓うけど、子供ができて彼女の美が衰えると、彼女は彼が他の女の腕の中で寝ているのを見つけてしまう。起きて呼吸しているときは愛すと誓ったことを守らせようと、寝て他の女のものになると呼吸ができなくなって死ぬという、呪いをかけるんだ。」
アキ「オンディーヌはどうなっちゃうの?」
茨 「この話には結末が無いんだけど、戯曲では男は死んじゃうんだ。この病気は先天性のもので二酸化炭素に対する感受性が低くなり、呼吸が少なくて二酸化炭素が上昇しても、普通は回復する呼吸が戻らないという稀な奇形の病名なんだ。ところで君は?」
みゅう「申し送れました。私今週からこちらでお世話になりましたクラークの加藤英利華と申します。まだひとり立ちできないので二ヶ月はアキさんと一緒につかせていただきます。よろしくお願いします」
  
○ O病院 待合室(同日17時15分)
  金魚のいない水槽の前で立ち尽くす井村と青木。横を通り過ぎて帰ろうとする茨。
茨 「お疲れ様」
井村「あ、先生、」
  小声で
井村「ご相談なんですが、実は今週になってこの水槽の金魚が二回全滅してるんです」
茨 「?」
井村「金魚だけじゃなくて、巻貝も中の生き物は植物以外きれいに死んでるんです」
茨 「何のことですか?」
井村「どうしてか先生ならお解かりになるかもと思いまして」
茨 「昔当直病院で日曜の午前中にハトが来てるって起こされていったら。ハトさんていう人じゃなくて鳥だったことがあったけど」

○ 茨回想 数年前の当直病院 待合室
ハトを抱えた男性
茨 「ハトさんて?」
男「先生ですか?骨折して飛べないでいるのを見つけて持ってきたんだ。先生、人間治せるんだから鳩もなおせるだろう」

○ O病院 待合室(同日17時15分)
  水槽の前、仕事を終えてカルテを運び出しているみゅう。アキも通りかかり、
茨 「すみません見当もつきません」
井村「不思議なことにこの水は全く替えてないんですが、おい」
青木「ハイ」
青木が生きた金魚を入れる。元気に泳ぐ金魚。
井村「どうしてでしょう、大丈夫なんです」
茨 「水草は大丈夫なんですね」
井村「ええ」
茨 「今ちょうど話をしてたんですが、急な二酸化炭素の上昇じゃないんでしょうか」
みゅう「二酸化炭素が?どうやって?」
茨 「どうしてかは全くわからないけど、たとえばこの日当りのいい場所にある水槽にドライアイスを入れたとすると」
アキ「誰が、何のためにですか?」
茨 「理由も、実際ドライアイスかも確かじゃないけれど、ドライアイスの入った直後は二酸化炭素が上昇し水草以外の生き物は全滅するけど、暖められて二酸化炭素が水に溶解できなくなると濃度が減って金魚はこうして元気に泳げるようになる」
青木「暖いコーラの気が抜けるように?」
茨 「ちょうど今二酸化炭素の話をしてたし、それなら説明つくかなと思っただけですが」
井村「でもスモークが出るでしょう」
  水槽の脇の窓が10センチほどあいて花瓶の花が窓の外に向かってなびいている。
井村「病院は外よりも陽圧にしてあるから確かにスモークは外にしか行かないわけだ」

○ O病院 通用口(同日18時45分)
目の前で区民センターに入っていくアキを追いかけてドアに入るみゅう。
追いかけると図書館に向かうアキ。
みゅう「アキさん勉強ですか?」
アキ恥ずかしげに入り口で立ち止まり
アキ「この時間から雑誌が借りられるんだ」
アキはhanakoを借りてかえろうとする。
アキ「いちいち買ってたら置き場所無いでしょ、寮は1LKだから」
みゅう「誰でもいいんですか?」
アキ「そうよ借りたい本はこの端末で調べればいいの」
と、アキは“おんでぃーぬ”と端末に入れると、この図書館にもある。

○ バスの中。(同日19時5分)
駅入り口のバス停に止まるバス。
戯曲オンディーヌを読んでいるみゅうに姉が外から気がついて乗ってくる。
姉 「みゅうちゃん」
みゅうAside「お姉ちゃん、仏若手デザイナーの(アレクシスマビーユ)のデニムジーンズかっこいいよ。日曜に買っちゃおう」
姉 「みゅうちゃんこれ欲しい?」
みゅう「え?」
姉 「朝からずっとこれ見てるでしょ」 
みゅう「お姉ちゃん似合ってるもん」
姉 「みゅうちゃん、あさってお買い物行こうか就職祝いに」
みゅう「やたー。え、また、いいの?」
×   ×   ×
東二病院前で止まるバスを降りると公園の坂道はなかなか暮れていかない夕暮れ。

○ みゅうの家 自室(同日22時45分)
インターネットをしているみゅう。AMZに入力してみるとちょうど在庫切れ。
みゅう「全部読んじゃった。でも図書館てすごいのね。AMZでもすぐ手に入らないのに」
入庫待ちのアラートにして寝てしまう。

○ O病院 待合室(翌日土曜朝7時35分)
  白衣のみゅうが一人で待合室に入ってくる。

○ みゅうの回想(2時間前の自宅)
みゅう目覚めて 
みゅうAside「アキちゃんが茨先生の外来の翌日夢見たって言うから、いつもは夢なんか見ないのに。梅雨明けの雨の境目に追いつかれてずぶぬれになったそっくりの顔のオンディーヌの夢を見たわ。オンディーヌって水の中で泳いでも大雨の中を走っても髪の毛さらさらで濡れないはずじゃ。恋をすると永遠の命もなくなり、魔法も衰えだす。って昨日、本に載ってたけど。水にも濡れるようになるんだっけ?もういいわ。ちょっと早いけど」
と、おきていつもより早く病院へ。

○ O病院 待合室(翌日土曜朝7時35分)
看護婦「SASの人のバイタルとったらすぐファイバーもって追いかけるから」
部屋を出るところで、看護婦はレントゲン技師に声をかけたが、いつもと違う申し送りがカルテの表紙に貼ってあるのを見て部屋に戻りかける。
レントゲン技師「先に透視室に行ってます」
ストレッチャーを運ぶレントゲン技師。
看護婦「すみません。もうひとつ確認するので後15分ほどお待ちください」
橘田にそれだけ半身で言うとレントゲン技師を追いかける看護婦。
×   ×   ×
入れ違いでみゅうが病院の受付に挨拶をすると待合室のベンチに橘田がいた。
みゅう「おはようございます」
橘田「お早うございます看護婦さん」
みゅう「眠れましたか」
橘田「全然だめ。さっきからもう少し待ってくれって、なんだか確かめたいからっていうんだけど、もう仕事に間に合わなくなるので帰ったって言ってくれませんか」
みゅう「足のむくみは?」
橘田「今日は寝られなかったのに無いみたいだよ」
橘田「じゃ、帰ったって言っといて」
みゅう「もうすぐ看護婦が来ますから」
橘田「さっきからもう少しもう少しって」
みゅう「えっ。でも…」
みゅうAside「私がやっちゃまずいし」
みゅう「じゃあ、お餅がへこむくらい指圧して押してみて下さい」
橘田は指圧してみるが圧痕は無い。
立ち上がると牛乳を飲みながら帰っていく。

○ 車の中(翌日7月12日日曜朝9時45分)
髪をおろしたみゅうと、運転する姉。
坂道の途中の交差点、鎗が崎を左車線で登りきったところでみゅうが聞く。
みゅう「お姉ちゃんはどうしてにーよんろくから行かないの?あっちの方が早いでしょ」
姉「この坂を左車線から登りきったときの気持ちがいいの」
みゅうAside「あっ。私もここが大好き」
姉はJRのガードをくぐると止まることなくまっすぐと坂を登っていった。
参道に入るとすぐ左の地下HM駐車場へ。

○ O病院 外来ブース奥(7月18日金曜朝8時35分申し送り後)
力なくホワイトボードを見つめるアキ。
アキ「私きっと当分金曜日は茨先生よ」
みゅう「どうしてですか?」
アキ「多分婦長がそうしてるのよ」
みゅう「でも見ないで磁石つけてきますよ」
アキ「きっと何か変な目印をつけてるのよ」 

○ O病院 外来ブース(同日朝8時45分)
すでに外来でカルテを見ているの茨。
アキは遠目に見てみゅうに
アキ「あれ先週のオンディーヌの人のカルテよ。先生ポリソムノいかがでしたか?」
茨 「どこにも書いてないよ」
アキ「結果は後ろになります」
茨 「下肢の浮腫がどうか書いてないんだ。あの日の当直の看護婦は誰ですか?」
アキ「申し送りが貼ってあります。急患の対応中に患者様が帰宅されましたって」
みゅう「マイナスです」
アキに言う。
みゅう「先週土曜日、朝見たの。マイナスです、浮腫はありませんでしたって先生に教えてあげてください」
アキ「あなたが押したの?」
みゅう「いえ、医療行為はだめだから私じゃなくて本人にやってもらいました」
アキ「マイナスだそうです」
茨 「えっ?」
アキ「加藤さんが確かめたそうです」
茨 「軽く押したぐらいじゃ陰性所見にならないよ」
みゅう「お餅でしょ」
茨 「そう。マイナスか。SAS検査もAHI(apnea-hypopnea index) 2.0(5-15以上SAS)でマイナスだ」
茨しばらく考え込んで
茨 「ジアゼパムは500ng/ml(600-1000)でプラス!」
アキ「でももう飲んでないって」
茨 「検査マイナスだ。本人が言うより十分寝てるじゃないか。しかもSASマイナスの日は浮腫もマイナスってどういうことだ。SASの検査の日は寝られてたかは、わからないか?」
みゅう「全然ねられなかったそうです」
茨 「SAS検査はマイナスで無呼吸もほとんどないし脳波でも十分寝てるじゃないか。しかもSAS検査マイナスの日は浮腫もマイナスだったってどういうことだ」
アキ「じゃSASで病院泊まった翌日には浮腫も出てないし本人の自覚は無いけどSASじゃ無かったってこと?」
茨 「少なくとも本当にジアゼパムを内服しない日は浮腫がなく、睡眠時無呼吸(SAS)でもない。家にいるときはジアゼパム+で浮腫+。」
アキ「でもどうして浮腫のチェックしてもらったんですか。どうして本人の自覚が無いのにジアゼパムがからだの中に入っているんですか?」
みゅうAside「どこでジアゼパムを内服してたの」
茨 「病院にいるときは浮腫が無くてジアゼパムの内服の機会が無くて、家にいるときは浮腫があってジアゼパム+なら本人の知らない間に家で内服しているとしか考えにくい」
アキ「ね、どうしてわかるのか?」
みゅう「なんか違うわ」
アキ「そうよなんか普通と違う。みんなもどうしてわかるのか不思議なのよ」
みゅう「自分では内服してないし依存性がいやだって、おっしゃってましたがどうしてジアゼパム+なんですか?」
茨 「誰かが本人の自覚なしに飲ませているんだろう。毎日。よく寝られてるってもう依存してるよ」
アキ「じゃあ、誰が?」
茨 「毎日飲ませられるならやはり同居してる人、奥さんかなあ」
アキ「でもどうして?」
茨 「これは全くのあて推量だけど、本人がよく寝られてるって言ってるから良かれと思って飲ませて眠らせているのか」
アキ「でもどうやって手に入れたんですか?ジアゼパムってそんなに簡単に市中薬局とかで手に入るものなんですか?」
橘田一番で入ってくる。
茨 「今まで浮腫が良くなった日はありましたか?」
橘田「検査の日以外は無いです。検査は?」
茨 「今日は奥様は?」
橘田「昨日朝駅に行くとき私が運転してたんですが朝から居眠りしていて事故って、今日も近所の整形外科病院で首が痛くて頭が回らなくって検査を受けているんです」
茨 「睡眠時無呼吸症候群によると思われる低酸素血症があって、低酸素症の肺血管反応による肺高血圧症、肺の血液のうっ滞から浮腫が起こっている可能性があります」
アキ「まさ魔法によって、眠ると呼吸できなくなるオンディーヌの呪いじゃない」
みゅうAside「オンディーヌは眠剤を除外ってなってたけど」
茨 「奥様から電話いただけますか。だめなら必ず来週来てもらえますか?それから奥さんにジアゼパムがご主人から検出されたとお伝えください。それで治るかもしれません」
橘田「わかりました」
  橘田は帰っていく。
茨 「呼吸努力関連覚醒でもう居眠運転まできてしまっている。あれじゃ睡眠時無呼吸症候群は間違いないだろう。」
アキ「奥さんに電話しないんですか」
茨 「だって治す気があるならご主人が何とか連絡取らせるよ奥さんからこっちに」
アキ「誰かが飲ませるなって言わないと」
茨 「電話してきたら俺が言うよ」
アキ「電話してこなかったら?」
茨 「治す意思の無い患者、その家族へのその場限りの押し売りはやっちゃだめだよ。その場限りの押し売りは厳禁だ。感情論でその場限りで説得するもんじゃない」
アキ「でたー」

○ O病院 外来ブース(同日16時45分)
アキ「奥様から電話ありませんね。橘田さんに電話してみます」
茨 「どうぞ」
アキ「出ません。OFFです。どうしましょう明日も電話してみましょうか?」
茨 「いいけど、俺からは電話しないよ」
アキ「ほら言うわよ」
茨 「俺はプライベートには立ち入らない」
アキ「お得意の」
茨 「青臭い立ち入りは一瞬で終わりじゃないか。みんな誰だって説得されるまでも無くそうは思ってるが継続できないからそんな苦境に立たされてるんだ。介護で言えば、介護は365日24時間なのに。それをサポートできる訪問看護なり、社会資本なり、介護なり何回でも書類を書いて患者と家族が社会的に自立できるようにすることが大切だ」
みゅう「何言ってるんですかこの人?」
アキ「いつもこうなのよ、とにかくこっちから尋ねて行ったり時間外のときに電話したりは絶対しないの」
みゅう「でも先週最後まで見届けるって患者に大きいこと言って約束したばかりじゃないですか。来週って言ってたけど事故っちゃってるのに。何で直接飲ませるなって奥さんに言うよう、橘田さんに言わないんですか」
アキ「でもなぜか良くなっちゃうのよ。ああ言ってるけど後で隠れて電話してたりして」
みゅうAside「絶対そんなことするキャラじゃないわ」

○ O病院 通用口(同日金曜日18時45分)
夕方通用口を出るとアキが立っている。
みゅう「今日は図書館行かないんですか?」
アキ「テスト明日じゃない。実は会場の大学北病院は家から近いんで今日は実家に帰るの。テスト勉強した?加藤さん?持ち込みOKだからなんとかなるかしら」
アキ「問題集の問題は分野別になってなくて不親切ですよね。いちいち探して参考書にチェックしなくちゃならないから」
アキ「えっ?そうなの?加藤さん写させてもらっていいかしら。」
みゅう「もちろんいいんですけど私は全部家においてきちゃって」
アキ「ちょっと行っていい?」
みゅう「ええ、バスで一本です」

○ みゅうの家玄関(同日19時10分)
母 「英利華がお世話になっております」
アキ「突然すみません同僚の水谷アキです」
姉 「ただいま、いつも英利華がお世話になってます。姉の久美子と申します。みゅうちゃん、オペラとサンマルク買ってきたわよ」
みゅうAside「やったー。プリムール」
母 「部屋にお茶を入れるわ。ご飯は?」
みゅう「私たち夕食買ってきたから」

○ みゅうの家ピアノのある部屋(同時刻)
  みゅうとアキが食事をしている。
アキ「どうしてみゅうちゃんなの?」
みゅう「私もよく知らないんですけど子供のころ自分で呼んでたらしくって」
姉 「ごゆっくり。無理しないよに」
オペラとサンマルクを持ってきた姉。
アキ「お姉さんきれいね」
みゅう「ホントかっこいいです。」
アキ「よし早く食べちゃおう、10時までに駅に着かないとバスがなくなっちゃうんだ」
みゅう「真中の駅まで送っていきますから」
  ×   ×   ×
10:30にようやく終わる。雨と風が強い。
アキ「もうバス無いから寮に帰るね」
みゅう「アキさん送って行きますよ、ご実家のほうが会場に近いんじゃなかったでしたっけ。どちらですか?」
アキ「青インターからすぐではあるけど」
みゅう「じゃあ東名で送ってきますよ」

○ 青インター付近の田んぼに囲まれたマンションの前(同日夜11時)
  車の中のみゅうとアキ。ムーンルーフを開けると蛙の声で会話も聞こえにくい。
アキ「よかったら上がってって」
みゅう「もう遅いので失礼します」
雲が見る見る流れていって車を降りると梅雨の横浜だというのに天の川がみえる。
みゅう「天の川よね、あの角度」

○ 大学北病院11階カフェテリア(翌7月18日土曜日試験当日)
試験当日昼休み。みゅうとアキ。
アキ「加藤さんホントにありがとう、多分二個ぐらいだったわ、わからないの。この調子なら午後も何とかなりそうね。昨日は送ってもらっちゃってありがとう」
みゅう「私こそ。あの後、天の川が見えたんですよ」
アキ「加藤さんはどうしてうちの病院に勤めることになったの?しかもこんな時期に」
みゅう「知り合いが人がいなくなったので手伝ってほしいといわれて」
アキ「ふーん」
昨日チェックしたテキストを出して
アキ「私ちょっと山張ってみたの」
と、チェックしてない問題を4、5問出すが全て答えるみゅう。
アキ「加藤さんも問題出してみて」
みゅう「じゃあ昨日のチェックが三個以上ついてるやつから」
アキは半分程度しか答えられない。。
アキ「持込OKだから早めに行っても一回チェックしとこ、早めに会場に行って」

○ 大学北病院2階精神科外来前(7月18日土曜日試験当日12:45)
臨床講堂へ行く途中の二階の精神科外来の前を通る二人。プリムールの箱を見つける一瞬立ち止まるみゅう。
居眠りの中年女の横に座ってプリムールの箱からプリンを取り出しねだる少女。
居眠りの女が眼を開けると橘田の妻。
みゅう「アキさん、あの人橘田さんの奥さんじゃないかしら」
アキ「そうだったかなあ?」
みゅう「きっとそうです。それにあの子供に、プリムールのプリン、間違いないわ」
子供がぐずり順番を聞きに精神科のカウンターに行くポリネックの女。
アキ「精神科に受診するのね」
みゅう「アキさんジアゼパム」
アキ「えっ?」
みゅう「アキさんここにジアゼパムがあったんじゃないんですか?」
アキ「奥さんが自分のために処方されてた薬を橘田さんに飲ませてたってこと?」
みゅう「私飲ませないように言ってみます」
アキ「入職のとき聞いてると思うけど私たち医療行為しちゃだめなのよ」
みゅう「知ってますけど…」
アキ「それに茨先生はこういうプライベートに立ち入るの一番嫌うんじゃ」
みゅう「たまたま偶然あったんだから個人情報とかを利用してる訳じゃあないですよね」
アキ「確かにそれなら、茨先生も文句ないでしょうけれど。もう茨先生と連絡取れてるんじゃない?」
みゅう「アキさん先に行っててください。まだ15分以上あるから間に合うと思います」
アキ「もう行こうよテスト勉強しようよ」
みゅう「だってここで話とかないと来週来ないかもしれないし」
アキ「大丈夫よ。先生があれだけご主人に言ったんだから来週来るよ」
みゅう「そうですよね」
アキ「大体なんで私たちが話しをしなきゃいけないのよ。茨先生はその場限りの治す意思の無い人への押し売りやその場限りの厚意が大嫌いなの」

○ 回想・診察室(先週の金曜日)
茨 「浮腫の原因は低酸素状態からきているんだろう」

○ 回想・診察室(昨日の金曜日)
橘田「昨日居眠りで事故って家内が調子悪いんですよ」

○ 大学北病院2階精神科外来前(7月18日土曜日試験当日12:45)
みゅう「やっぱりジアゼパムが浮腫の原因になってるかもしれないとお話してみます。一言だけ」
みゅう「橘田さん」
みゅうが呼んでも返事が無く、仕方なし
にみゅうが目の前に立つ。
みゅう「私、O病院外来クラークの加藤と申します」
驚いた様子の女。声を荒く
女 「どうしたのこんなとこまで」
待合カウンターから
受付の女「上条さん」
呼ばれて女は逃げるように外来のブースに消えていく。
アキ「苗字が違ってるのね、内妻ね」
みゅう「私、待ってお話してみます」
アキ「加藤さんもう一時過ぎるわよ」  
みゅう「すみません、ひとこと言ったらすぐに追いかけますので先に受けててください」 
アキ「早くね」
アキはみゅうをおいて臨床講堂に向かう。

○ 大学北病院2階臨床講堂テスト会場(7月18日土曜日試験当日13:05)
アキは会場に入るとすぐ試験官に聞く
アキ「遅刻は何分までですか」
試験「30分」
30分弱でテストが終わるアキ。みゅうは来ない。

○ 大学北病院2階精神科外来前(7月18日土曜日試験当日13:25)
女が出てくる。みゅうがまだ待っているのに驚くが観念した様子。
みゅう「ご主人のむくみですがジアゼパムが検出されてそれが原因のようです。除去しないとお命にかかわるんじゃないかと」
女 「聞いてますよ」
みゅう「じゃ、やめていただけますか」
女 「言われなくてもやめるつもりですよ」
感情的な女。そのまま帰りそう。
みゅうAside「ぜんぜん聞いてないわね」
受付の壁の時計が13:30にカチッと動く。
みゅう「ジアゼパムを飲んでない日は浮腫もないし睡眠障害にもなってないんです」
女 「わかりました。待ち伏せまでされたらやめますよ」
女は怒って帰ろうとすると、バーチャル水槽の金魚を見ていた少女がいすの上に立ってプリムールの箱に入っているドライアイスの包みを開けてケースの上に投げる。
カチンとフタのガラスに当たる音がして何も起こらないのを見て少女、
少女「ママこの金魚、変(へん)」
みゅうAside「えー、この子がなのー」
女 「何してるの、お薬もらって帰るよ」
みゅう「私たち待ち伏せしたんじゃないんですホントに偶然なんです」
逃げるように帰る女に言い、急いで臨床講堂に向かうみゅう。

○ 大学北病院2階臨床講堂テスト会場(7月18日土曜日試験当日1335)
臨床講堂のアキ荷物を片付け。
アキAside「よし呼びに行こう」
アキ「ハイ」
試験官「?」
アキ「出てもいいですか」
試験官時計を見て
試験官「いいですよ」
アキが走って臨床講堂の二重扉の二つ目を出た瞬間、思わず声を出す。
アキ「みゅうちゃん」
みゅうは二重扉をひとつ開けたところだったがアキの呼ぶ声に一瞬立ち止まり、入りかけたドアを出る。みゅうに気づいたアキ。
アキ「みゅうちゃん!!!早く。」
眼が合って
みゅう「心配してみに来てくれたのね。ありがとうアキちゃん」
みゅうAside「でもあなたが出ちゃうと入室できないんじゃ」
みゅうが入っていくと試験官が
試験官「退出者が出たからもうだめですよ」
みゅう「えっ?」
試験官「普通なら5分6分はいいんですが、もう退出者がいるのでこの会場には入室できません」
みゅうAside「そうよね」
みゅう「テストは失格で結構ですが走ってきたのでちょっと休んでいいでしょうか?」
呼吸を整え15分程度したところで
試験官「受けた振りしてもしょうがないでしょう。答え合わせしたら判っちゃうから」

○ 大学北病院2階臨床講堂テスト会場
 講堂横のロビー(同日試験当日13:50)
  みゅうを待っていたアキ
アキ「みゅうちゃんもう終わったの?」
みゅう「遅刻で失格だって。間に合わなかったの」
アキ「えー!?だって一時35分だったでしょ。私も一緒に行って話してあげるよ」
みゅう「有難う、次ぎうけるからいいわ」
アキ「テストは昨日チェックしたとこからほとんど出たのよ」
みゅう「それより私が橘田さんの奥さんと話していて受けれなかったってことは内緒にしといて」
アキ「どうして?」
みゅう「それこそ患者のプライバシーだから。婦長にも井村さんにも絶対に内緒だよ。」
アキ「う、うん」
みゅう「結局お話してみたけど無駄だったみたい、奥さん逆切れして帰っちゃったの」

○ 車の中(翌日7月19日 日曜9時45分)
髪をおろし一人で運転するみゅう。鎗が崎の坂道の交差点を登ってJRのガードをくぐって右折する。雨の中。
みゅうAside「やっぱりこの道がすき。お寺で広がる前の一回狭く力が蓄えられるような弓が引き絞られるような感じが好き」

○ みゅうの家 居間(同日同時刻)
  母、姉。
母「みゅうちゃんは?」
姉「先週のRRLのデニムとりにいくって」
母「この雨の中?」
姉「このくらいダイジョブだって」
母「濡れないってこと?」
姉「テストのことよ」

○ O病院 外来診察室(7月24日日金曜日14時45分)
みゅう、アキ、茨。女も橘田も来ない。
アキ「3時までにこなかったら電話しましょうか。忘れてるかもしれないし」
茨 「いいよ」
アキ「治ってなかったらどうしましょう」
みゅうAside「来なかったら私のせいね」
みゅうが電話する。
  ×   ×   ×
みゅう「出ました。OHPの外来クラーク加藤と申しますが…。」
女 「またあなた」
みゅう「はい、今日いらっしゃりますか」
女 「今出るところよ」
  と、電話が切れる。困惑するみゅう。
みゅう「今出るそうです、先生この前の土曜日…」
アキ「先生、奥様いらっしゃれるそうです」
  言葉をさえぎるアキ
アキ「大丈夫だよ来るって言ってんだから」
    ×   ×   ×
○ O病院 外来診察室同日16時30分
女が入ってくる
女 「すっかりよくなって、むくみも消えました」
茨 「何よりでした。根本的にはダイエット等長期管理をするので次回は栄養指導をします。来週予約を入れました」
茨は淡々と話し女は出て行く。
みゅうとアキは栄養指導の説明を前室で。
女 「電話が無くても来るつもりでした」
みゅう「えっ?」
女 「先週主人からジアゼパムが検出されて奥さんを必ず次週呼んでくれって言われたって聞いたときに、主人は前のが残ってるってて言われて信じてましたけど。主人に私が飲ませてると先生は知っていたのに、主人には知れないように言ってくださって、本当に有難うございました」
  茨の配慮を思い出し目が潤む女。
みゅうAside「えっ、そこまで考えてたの?」
女 「先生は私が飲ませたかどうか今日もお聞きにならなかったけれどきっとご存知なんでしょうね。本当にありがとうございました、良くして頂いて。絶えず努力するものを救おうとする天子が見えました」
みゅうAside「うーん」
アキ「ね。なぜかこうなっちゃうのよ。きっと私たちが何もしなくても治ってたんじゃないの。茨先生の思惑通りね」
みゅうAside「違う。この人は、そんないい加減な思惑なんか考えないわ」
アキは通常通りにブースに戻る。
一人残されるみゅうに、逆の通用口に帰ろうとする茨が通り過ぎる。
茨 「お疲れ様、お先に」
思わずみゅうが呼び止め、視線を落とし、
みゅう「あのー、先生…突然変なことですけど、私、奥様が来るとは思ってなかったんです。先生はどうして信じてられたんですか」
茨 「君が奥さんを信じる信じないはどうでも良いけど、わざわざ病院に来る人で悪くなりたくて来る人はいないよ」
  みゅう、少し目線を上げる。
茨 「君は病院に来て間もないし、これは、ベテランの人も考えてないかもしれない当たり前のことだけど、病院にわざわざ来る人は、よくなりたくて来てるんだよ。治療する側もされる側もそれしかないよ。君だってよくなって欲しいからもし来なかったらって心配してたんだろ」
みゅうAside「そりゃそうだけど、そこまで信用するの…」
○ 東二病院前バス停 同日18時30分
満員のバスを降りると傘を出している姉の横を一瞬急に降り出す雨に向かって歩き出すみゅうを見て姉が呆然と見ている
100m幅の雨が通り過ぎる。
夕方の紫の歩道橋が雨にけぶって見えた。姉が傘をさし出し
姉 「びしょぬれじゃない」
みゅう「お姉ちゃん!」
みゅうAside「テストよりもこっちを選んだわけじゃないし、この仕事に価値があるようには思えないけど、もう少しだけ続けてみてもいいかなあ」
公園の坂道の向こうの歩道橋が揺らいで見え、一週間遅れの小笠原気団が自分を覆って包んでいくのを感じた。







   城南風(じょうなんふう)
    
       症例1:妖精オンディーヌ

   城南風(じょうなんふう)
    
       症例1:妖精オンディーヌ
   六十枚
一日百人近い患者を診ている中でも、治療困難な症例を見逃さずにわずかな異常をも発見し、原因を追求治療していく医師茨35歳。
これまでは一人ですべてを解決している茨だったが外来クラークとしてみゅう22才がやってきて、なぜか単なる事務員の彼女が治療困難な症例の解決に関わってくるようになる。足手まといになるというよりは症例はむしろスムーズに解決していく。症例1:妖精オンディーヌ。症例2:ハッジ(メッカ巡礼)症例3:奇跡の血涙と続く今回は二人で扱う第1例目の困難症例。みゅうはただ単なる事務員として接しているのだが、茨のことを普通の医者とはどこか違うと感じている。
今日も普通を装う患者の中に混じって治療困難な体重100キロの男性がやってきた。二ヶ月以上続く両足のむくみ。いろんな病院にかかったが治らず。茨は鋭い診察眼で彼の病気のみならず、その原因をも看破する。原因は本人にも身に覚えの無い睡眠剤だった。不眠を訴えるが、依存を嫌い飲まないでいた男性に内妻がこっそりのませていたのだった。
睡眠剤による呼吸抑制により低酸素血症が生じ、静脈の循環障害により足に浮腫が生じていたのだった。似たような二酸化炭素の上昇する病気があり、オンディーヌの呪いという名前であるという。この病気を特集した医学誌の表紙のオンディーヌの絵はみゅうにそっくりな少女であった。オンディーヌは恋をすると不老不死の魔力がなくなり、水の妖精なのに水にも濡れるようになるという。
みゅうの就職四日目のこの日、就職初日に引き続き病院の待合室の9万円の金魚が二度目の全滅をする。理事長が悲しまないようにと全滅した金魚に代わってみゅうが就職初日に買いに行かされたものだった。茨は原因をドライアイスであろうと推測するが誰が水槽にドライアイスを入れたかは謎だった。
その翌日、就職早々いやいや受けさせられた医師補助業務資格テストの試験会場の大学病院でみゅうは男の内妻が精神科外来で眠剤をもらおうとしているところを見つけて、テストの時間が迫るぎりぎりまで女を説得するが、女は怒って帰ってしまう。その間に連れていた少女は持っていたケーキの箱にあるドライアイスをバーチャル水槽に投げ込んでいた。変化しない映像の金魚に、不思議がる少女。金魚の死因も彼女たちだった。みゅうは遅刻でテストを受けられないが、アキに患者のプライバシーなので内妻に会ったこともテストのことも内密にと頼む。
もう現れないと思っていた翌週金曜日外来、内妻のみ来院、眠剤も飲ませるのをやめ、男の浮腫もよくなったと感謝して帰る。安堵したみゅうを尻目に、当然というような茨。
単なる事務員として就職したはずで、3週間たっても仕事に意義は見出せないけれど、妖精オンディーヌそっくりのみゅうは、梅雨明けを告げる雨になぜか濡れながらも、もう少しだけ続けてみてもいいかと思うのだった。


原因究明を優先したため一足違いで老母の感染の危険を救えなかったみゅうは二人を追いかけるが、みっくん22歳に再会するせいで見失う。
初恋の人は四年ぶりに音楽コンクールの為に帰国しているという。楽コンの本戦出場をかけた最終予選の日曜日の午前中は老母が教会に現れる数少ないチャンスでもあった。本戦をかけたみっくんの応援に行くか、茨に言われ老母への感染の危険を知らせに行くか。迷ったみゅうのとる道は。
迷った挙句、茨に言われたサレジオ教会を取り、無事親子に感染の危険を注意できたみゅうだったが…。第三話にして茨とみゅうの仲は急に近くなっていくが、お決まりのライバル出現に二人の行く先は?危うし茨。


                   HAJJ  みゅう     

222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222222

ナレーション「2009年10月3日国際オリ
ンピック総会は決選投票の末2016年夏季オリンピックの開催予定地にリオデジャネイロが決定したと発表した。招致に成功したリオデジャネイロは40億ドル日本円で4000億の予算を計上していたと公表しているが、東京の予算はわずか100億円でありしかもわずか一社の代理店に53億円の随意契約をしているに過ぎなかった。

○ インサート シドニー.アテネ北京オリンピックの写真絵
ナレーション「シドニーアテネ北京ロン
ドンと四大会連続で立候補していたイスラム教徒が90%以上を占めるトルコのイスタンブールは、今回は立候補をみおくっていたものの、リオデジャネイロオリンピック発表の一ヶ月後11月10日に2020年大会の招致に向け、立候補を表明した。しかしながらいまだイスラム教圏でのオリンピック開催の実績はない。

○ みゅう(加藤英利華22歳)の勤めるO病院、待合室 (9月11日 金曜日 朝8時)
男の靴のアップから。ベンチに座って女(桧垣小汐29歳)と一緒に順番を取っている男(ムハマド・ハリーファ33歳)。

○ インサート 聖地の写真 中央アフり
カの写真
 ナレーション「11月のアラブには巡礼の嵐が吹き荒れ聖殿の周りを取り巻く渦に向かって世界中からこの1週間で約200万人とも言われる人が集まってくる。中央アフリカはこの乾季髄膜炎菌による髄膜炎の発生が多くこの地帯は髄膜炎ベルトと呼ばれている。皮肉にもこの地帯はイスラム教国でありこの人々が一気に、渦の中心を目指するように100万人を収容する聖殿に集中する。巡礼に集まった人々は髄膜炎菌を保菌したものも含め世界中の母国に返っていく。このため2001年にはロンドンで巡礼後帰国者によると考えられる大量発生(OUT BREAK)が生じている」

○ インサート ムハマドが靴を脱いで、巡
礼着(イフラーム)に着替えている。聖地にいるムハマドの脱いだ靴のアップ。

○ インサート 聖殿を回って巡礼を行って
いるムハマドの写真。

○ O病院待合室(9月11日 金曜日8時)
ナレーション「ムハマドはこの渦の中から無事帰国できたが、彼はこの一週間、髄膜炎菌にさらされ続けていた」
アラブにいたムハマドの靴と同じ靴のア
ップから。ベンチに座って頭を押さえつらそうな桧垣と一緒に順番を取っているムハマド。
ムハ「またこの病院のこのベンチだ」

○ みゅう(加藤英利華22才)の部屋
(9月11日 金曜日 2時間前 朝6時)
大型スピーカーから曲。ダッタン人の踊
り。目覚めると、寝ぼけながらも手際よくスウェットを身につけるみゅう。

〇 みゅうの家キッチン・居間(同時刻)
黄色のラブラドール(村上)を連れて出て行こうとすると、朝食中の姉(加藤久美子24歳)のケーキに村上が手を伸ばす。届かないようにケーキを持って立ち上がる久美子。
久美子「だめよ」
久美子の腰にじゃれつく犬
みゅう「怒って。それ昨夜もわざわざBUITONI(ファミレス)に買いに行かされたのに。」
姉 「みゅうちゃん雨が降りだしそうよ」
みゅう「村上にだって昨夜あげたでしょ。」
  
○ みゅうの近所の東二病院バス停前
(9月11日 金曜日 朝7時)
傘で散歩のみゅう。早足で姉が追い越す。
姉 「行ってきます。いい子でね、村上」
みゅうAside「お姉ちゃん、ニューヨークブランド(Diane von Furstenburg)のラップドレスかっこいい。今日は雨なのにギャラリー大変ね」
 
○ O病院事務室(9月11日金曜日8時)
医事課の男井村と医事課の女青木
青木「この介護認定の人もう来てるのよ。」
井村「無理だよ。60歳以下で髄膜炎じゃ介護認定だめだって昨日電話で断ったんだろ」
青木「疲れたってベッドCで寝てるわよ」

○ インサート アラブの砂漠の中のリゾー
トのテニスコートの写真
○ ナレーション「トルコに先んじようと、中東のアラブの盟主たるその大国はオリンピック開催の可能性を探るため、まずトルコでは開催済みのプロテニストーナメントの開催が可能かインフラ等含め調査を依頼した。自国自前の開催であることをアピールするためにもアラブ国籍であるムハマドハリーファが、病に倒れた前任者に変わり指名された」

○ 在日アラブ大使館(十ヶ月前)
滞在査証課の職員の机 横に“渡航時、
髄膜炎菌予防注射“の張り紙。電話中の職員。
職員「こちらは大使館滞在査証課です。ハリーファ様お問い合わせの件ですが、ご本人様、本国籍の上、王立文育長よりのお招きになっておりまして、全くご心配に及びません」

○ ハリーファの代理店人事課(十ヶ月前)
電話を受ける人事課の女(広子)
広子「ありがとうございました」
  電話をかけなおして
広子「ハマダさん、確認OKよ、お元気で」

○ O病院待合室 
 (9月11日 金曜日 朝8時)
アラブにいたムハマドの靴と同じ靴のア
ップから。ベンチに座って頭を押さえつらそうな桧垣と一緒に順番を取っているムハマド。
ムハ「またこの病院のこのベンチだ」
小汐「大丈夫よ、兄さんだって助かったし」
ムハAside「大学病院の頭痛外来だって治せないっていうのに。桧垣さんだってまだ入退院繰り返してるっていうじゃないか」
その前を通り過ぎるピンク色のパンタロ
ンの白衣のみゅう。

○ O病院外来ブース奥 (同日朝8時半)
ブースの奥で、外来クラーク看護婦、婦長のミーティング。みゅうが端に加わる。
婦長「お早うございます。今週はすでにインフルエンザの患者が30人を超えています。予防接種の問い合わせは全て保健所に対応してもらうように通達がありました、以上」
婦長の周りにクラーク七人が集まり奥の
ホワイトボードに付けられる自分の名前の張ってある磁石を見つめている。
みゅう「内科はやったから今日はないわね」
  外科、整形、と磁石がつけられ内科にな
って加藤の磁石をつける婦長。
みゅうAside「うっ。ひとり立ち早々に」
アキ「みゅうちゃん、茨先生よ」
みゅう「さっきは10人しか入ってなかった」
アキ「今日はきっと何かあるよ。少ないときでも時間通り終わんないのよ」

○ 外来ブース1(朝8時39分)
事務の男井村が茨と話している。
井村「誰も書くって言ってくれないんです」
茨 「書くのはいいんだけれど俺は週一の非
常勤だし、来て一年にもならないぜ」
出て行く井村、入れ違いにみゅう。
みゅう「おはようございます」
みゅうAside「覚えてないわよね」
茨 「お早うございます」
みゅう「今週から一人付きになったばかりな
んです。よろしくおねがいします」
茨 「そういえば夏前に来た症例1の両下肢浮腫の人。ケーキも一家でやめたって」
みゅうAside「へー覚えててくれたんだ。じゃ、ドライアイスももう手に入らないわね」
みゅう「あの症例1の人が来てた時、金魚と貝だけ全滅して、その水の中に新しい金魚入れても死ななかったの覚えてますか?」
茨 「あの娘がドライアイス入れてたんだ」
みゅうAside「どうして知ってるの?この人」
茨 「君が俺に信じる理由を聞いてたとき、金網で覆った水槽に娘がドライアイス入れたけどブロックしたって井村さんが言ってた」
みゅうAside「えー、こっちも解決済みー?」
茨 「きみはブービー観る?急に来週、城南地区の病理学会の世話人会に行かせられて」
みゅうAside「カジ君じゃない?」
茨 「僕の大学病院の教室は病理で年寄りばかりで。臨床に来てるのは週一回ここだけだから。今日ついてくれた人にって、どう」
みゅう「いいんですか」
みゅうAside「お姉ちゃんと行こ、喜ぶわね」
×   ×   × 
オーダーpcに向かう茨。画面の一番上の
名前をクリック。9時の始業開始のアナウンスでブースからクラークが患者を呼び入れる。
みゅう「内科一番診察室からお呼びします」
60歳には見えない男性を車椅子に乗せ入
ってくる30代の娘と、ヘルパーの60代の女性。
みゅう「朝言ってた介護認定の方です」
娘 「三ヶ月ほど前、髄膜炎になって、これがそのときの病名です」
退院証明書のみを持ってきて茨に見せる。

○ インサート
  退院証明書  病名 髄膜炎 治癒
茨 「昨日退院したばかりですか」
女 「両足の麻痺と記銘力障害(記憶障害)が残ったんですが、前医では60歳未満なので介護認定は取れないといわれて」
茨 「通常は脳卒中では可能となってます」
女 「髄膜炎の原因菌は不明だといわれたけどネットではアフリカが中心で日本では珍しいって。それなら難病指定にはならないの」
茨 「珍しくはないですよ。先行感染といって肺炎や中耳炎などで熱があってそれから脳に炎症が及びます。診察をさせてください」
  男のシャツをめくるみゅう。聴診する茨。
女 「看護婦さん血圧測ってもらえますか」
みゅう「すみません、私、クラークで医療行為はできないんです、すぐ呼んで参ります」
茨 「紹介状もなくてうちの病院の情報が何もないのでせめてCTを撮らせてください」
出て行く車椅子の男とその娘、ヘルパー。
みゅう「アフリカって有名なんですか?」
茨 「さあ?ちょっと教科書見てくる」
受けつけがないのを確認し茨は出て行く。
みゅう「こんなにすいてるなんて珍しいわ」

○ 脳外科外来ブース横の本棚前(9時)
  茨は、脳外科の教科書を本棚から出して
みる。横からWaterhouseという名を見つけて、
みゅうAside「ウォーターハウスってオンディーヌの画家と同じ名前ね」
みゅう「ウォーターハウス・フリーデリクセンってどういう病気なんですか」
茨 「Waterhouse-Friderichsenて、そういや髄膜炎菌があったよな。ここにも書いてあるように劇症型の髄膜炎です。俺はみた事ないけど」
一人、新臨床内科学第九版を読むみゅう
 
○ 教科書画面インサート
Waterhouse-Friderichsen症候群
急速進行型、48時間以内に死亡。白血球
増加などの炎症所見に乏しい。予後不良。急速型以外でも治療開始のわずかな遅れによって重篤な中枢神経の後遺症が残る。

○ 事務室奥(9時10分)
○ インサート インターネット画面
国立感染症研究所感染症情報センターHP
Waterhouse-Friderichsen アフリカ アラブ

茨 「Waterhouse-Friderichsenを入れると確かにアフリカ、アラブの文字が出るな」
みゅうAside「このことを言ってたのね」

○ インサート インターネット画面
米国保健福祉省疾病管理予防センターHP
巡礼帰国者の10%が保菌状態。保菌者の50%は半年後も保菌状態である。大巡礼帰国者による持込でロンドンで集団発生。

○ 脳外科外来ブース前待合室(同時刻)  みゅうが茨の後を追うようにして事務室
を出ると脳外科の受付の前に座っている女性桧垣小汐(29)を看ているムハマド(33)の携帯が鳴る。みゅうが振り返り
みゅう「申し訳ございません、こちらは外科系の外来前で胸部外科のペースメーカーの方が多いので切って頂けますでしょうか」
ムハ「すみません、ごめんなさい」
  出て行くムハマド。

○ O病院玄関前(同時刻)
  電話に出るムハマド
ムハ「はい。ハリーファです」
代理店の男真田「ハマダさん、お休みのところすみません。今日15時からの定例会見で、知事が10月のコペンハーゲンの総会への首相の出席を要請するらしいんです」
ムハ「マドリッドはカルロス国王、シカゴはミッシェル・オバマって聞いてるからこっちもせめて首相ぐらい出ていかないと」
真田「昨夜から調べてるんですけど、国際協会委員の泊まるホテルご存知ですか」
ムハ「マリオットだろ」
真田「助かりました」
ムハ「たまたま日本協会の人間と連絡が取れなかっただけなのかもしれないけど、先週までずっとアラブにいた俺が知ってて当事者のお前らが誰も知らないってどうなってんだ」

○ 脳外科外来ブース前待合室(同時刻)
ムハマドが出ていくのを見計らったように女(桧垣)に呼び止められるみゅう。
桧垣「看護婦さんすみません。少しめまいで、動くと吐きそうで、ゲロ袋ありませんか?」
みゅうAside「あら、キレイなひと」
みゅう「今看護婦さんを呼んできますので」

○ 処置室処置ベッドF(9時15分)
車椅子を持ってきて、看護婦と一緒に一番静かな唯一窓際の処置ベッドFに寝かせるみゅう。立ち去る看護婦。みゅうが残され、
桧垣「横にしてもらって、楽になりました」
看護婦「ベルをおきますのでお呼び下さい」
  処置ベッドの左側にある曇りガラス窓の桟の目の届くところに、イタリアのブランド(Franzi)の真新しいトートバッグを置いて言う。
桧垣「この頭の重さが楽になってくれたら」
みゅう「…」
桧垣「ほんの一瞬でも軽くなってくれたらいいんですけど。ほんの一瞬でも、心の中を行ったり来たりするどうしようもないこの苦しみから何とかして逃れられないかしら」
みゅう「いつから痛いんですか」
桧垣「ひどくなったのは昨夜ですけどもう何年もほとんど毎日痛くて痛くない時はないの。特にこの2週間は仕事にも出られなくて」
みゅう「ご主人お呼びしますか」
桧垣「違うのよ。友人ですよ。」
みゅう明るく慰めるように
みゅう「付添ってくれて、お優しいですね」
桧垣「ああ見えてアラブ人なのよ」
みゅうAside「えっ。どう見ても日本人よ」
桧垣「外出できないってうっかりメール返したら一年ぶりアラブから帰ってきてくれて」
みゅう「すごい遠距離」
桧垣「違うのよ、友人よ。すみませんこれバッグに入れてくださる」
  スウェットのポケットから紙片を出す。

○ インサート シドニー.アテネ北京オリ
ンピックの写真・紙片にプリントされた記事
記事「見出し “イスタンブール早くも2020年夏オリンピック招致に立候補か”:シドニー・アテネ・北京・ロンドンと四大会連続で立候補していたイスタンブールは今回2016年大会招致には立候補を見送っていた。しかしながら2020年大会の招致に向け、アラブその他のイスラム諸国に先駆けコペンハーゲンでの総会直後に立候補を表明する模様」
  しわを伸ばし、バッグに入れるみゅう。
桧垣「このバッグ、わざわざミラノ経由で寝ている私の気を紛らわそうといろいろ手に入れてきてくれたのに、ゲロで汚しちゃって」
みゅう「拭きますね」
  アルコールガーゼでバッグの金具の汚れ
をふき取るみゅう。看護婦が入ってくる。
看護婦「脳外科の先生からCTのオーダーが出たのでご主人戻ったら行きましょう」

○ 内科外来ブース(同時刻)
内科ブースに戻ってみゅう
みゅう「頭痛が一日中ずっと何年も続くことってあるんですか?」
茨 「頭痛を感じたことある?」
みゅう「カゼで熱が出たとき一回だけです」
茨 「筋緊張性頭痛といって(tension type headache)、中年女性の肩こりに引き続いて起こってくる頭痛で頭を締め付けられるようなとか後ろに引っ張られるとか訴えます」
みゅう「眩暈や嘔気が出るんですか頭痛で」
茨 「眩暈で気分がわるくなって吐気、あげくに嘔吐の順に悪くなることが多いよ」
みゅう「原因は?」
茨 「肩こりといわれてるけど、肩こりは治るもんじゃないから頭痛も治らないんだよ」

○ レントゲン室CT室前(数分後)
  車椅子を押している介護ヘルパー紺野。
CT室から出てくるとと急に車椅子から立ち上がろうとする男。股間を押さえている。桧垣を車椅子に乗せ入れ替わりにCT室に入ろうとするムハマドがすれ違いざまひっくり返りそうになる男とヘルパーの紺野を支える。
紺野「ありがとうございます。助かりました。多分トイレに行きたいんだと思います」

○ 内科外来ブース(9時45分)
ヘルパー紺野のみが介助についている。
茨 「娘さんは?失礼ですがあなたは?」
紺野「ヘルパーです。お嬢さんはお仕事で、もうお待ちになれないと帰られました」
みゅうAside「全部ヘルパーにブン投げて帰るってそれでいいの?」
茨は少しも表情を変えずCTを見ながら、
茨 「とにかく何とか介護認定取れるよう頑張ってみましょう。そうお伝えください。介護認定がまだだとすると、あなたは?」
紺野「業者でもないんです。ボランティアです。昨日退院で今日初めて伺いました。」
茨 「だめなら何度でも区分変更で書くからと伝えて下さい。娘さんに伝わらないと後で言われて大変だろうから何かに書きますか」
紺野「大丈夫です。有難うございました」
  急に体を動かす男。自分の股に手をやる。
紺野「多分またトイレだと思います」
茨 「看護婦を呼びますね」
紺野「ヘルパーのボランティアするまで医療関係の仕事でしたので大丈夫だと思います」
ヘルパーは車椅子を押して出て行く。
×   ×   ×
  ひとこと言いたげだったみゅうを察し、
茨 「彼女に言っても娘には伝わらないよ」
みゅうAside「そうよね。その上介護の診断書書いてもらえなかったなんてったら、あの娘さんにやな顔されるんだろうし」

○ 内科外来ブース(10時)
  次は59歳 男性。
インサート健診結果コレステロール235
男2「自分はいつも気をつけているのにこんなはずがない。もう一度計ってほしい」
茨 「判りました」
  茨は採血のオーダーを出す。
茨 「今日は2時間近くかかりますが」
男2「今日出るなら待ちますよ」

○ 脳外科外来ブース(11時)
  ムハマドと桧垣。CTの結果聞いている。
脳外科医師「異常無しですが、一週間食べてないということで点滴を3時間ほどします」

○ 処置室処置ベッドC(11時過ぎ)
  CT後ベッドCに移り点滴を受ける桧垣。
  ムハマドの電話が鳴る。

○ O病院玄関前(同時刻)
  電話に出るムハマド
ムハ「はい。ハリーファです」
代理店の男、真田「予約が入らないんです」
ムハ「こんな時間じゃフロントMGだって起きてないだろ」
真田「MGがだめだって言ってるんです」
ムハ「じゃ日本協会にやらせろよ。うちでさえもうとっくに20部屋はおさえてんだぜ」

○ ムハマド回想(数週間前)
ファックスで指示をホテルに送っている
① イスラムの習慣では豚肉は加工品であ れ食べない。牛肉マトン鳥肉は可能。
② 酒、色のついた水は飲まない。
③ 左は不浄であり、トイレや風呂に入る ときは左足から入る。左を忌み嫌う
④ 一日に五回の礼拝を行う。
⑤ 一生に一度は聖地に巡礼を行う。

○ O病院玄関前(9月11日11時過ぎ)
真田「そっちからやってもだめだからうちでどうにかって泣きついてきてるんです」
ムハ「2012年のロンドンのときは投票前夜にブレア首相がホテルで委員50人の前で猛烈アピールをして最有力だったパリに打ち勝ったって。だからよそはとっくに動いてるよ」
真田「今になって国際協会はホテルの部屋取り合戦が起きないようにってホテル名も公表しないし公表するときは各候補地に平等に割り振るつもりらしいんです」
ムハ「いいようにあしらわれてるんじゃないのか。シカゴはミッシェルのためにスイートをばっちり押さえたって大分前に聞いたぞ」
真田「ハマダさんちょっとだけ戻ってきてもらっていいですか?」
ムハ「ホテルにも協会にもツテはないよ」
真田「ハマダさんなら別ルートあるんじゃないかって」
ムハ「今桧垣さんの妹さんと病院なんだよ」

○ 内科外来ブース(11時30分)
午前中の最後の患者男2を呼び入れるみ
ゅう。玄関にムハマドの電話中の姿を見る。
茨 「結果は241です」
男2「えっ。結果が出てからこの二週間注意してたのに。逆に悪化しておかしいですよ」
茨 「では二カ月後に再検査して高ければお
薬をお出しするという方針で行きましょう」
男2「脂肪はどうでしょうか」
茨 「前回正常だったので計ってませんが。これからだと2時間近くかかりますが」
男2「今日中に出るなら待ちますよ」
  待合室でそのまま待ちそうな男2に
みゅう「二時の一番目にお呼びしますが」
男 「いえでき次第呼んでください。昼は食べないで待ちますから」

○ 処置室(11時30分)
  ムハマドが点滴中の桧垣に話しかける。
ムハ「小汐さん、小汐さん」
  起きない桧垣を見て看護婦に言う。
ムハ「三時間ぐらいかかるっておっしゃってましたが、3時半には戻りますので」
看護婦「ええいいですよ」
ムハ「これ私の携帯の番号です」
看護婦「お休みになってらっしゃるようなの
で貴重品はお持ちになっていただけますか」
ムハマドは名刺を渡し携帯を枕元に置き、
トートバッグ(Franzi)を持って出かける。

○ 臨床検査室(11時45分)
  検査室から昼休みに出ていく数名の技師
たち。若い技師と、技師長のみ残っている。
みゅう「中性脂肪の追加お願いします」
検体を確認しに行くと
若い技師「大丈夫です。これで十分です」
みゅう「今からだとどのくらいでしょうか」
若い技師「一時間30分ぐらいだと思います」
みゅう「早めにやってもらえますか?」
技師長「なんで中性脂肪を優先しなくちゃいけないんだ」
  技師長が横から入ってくる。
技師長「今昼休みで二人しか残してないんだそんな融通をきかしてる暇ないよ。うちは残業とかメリハリの無いことは一切しないことにしてるんだ。そっちで何とかしろよ」
みゅう「判りました」
みゅうAside「そりゃそうよね」

○ 病院外来脳外科ブース(同日12時)
脳外科非常勤谷医師が早足でやってきて
いすに腰掛け荷物をまとめて、白衣を脱ぐ。
アキ「飛行機大丈夫ですか?」
谷 「あと一時間だから大井町線の駅に走らなきゃ。MRIまでとったんだから十分でしょ」
谷 「いけね、カルテにMRIの所見しか書いてこなかった。せるしん(ホリゾン=ジアゼパムの別名)使ったって看護婦に言っといて」
アキ「ハイ、お疲れ様でした」

○ 病院外来ブース(同日13時30分)
数回呼ぶが待ってると言ったはずの男は、
入ってこない。茨が呼ばれてやってきて座る。
みゅう「お呼びしといてすみません」
5分ほどして息を切らせて男がくる。

○ インサートPCの画面
中性脂肪  180
茨 「正常値は超えていますが、治療域ではありませんよ」
男2「薬だしてください。薬で下げます」
みゅうAside「えー。自分で決めないで」
茨 「いいですよ。ただお薬には副作用があって、筋肉の融解の可能性があります」
男2「危険な薬なんですか」
茨 「腿など骨格筋の融解があるとckという物質が上昇します。今日の採血では?」
茨少し首をかしげて
茨 「正常値が222が上限なのに241とすでに正常値を超えていますね。あれ?」
男2「そういえば最近太腿が痛いよ」
  男は自分の太腿をさする。
みゅうAside「それ、お薬飲んだらの話よ」
茨 「ごめんなさいそれはコレステロールでした。cpkはそのひとつ下の欄でした。101で全く正常でした。」
顔を真っ赤にする男。
茨 「腿大丈夫ですか?お薬どうします?」
男2「今日はもういいです」
男は急いでブースを出て行く。
みゅう頭をかかえて
みゅうAside「わざとじゃないわよねえ」
黙ったままの茨。男があわてて忘れていった診察券を受付に渡しに行くみゅう。

○ 病院外来ブース前(同日13時40分)
受付にカードを渡してると午後の外来のために来た婦長がみゅうに
婦長「早いわね」
みゅう「違うの。私が午後一にしてくれって断らなかったから」
婦長「へー、じゃあ昼休に診てくれたの?」みゅう「普通、診ないんですか」
婦長「もちろん必要があれば別よ」
みゅうAside「その割りに、やな顔もしなかったし恩着せがましいことも言わなかったわ」
みゅう「でも、変わってるし、意地悪よ」
婦長「意地悪するような人じゃないわよ」
みゅう「てか、底意地の悪い感じ」
婦長「ふふ、そうね。あら紺野婦長」
  ヘルパーの紺野が事務男井村に向かって
紺野「診断書今日中にお願いできますか」
井村「その日にお書きするのは困難ですが」
婦長「どうしたんですかこんなとこで」
紺野「ヘルパーで来たんだけど、家族が今日中にって、診断書を取りに来させられたの」
事務青木「大丈夫、五時ごろ来てください」
  帰っていく紺野。
婦長「大学北病院のときの偉い婦長さんよ」

○ 処置室(13時45分)
  みゅうが処置室を通るとベッドCの上で
桧垣が半眼でしきりに寝返りえをうっている。
桧垣「すみません、ここはどちらですか」
看護婦「O病院よ」
桧垣「すみません、ここはどちらですか」
看護婦「…。O病院よ」
婦長「どうしたの。体動が激しいわね」
看護婦「頭痛で来たんですけどCT撮ったら急に同じことを何回も繰り返すようになってなぜか左にばかり向く様になって」
婦長「誰が診てくれてたの?」
看護婦「脳外の外勤の谷先生です。念のため、MRIを撮ろうってホリゾン(ジアゼパム)で鎮静したらしくてMRIのときだけ10分ぐらいは寝てたんですけど。先生、気付いたらいなくて、申し送りしてたのかもわかりません」
婦長はカルテを見ながら
婦長「カルテにはホリゾン(ジアゼパム鎮静剤)使ったなんて書いてないわよ。じゃあほんとに使ったのかどうかもわかんないのね」
みゅう横で見ていて
みゅうAside「またジアゼパムなの?」
婦長「とにかく先生に電話してどうなってるのか聞いてみるわ。これじゃ鎮静剤で意識レベルが悪いのかほんとに意識レベルが悪いのか、なにがなんだかわからないわ」
みゅうAside「みんななんでこの安定剤をよく使うのかしら。なんて薬なのこの薬は。毎度ろくなことないじゃない」
  婦長についてきたアキ、不安そうな顔。
婦長「連絡取れないわ」
アキ「谷先生、飛行機の時間がって、とっても急いでました。ぎりぎりまでMRIやってくれて、神経(せーしん)使ったって」
みゅう「アキちゃん…なら二時間は無理ね」
婦長「あなたは午後内視鏡でしょ。加藤さんホリゾンのアンプル探すから手伝って」

○ 放射線科レントゲン受付(13時50分)
放射線科の救急カートを開ける婦長。ホ
リゾンのケースは5本入りの箱に一本分のアンプルの空白がある。婦長がダストボックスのプラスチックのふたの上に使用済みアンプル捨ての内容をぶちまけるがみつからない。
婦長「加藤さん処置室のも探してみて」

○ 処置室(13時50分)
処置室の使用済みアンプル入れと廃棄物
の中を探すみゅう。茨が外来ブースから来る。
看護婦「先生。脳外科で頭痛で診てもらっていた方が意識レベルが元に戻らなくて」
茨 「脳外の先生は?」
看護婦「30分もすれば覚めるだろうって一時前に帰られました」
  カルテを見る茨。
  インサート カルテの記事
頭重感肩こりで来院。CT、MRI異常なし
看護婦「CTの後に同じことを繰り返すように
なって、なぜか左ばかり向くんです」
茨 「桧垣さん、桧垣さん」
桧垣「はい、ここはどちらですか?」
と、顔をしかめ眉間にしわがよる。
茨 「これは?」
点滴ルートの三方活栓の濁りを見つける  
茨 「ホリゾンは何で使ったんですか?」
カルテとオーダーpcを見る茨。
茨 「どこにも書いてないがホリゾンだろうこの濁りは。でもどうして使ったんですか」
看護婦「CTを撮ったら容態が悪化して、MRIを撮ろうって使ったらしいんです」
茨はMRIの画像を見て、
茨 「もう一度CT撮ってみましょう」

○ CT操作室(13時55分)
みゅうはCT操作室の医廃棄用箱を思い出
しやってくる。操作室のダストボックスの壁際にガラスを踏みつける音。足を上げるとホリゾンの茶色のガラスアンプルの首の破片。
みゅう「ここで捨てたのね」
ボックスの後ろに茶色のアンプルを見つ
けるがつかえて手が届かない。CTに来た茨。
茨 「何してるんだ」
みゅう「ホリゾンのアンプルらしいんです」
茨 「よしなさい。素手だろ」
茨はゴミバサミでつまみ出す
茨 「CT撮ってる技師しかいないところで勝手に自分で出して静注したんでしょう」
CTが終わる。
茨 「出血もなし。原因は何だ?CK、NH3、電解質、血糖を、BSはデキスタでもやろう」

○ 東京駅駅前代理店駐車場前(14時30分)
ムハマドの車
丸の内口から濡れながら走ってでたスマ
ートなスカートの広子を見つけ急ブレーキを踏む。助手席から転がり落ちる荷物。
ムハ「広子」
助手席の窓を開けて呼び止め、広子が乗ってくる。助手席の前に転がった荷物を踏みつけトートバッグ(Franzi)の金具にヒールのゴムが擦れてついてしまう。
広子「brand-newみたいなのにごめんなさい」
広子はハンカチで拭くがムハマドは自分のブリーフケースと一緒に後部座席に置く。
広子「ハマッダ、これお昼」
ムハ「ありがとう、雨の中」
広子「じゃまた、お元気で」
と、カツサンドとコーラを助手席に置き
広子「バッグごめんなさい」
と、後部座席のバッグを一瞥し雨の中へ。

○ 外来ブース(14時30分)
  脳外科医と電話している茨。午後の外来についているみゅう。電話を切る茨。
茨 「TGAのようでした」
みゅう「TGAって?採血結果でました」
茨 「一過性全健忘。Transient global amnesia(T.G.A.)
僕も二回が真っ最中。もう一回が翌日と三回しか見たことが無いけど。数時間で後遺症もなく元に戻る原因不明の短期記憶障害です」
みゅう「健忘って何ですか」
茨 「記憶力の障害が一時的に起こることでそれ以外の障害が無い状態です」
みゅう「何で左ばかり向くんですか?」
茨 「わかりません。ただ、通常記憶障害だけのはずが、この女性は傾眠傾向もある」
みゅう「意識が悪いってことですか」
茨 「意識障害は脳卒中や代謝異常等が原因となるが採血は正常だしまあ大丈夫だろう」
みゅう「何でさっきの人は2時間で出て、この人は15分なんですか?」
茨 「採血はまず機械にかけるため遠心分離に5分。その後測定するのに一本10分近くかかる。90本まで1回でできる。循環器なんか一人30項目で一回3人がいいとこ。だから必要な人のは優先してもらうんだ。」
みゅうAside「検査科も区別してるんだわ」
茨 「ホリゾン使う前まではTGAの症状でしょう。それに安定剤使ったもんだから中途半端な鎮静で不穏症状ばかり前に出ちゃって。まるで悪性症候群か脳炎みたいで」
みゅう「悪性症候群てなんですか」
茨 「安定剤の副作用や、休薬したときの副作用で筋肉の融解がおこったりします」
みゅう「T.G.A.って急になるんですか」
茨 「今回のT.G.A.も緊張性頭痛も同じ事象が原因だとは思わないが、ストレスは両方とも原因のひとつだといわれている。頭痛持ちの人は一見それほどつらそうじゃないけど実はいつも苦しめられてる。オレも頭痛持ちだから気持ちはよくわかるよ」
みゅうAside「全然そんな風じゃないけど」
茨 「少しは我慢したらという人もいるけど、好き好んで鎮痛剤を毎日飲む人はいない。飲まずにはいられないんだ。朝起きたときからずーっと一日中、毎日つらいんだ」
みゅうAside「そうか、彼女もそうなんだ」

○ 東京駅駅前代理店駐車場前(15時30分)
  ムハマドの車。知事の記者会見を見なが
ら広子のカツサンドを食べている。会見が終
わったのを見届けた瞬間エンジンをかけ、カ
ツサンドを途中で電話をするムハマド。
ムハ「もう帰るけどいいよな」
真田「有難うございました。桧垣さんにお大事にって」

○ 外来ブース(16時30分)
みゅうと茨。午後の外来の受付が終了。
みゅうAside「すっごーい。これで終わりよ」
みゅう「この名刺の人に電話しなくてもいいんですか」
茨 「アラブの人?だって勝手に席はずしてんだろ。きみがしてあげたら」
みゅうAside「えーまた。お得意の。大体なんて電話したらいいのよ。お友達、MRIとろうとして鎮静剤使ったら意識が悪いですって私が言えるわけないじゃない」
みゅう「帰国したてで忙しそうでしたよ」
茨 「工事現場で工事用ドリルでケルノーハのノッチもあるのにたった一人で外傷者の頭部に穴を開けている救急の医者の話しを聞くけど、脳外科の専門医がCT撮って万全の手術しても結果がだめなら訴えられる昨今、何で勝手にいなくなる家族にこっちから話しをしなくちゃいけないんだ」
みゅうAside「でた。なんでこういうこと言うかな。さっきはあんなにいたわってたのに」
茨 「3時過ぎには戻るっていうしその頃にはTGAも覚めてんだろ。熱発してたら大変だったけどそんな気配もないし」
みゅう「何で大変なんですか?」
茨 「アラブから帰ってきた人なんだろ。それこそ髄膜炎、Waterhouse-Friderichsenを考えないと。でも、まあ、熱発してないし、炎症反応も血液に出てないから大丈夫だろ」
みゅうAside「もし万が一Waterhouse-Friderichsenだったら炎症反応でないし、致死率90%だって。救命できても痴呆が残るって。朝の男性みたいに何がなんだか判らなくなっちゃうの」
茨 「もし熱発したらおれが電話するよ」
処置室看護婦が外来ブースに入ってくる。
看護婦「先生、桧垣さん38.9分、熱発です」
みゅう「えっ」

○ 処置室受付前、待合室廊下(16時30分)
  ムハマドが処置室のカウンターに来て、
ムハ「桧垣の付添いの者です。戻りました」
  受付の中を通り過ぎる茨とみゅう。

○ 処置室処置ベッドF(16時40分)
  処置室の桧垣は左を向くそぶりが相変わらず。婦長も呼ばれてくる。
みゅうAside「えー、どうすんの」
茨 「送ろう(転送しよう)」
みゅうAside「え、えーーー」
茨 「婦長さん、TGA疑いの人、熱発して、転送します。外来の申し送りお願いします」
みゅうAside「うちでは診ないの?」
婦長「ご家族は」
看護婦「ご友人がいらっしゃってます」
  みゅうがカウンター越しにコーラでカツサンドを食べているムハマドを振り返る。
茨 「呼んでください、お話します。もう一度CK,CRP,WBCの採血をしといて下さい」
みゅうが検査科に電話すると直にOKとの返事。
みゅう「桧垣さんのご友人の方」
  ムハマドが入って来て声をかける。
ムハ「小汐さん、オレだよ」
茨 「私は内科医師の茨と申します。ご友人のご病状をお話いたしますので診察室へ」

○ 外来ブースと処置室の間の受付(同刻)
  みゅうが処置室に茨を呼びに来て
みゅう「桧垣さんのご友人入って頂いてます。
見た目は日本人ですけどアラブ国籍で、一年
ぶりに帰ってきたって桧垣さんが、」
茨 「あの人はムスリムじゃないだろ、カツサンド持ってたよ。アラブから帰ってきた人が全部髄膜炎菌もってたら大変だよ」

○ 外来ブース(16時45分)
茨 「ご友人は検査後突然同じことを繰り返すといった症状が出まして、通常これは短期記憶障害(recent memory disturbance)といって、数時間で回復するTGA(一過性全健忘)等の病状の一部と考えてますが、検査の為に使った鎮静剤のせいだと考えられる不穏症状が強くて未だに意識がはっきりしていません」
ムハ「何が原因でそんなことに?」
茨 「ストレスなどが原因とされてますが。T.G.A.だとしたら覚めるころですが熱発して」
ムハ「熱は悪いんですか」
茨 「悪性症候群という筋肉が犯されてしまう鎮静剤の副作用もしくは、ばい菌による脳炎のような髄膜炎の可能性もあります」
ムハ「その悪性症候群とは何ですか」
茨 「薬の副作用で筋肉の融解などが急激に起きたりします。採血でCKを確認してます」
みゅう「先生、CK等出ました」
茨 「いずれも全く問題なしだ。となるとやっぱり髄膜炎の否定をしとかないと。CTXクラフォラン1g静注しといて下さい」
看護婦に向かって言った後ムハマドに
茨 「アラブから一年ぶりにお帰りとお伺いしてますが、外見だけで申し上げるのも失礼ですがアラブ人なんですか」
ムハ「皮膚は日本人で血液も味噌汁ですが、骨格や血管はアラブ人です」

○ 回想 聖殿のムハマド(9ヶ月前)
  ムスリム何人にも取り囲まれるムハマド
ムスリムの男「シャハダー(信仰告白を)」
ムハ「ラーイラーハイラッラー(アッラーのほかに神はない。彼はその使徒である)」

○ 外来ブース(16時45分)
ムハ「こんな私ですが何度も信仰告白を唱えさせられてもハッジもおこなってきました」
茨 「ハッジとは?」
ムハ「一週間で200万人が集まる一生に一度の聖地への大巡礼のことです」
  頭を抱えるみゅう。
みゅうAside「髄膜炎ベルトの渦の真中に?」

○ 回想 神殿の周りを歩くムハマド
その後荒野で必死に祈る(9ヶ月前)
ムハAside「友人を病にしてしまった私が許されるはずもないですが、少しの間でも私を地獄から救って開放してくださいますか」

○ 外来ブース(16時45分)
茨 「2001年聖地に行った人がイギリスに帰って髄膜炎の集団発生をおこしています」
ムハ「私がハッジを行ったのは半年以上前で髄膜炎なんかに関わりありませんでしたよ」
茨 「巡礼帰国者の一割が保菌者で、半年後もその半数は保菌状態との報告があります。特に髄髄膜炎菌にはWaterhouse-Friderichsenといった劇症型があり、致死率が高く、腰に針を刺して脳脊髄液をとって検査する腰椎穿刺等にての診断、初期診療が大切です。ここではとても診きれませんので送りましょう」
ムハ「腰に針を刺して検査するんですか?小汐さんはその髄膜炎なんですか?」
ムハAside「また俺のせいで…小汐さんまで」
茨 「おそらく違うと思いますが日勤帯のうちに腰椎穿刺も向こうでやってもらうように言って病院を探しましょう」

○ 外来ブース(16時45分)
みゅうと婦長。茨の電話を見守っている
みゅう「送っちゃうの?」
婦長「あなた、大体簡単に言うけど、唾液などでの飛沫感染の劇症型の髄膜炎菌性の髄膜炎の可能性があるなんていったら、病院に病原体を持ち込むようなもんで簡単に受けてくれないわよ。」
みゅうAside「すぐに見つかるんじゃないの」
婦長「転院先には三次救急いわゆる瀕死の状態のホットライン、二次救急:直接病院に頼む場合等があるの。普通重病ならどこもないときはホットラインに乗せてもらえばいいけど、感染症の疑いがあるんだから三次救急でも取ってくれるとこは少ないでしょう」
みゅう「瀕死なんだから、感染だって黙って、とってくれって頼んじゃだめなの?」
婦長「もしあなたが入院してる隣に感染の危険のある人が来たらどう。それも感染だって隠してるから細菌をまき散らしたい放題で」
茨は救急指令センターに依頼する。
茨 「髄膜炎菌性髄膜炎の疑いの転送先をお願いします」
指令センター「神経内科の先生に連絡できるんですが直接ご相談していただけますか」
大学病院3施設、個室が無く対応できず。
婦長「今のうちに転院の申送り書いといて」
技師長に電話するみゅう
みゅう「すみませんもう五時になるんですが
腰椎穿刺の方の転院先が決まらないんです。たぶん検体お願いすると思うんです」
技師長「何回か採血してる人だろ」
みゅう「ハイ」
技師長「わかった、一番早くて確実なやつを残しとくからゆっくりやってもらって」
  再度指令センターに電話する茨。
茨 「都の感染症センターは?」
指令センター「一応電話してみましたが」
茨 「OKならすぐ取って頂けるんですか?」
指令「ユニットを開くので一時間はくれと」
みゅうAside「えー、どこも無いのホントに。都会のど真ん中よ」

○ 処置室(17時10分)
  茨がPHSを持ちながらやってくる
茨 「わかりました。お願いします」
電話を切ると。
茨 「その間に腰椎穿刺しましょう」
婦長「先生17時過ぎから腰椎穿刺するんですか?うちの常勤も帰っちゃうんですよ」
茨 「もし髄膜炎じゃなかったら僕が2時間
の安静の間ついてます」
婦長「一時間待ってて、向こうでやってもらうんじゃだめですか。普通の状態の方の腰椎穿刺とはわけが違うじゃないですか」
茨 「かれこれ30分以上電話してめどが立たない。そして何より診断のつかないままの人が一時間以上そのままっていうのがどうにも我慢できないんです。それに腰椎穿刺(髄液検査)自体たいした処置じゃないし」
みゅう「…」
婦長「わかりました。いけない、誰か検査科に電話してこれから髄液の検体が出るって。また呼び出すと技師長に文句言われるわ」
みゅう「多分誰か残ってもらってます」
婦長「どうして?」
みゅう「まだ転院先決まらないみたいだからさっき技師長にお願いしました」
婦長「で、OKだって?」
  斜め下を向きうなづくみゅう。茨は腰椎穿刺をいとも簡単に行い、曇りの窓に透かす。
茨 「初圧190終圧90.水様透明。日光微塵も無い。これは髄膜炎じゃないな」

○ 臨床検査室(17時15分)
検体を持って検査課のドアをノックする。
みゅう「失礼します。髄液の検体です」
技師長「ああ。こっちへ」
みゅう「技師長さん、一番早いやつって…」
技師長「そんなの決まってるだろ」
顕微鏡を動かしながらほんの数秒で
技師長「三分の一だって。全く正常だ。これは髄膜炎じゃないよ。もういいよ早く行け」

○ 処置室(17時20分)
ベッドサイドにいる茨。みゅうが近づき
みゅう「1/3だそうです。日光美人て?」
茨 「ありがとう。beautyの美人じゃなくて微小な塵埃(微塵)のことで細胞数が100ぐらいの炎症のときに日光に透かすとキラキラ見えるやつだよ。これは髄膜炎じゃないよ。」
みゅうAside「よかったわこれでひと安心ね」
  表情を変えない茨がやや苦悩の表情
みゅうAside「もう安心なんでしょ?」
茨 「ほかに何があるんだ」
みゅうAside「?」
茨 「あと何ができるか」
淡々とまるで自分に問う様につぶやく茨。
みゅう「まだ何か危険があるんでしょうか」
茨 「これがやってなかったからって後で後悔するのはやだから。答えが無いんだまだ」
みゅうAside「そりゃそうだけど」
茨 「典型的な誰でもわかる答えのある問題なんかめったに無いしそんなのはだれだってできる。こういう時にこそ力が問われるし、尽くす力に限りは無いよ」
みゅうAside「決まった答えに向かっていくんじゃない。どれが正解かわからないのに全部をつぶして治療していくの?」
茨 「こういう時思うんだ。ここで俺がやめたら今この瞬間は誰もこの人を診る者はいないんだ。自分の家族ならやめられるかって」
みゅうAside「ここまで先生たちはみんないつも考えてるのかしら。でもどうするの?」

○ 処置室カウンター内(17時25分)
困窮した顔の茨が神経内科医師に電話す
る。みゅうが桧垣の汗をぬぐおうとタオルを取りにカーテンから出てきたのを見つけたムハマドがカウンター越しにみゅうに詰め寄る。
交換待ちでカウンターで電話している茨。
ムハ「看護婦さん、先生さっきから電話しっ
ぱなしでどうなっているんだ」
みゅう「…」
ムハ「早くしないと取り返しがつかなくなるよ。左しか向かないじゃないか。左しか」
だまってしまうみゅう。
  申し送りを看護婦に代わって書き出した
婦長。見かねてカウンターから外に出て行こ
うとするが茨が受話器を置いて自分が行くと
手振りをする。みゅうは婦長に助けも求めず
みゅう「ただ」
ムハ「ただ、何だ」
みゅう「ただ、あの先生は何とか手遅れにならないようしてくれてるんだと思います」
落ち着いた言いように腰を下ろしてしま
うムハマド。茨は電話がつながる
茨 「先生ご無沙汰しております。教えていただきたいんですが…」
ムハAside「またこの病院で、俺のせいで小汐さんまでなんて。もう二度とごめんだ」

回想 O病院外来ブース前(十1ヶ月前)
うつむいて座るムハマド

回想 O病院 外来ブース(十一ヶ月前)
消化器科医師、桧垣兄、ニューヨークブ
ランド(サクーンTHAKOON)のワンピの小汐
医師「なぜ定期的に採血してなかったんですか。輸血後のならもっと早く判りましたよ」
桧垣兄「外国に出張していて」
小汐「治るんですか」
医師「インターフェロンを行います。まず入院して全身の検査胃カメラエコーをします」

回想 O病院 外来ブース前(十一ヶ月前)
うつむいて座るムハマド。桧垣兄と小汐
桧垣「入院だそうだ」
ムハAside「始から俺が行けば良かったんだ」

○ O病院 外科外来ブース前(17時25分)
  うつむいて座るムハマド。
横のベンチに座っている紺野。婦長が見つけ
婦長「あら紺野婦長」
紺野「お昼の診断書よ、あなたも大変ね」
婦長「転院先待ちなんですよ、失礼します」
  ムハマドに会釈する紺野。ようやく診断書をもらい帰ろうとする
紺野「お大事に」
ムハ「婦長さんだったんですか」
紺野「隣の県で4月までよ、今日はボランティアで使い走りよ」
ムハ「TGAってどんなんですか?」
紺野「TGAについてもよくわからないし、あの方の病状も全く知らないし、あの先生にも今日初めて会ったのよ」
ムハ「じゃあ」
紺野「そうよ全くわからないわ。しかもあん
な経験の浅そうな子があの先生ならというのはどうだか信じられないわよ。ただ、今朝診断書をお願いした時初めて診る患者に何度でも書いてくれるって言ってくれたわ。ヘルパーの私しかいないのに、家族に何で書いてもらえなかったって言われたら困るだろうって。そんなこというお医者は初めてみたわ」
ムハ「…」
紺野「じゃ、お大事に」
  
○ 処置室カウンター内(17時30分)
茨が電話を終わって
茨 「桧垣さんのご友人呼んでください」
みゅうがムハマドを連れてくると、申し送りを書いている婦長がみゅうを呼ぶ。
婦長「加藤さん、ちょっとあなたもう帰んなさい。ご苦労さん」
ムハマドは茨を攻める風でもなく言う。
ムハ「何があっても彼女を最後まで看ます」
茨 「そんなひどい状態ではありませんが原因がわかりません。髄膜炎じゃないようです。TGAだろうと思いますが通常9時間以内とされているんですがまだ継続しています。」
ムハ「いったいどんな状態なんですか?」
茨 「入力が全くされない状態です。見たこと聞いたことがわかっているような風ですが、全く次の瞬間には覚えてません。原因は疲労とかストレスといわれていますが」

○ 処置ベッドF(17時40分)
  話し終わって茨がムハマドを処置ベッドの桧垣の横にカーテンを開けて会わせる。みゅうがカーテンの音に気付き帰り際に振り向くと小汐の背中と乱れた髪の毛が目に入る。

○ 回想 処置ベッドF(9時30分)
桧垣「ほんの一瞬でも軽くなってくれたらいいんですけど。ほんの一瞬でいいんです」

○ 回想 外来ブース(14時30分)
好き好んで鎮痛剤を毎日飲む人はいない。飲まずにはいられないんだ。朝起きたときからずーっと一日中、毎日つらいんだ」
みゅうAside「そうか、彼女もそうなんだ」

○ 回想 処置室(17時20分)
茨 「尽くす力に限りは無いよ」

○ 処置室カウンター内(17時40分)
みゅうAside「まいっか」
  帰りかけていたが、ベッドの横に戻る。

○ 処置ベッドF(17時40分)
ムハマドは持ってきたトートバッグに入
っているオリンピックの記事に気付く。
ムハ「なんでこんなもの。オリンピックの記事は見たくもないだろうと思っていたのに」

○ 回想 O病院 ブース前(十一ヶ月前)
  桧垣兄、小汐、ムハマド
小汐「通院すればちゃんとなおるって」
桧垣「ああ。でも二年はかかるって」
小汐「療養と安静が第一だって。アラブへの出張なんて絶対だめなんだから」
ムハ「…」

○ 処置ベッドF(17時40分)
桧垣の横で。ムハマド、トートバッグを
窓際に丁寧に置いて桧垣の背中を見ながら、
ムハ「こんな記事明日には知れて値打ちがなくなるのに。気にしてくれてたなんて」
みゅう「知らせなきゃって大事にポケットにしまってるようでしたよ」
ムハ「もうむこうでも知ってると思うんですが国にしらせてきます」
ムハAside「小汐さん認めてくれてたのか。こんな記事きっとみんな知ってるのに」
ムハマドが急いでカーテンから出て行く。
みゅう「TGAも、頭痛も少しでもすっきりできるといいわね」
バッグの金具の汚れに気付きアルコール
ガーゼで拭きながら、
みゅう「“最後まで看る”って優しいわね」
  
○ 回想 昼前の同じ処置ベッドF
アルコールの臭いと“やさしいわよね”
というみゅうの声とトートバッグ(Franzi)

○ 処置ベッドF(17時40分)
桧垣の眼がうっすらと開いて、
桧垣「ああ見えてアラブ国籍なの。あっちでオリンピックの仕事してるの。そうこれを」
  左を向いてトートバッグの中を探る桧垣。
桧垣「あら、どこに行ったのかしら」
何も朝と変わってない外が左側に見える
窓のある唯一のFベッド。雨が降っている。朝九時と同じ明るさの午後六時。朝と同じいすに座るみゅう。茨が桧垣の変化に気付き、
茨 「桧垣さん」
みゅう「それで置いといたのが気になって無意識のうちでも左を向いてたのね。って?」  
バッグを探り、話し出す女に驚くみゅう。
茨 「ここがどこだかわかりますか?」
桧垣「ええ、なんだかすっきりしたわ。お昼も食べられそうよ」
みゅう「もう夕方よ。確かにベッドの位置も明るさも朝と同じだけど」
茨 「バッグにあの記事を入れたときにT.G.A.になって、そこから記憶が途切れて記事を探そうと同じこと繰り返して記事を入れたバッグのある左ばかり向いてたんだ」
  電話が鳴る。
婦長「指令センターからです」
指令「都の感染症ユニットOKです」
茨 「容態が変わりまして、折り返します」
ベッドにいたみゅうが慌てて来る。
みゅう「目覚めた様なんですが変なんです」
茨 「どうしたの?」
みゅう「11時からあとのことを覚えてなくてまだ11時だと思っているようなんです」
茨 「まさにそれがTGAの典型だ」
茨とみゅうはベッドにむかう。カーテン
の中でムハマドが戻っていて、左向きの桧垣の背中越しに
ムハ「TGAも頭痛もストレスと過労が大きな原因だそうだ。オレが言うのもおこがましいが治ったらゆっくり休みなよ。もし後遺症が残ったとしても一生面倒見させてくれ」
桧垣「ごめんなさい、もう気がついてるの」
  と、ゆっくりと右を向く。きれいな桧垣。
みゅう「頭痛はいかがですか桧垣さん」
カーテンを開けて入る茨とみゅう。
桧垣「消えてます。うそみたい、こんなの何年ぶりかしら」
茨 「今日は何月何日でここはどこですか」
桧垣「大丈夫ですわかります。ただ、今が夕方だって言うのが信じられなくて、まるっきり間が抜け落ちてます」
ムハ「今の話も?」
  あ然としてようやく口を開いたムハマド。
桧垣「抜けてないけど、もう一度、正気だってわかってる後遺症の無い私にもして」
思わず茨を見ると予想外で微笑む優しい
口元。視線があってそらし頬を染めるみゅう。

○ 処置室(17時50分)
茨 「こちらからユニットへ断ります」
カウンターで電話する茨。
みゅう「婦長さん、桧垣さんもどったの」
婦長「ええ。あなた、まだ残ってたの?」
みゅう「だって、先生が」
婦長「茨先生が言ったの?」
  みゅううなずいて。

○ 回想 処置室(17時20分)
茨 「尽くす力に限りは無いよ」
  
○ 処置室(17時50分)
みゅう「もう覚めるはずだって」
  電話を続ける茨を見つめながら言う。
  
○ 外来ブース(17時55分)
  横で通常業務のように立っているみゅう。
みゅうAside「時間外もするじゃないこの人」
みゅう「意識も戻って頭痛もなくなったのに
帰らないんですか?」
茨 「あと一時間は低髄圧症予防のため枕し
ないで臥床してもらうから。君はどうぞ」  
みゅう「どうして頭痛が消えたんですか」
茨 「ベンゾジアゼピンは緊張性頭痛の治療薬として使われるし筋弛緩になったのかな」
みゅうAside「ジアゼパムもいい事するのね」
茨 「まあ本当はそんなんじゃなくて、今の彼の話でじゃないの」
  思い出してきれいに微笑かえすみゅう。
茨Aside「この子のせいで覚めたんじゃねーだろーな。たまたま覚める時だったんだよな」
  微笑を見て思う茨。
みゅうAside「結局、ハッジに行った事で腰椎穿刺して、彼に告白させたみたいじゃない」

○ 待合室(19時15分)
  二人が帰る待合室。置き去りのトート。
桧垣「汚しちゃったけど朝下ろしたてなの」
みゅうAside「ほんと、スウェットなのに桧垣さんて、なんてかっこいいの」
桧垣「看護婦さんありがとう。受け取ってこのバッグ、もう要らないわ、頭痛ともおさらばできたもの」
みゅう「これはお受け取りで来ません」
ムハ「頭痛がまぎれるようにって持ってきたから。迷惑なら病院で処分してください。」
  うなずく茨。二人が玄関に向かう。
みゅうAside「エー、いいのー」
茨 「頭痛薬のアスピリンはくれぐれも解熱剤に使わないでください」
桧垣「来週また来ます」
  インフルエンザの薬をもらいに帰る二人。
茨 「TGAは再発もないし後遺症といったら頭痛だけど、逆にすっきりしたって言うし、たぶんインフルエンザで月曜日にはけろっとして来週はもう来ないよ」
みゅうが茨にバッグを渡そうとする。
みゅう「持ってってくださいね」
茨 「君にって置いてったんだから。本当に感謝してんだから受け取っときなよ」
みゅう「謝礼禁止なのに。先生が言うから」
茨 「もう今日はいいだろ。それなら来週俺が捨てるからそれまで預かっといて下さい」
そんなことどうでもいいよという顔で茨
茨 「それより加藤さん」
みゅうAside「おっ、名前覚えてくれたのね」
  再び少しだけみゅうが微笑かえすので、
茨Aside「本当にこの子が治したんじゃないよな。TGA治したなんて聞いたことがないよ」

○ O病院玄関前(19時15分)
あきらめてバッグを持って向かいの薬局
に向かおうと玄関を出ると桧垣を見つける。
みゅう「桧垣さん、しつこいですが本当にお受け取りできないんです」
桧垣「“優しい方”って看護婦さんの声がし
て、彼にこの身を任せようと思った瞬間“救
われた”って感じたの。二度目の角笛が鳴っ
たみたい」
  出て行く車。見つづけるみゅう。
みゅうAside「うーん、また?どうしてなの」
見送る車の方向にある神社の鳥居にはワ
ラで作った変な顔の大きな目が照らされてた。
みゅう「これからいつもこうなのかしら?」
朝からの雨は上がっているようだった。

明日のお練はお天気になるといいね。

○ O病院駐車場(19時15分)
車に乗り込もうとすると駐車場から玄関
のみゅうが桧垣の車を見送るのが見えて、車のドアの音に振り向くみゅうと目線が合うと首だけでさよならお疲れ様と微笑む。
茨Aside「うーん」
目をそらす茨。雨は上がっているようで。
明日のお蛇お練はお天気になるといいね


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
みゅ
「だって先生がTGAだって言ったように本当にそうだったもの」























   城南風(じょうなんふう)
    
    症例2: Hajj(ハッジ:大巡礼)


 




   城南風(じょうなんふう)
    
    症例2: Hajj(ハッジ:大巡礼)


 


枚数 65
一日百人近い患者を診ている中でも、治療困難な症例を見逃さずにわずかな異常をも発見し、原因を追求治療していく医師茨35歳。
これまでは一人ですべてを解決している茨だったが二ヶ月前から外来クラークとしてみゅう22才がやってきてからは、なぜか単なる事務員の彼女が治療困難な症例の解決に関わってくるようになる。足手まといになるというよりは症例はむしろスムーズに解決していく。症例1:妖精オンディーヌ。症例2:ハッジ(大巡礼)。症例3:奇跡の血涙と続く今回は二人で扱う2例目の困難症例: ハッジ(大巡礼)。みゅうはただ単なる事務員として多くの医者と接しているのだが、普通の医者とはどこか違う茨にいやいやながらひかれている。今日も普通を装う患者の中に混じって治療困難な女性がやってきた。数年来一日も休むことなく続く頭痛。いろんな病院にかかっても相手にされず。頭痛がひどくなり外出もできない女のために、一年近く滞在したアラブから急遽帰国し病院に付き添ってきたイスラム教徒の男は、友人以上の好意を持っているのだが彼女の兄を肝炎にした負い目を感じていた。病院に来るなり女は一過性全健忘という病気に見舞われ混迷状態になってしまう。午後から学会でいなくなった脳外科医に代わって診療を開始した茨だが、女は軽快するどころか熱発し髄膜炎と思われる病状に陥る。転院を試みる茨だがアラブから帰ってきた男は一年前に参加した大巡礼で劇症型髄膜炎の原因菌を保菌している可能性があり、救急指令センターはオープンに一時間かかる感染ユニットでしか受け入れられないという。渋る婦長を説得し夕方5時過ぎから始めた腰椎穿刺では女は髄膜炎ではなかった。安心するみゅうをしりめに、茨は女の意識改善に打つ手がないことに困窮の表情を浮かべるが、女は記憶を回復する。そうとは知らない男は障害が残っても一生みさせてくれという申し出をする。正気の女は快諾し頭痛も全快する。前回に続き茨に惹かれるみゅうだが第二話にして茨もみゅうに引かれていく。しかしどこかかみ合わない二人の行方は。


















とる道は。
迷った挙句、茨に言われたサレジオ教会を取り、無事親子に感染の危険を注意できたみゅうだったが…。第三話にして茨とみゅうの仲は急に近くなっていくが、お決まりのライバル出現に二人の行く先は?危うし茨。






                奇跡の血涙  みゅう
 
333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333333

ナレーション「全世界十億人以上といわれるカトリック信徒の総本山であるバチカン法皇庁の列聖省(列聖調査審問検事)は、毎年キリストによって起こされ続けている奇跡を認定している」

○ インサート モーセ、キリストの絵
ナレーション「三千年以上前 モーセは紅海を分かちエジプト兵を水没させた。
AD 28年 血の汗を流して苦しみを背負ったままイエスは磔にされた後、死後3日目に、エルサレムの西約8kmの村エマオに向かう二人の弟子の前に突然復活した。
二十世紀になってからは1917年ポルトガルのファティマにマリアが数度にわたり出現。
1997年にはスペイン人医師の皮膚炎が治癒したことが認定され彼は465番目の聖人に列聖された。
1985年6月30日おとなりの韓国ナジュのマリア像は血の涙を流し、2009年9月13日みゅう(加藤英利華22)の勤めるO病院の一階外来待合室の吹き抜けの柱、天井を支えるようにして飾りたっている5mの高さにあるマリア像が二ヵ月半ぶりに血の涙を流した」

○ O病院待合室(9月13日 日曜朝六時)
テロップ 『59歳男性患者(中学校校長)』

待合室のかろうじて動いている換気口の下で点滴をぶら下げたまま人気が無いのを確認し、煙草をつける。上を向き、ガラスに覆われたマリア像の装飾に目をやると血の涙を流していることに腰を抜かし
男「御免なさい。許して。もう吸いません」
校長は大声で叫んでおびえて立てない。
×   ×   ×
しかしながらカトリック教徒の患者や家族がうわさを聞きつけこぞって礼拝する。

○ みゅう(加藤英利華22才)の部屋
(五日後 9月18日 金曜日 朝6時)
大型スピーカーから曲ダッタン人の踊り
目覚めると、寝ぼけながらも手際よくスウェットを身につけるみゅう。

〇 みゅうの家キッチン・居間(同時刻)
姉(加藤久美子24)こちらも手際よくサンドイッチをつくっている。
  ×   ×   ×
みゅうは使い古しのバッグと、新品のイタリアブランドの(Franzi)のトートバッグを布袋から出して二つとも持って下に降りてくる。ソファの上に並べておいて庭へ。
姉はサンドイッチを入れるのに丁度よさそうな空のトートバッグを見つけ居間の窓越しに妹に声をかける。急いでいる様子の姉。
姉「みゅうちゃん、これ借りていい?」
みゅう「くーちゃん、これお礼で先生がもらったやつで、もってかなくちゃなんないの」
姉「ごめん教授のサンドイッチ入れ忘れてたの。6時半から論文見てもらえるから、8時にはぜったいもどってくるから。」
急いで出かける姉の後姿。
みゅう「8時だよくーちゃん。白のブラウスとジーンズ、ウェッジのサンダル格好いい」

○ みゅうの家(同日朝8時)
姉に電話するが圏外。犬とじゃれながら
みゅう「今日はいつものバッグで行こう」
  
○ O病院(同日朝8時25分朝礼の5分前)
医事課の男女防犯カメラの映像を見ている。早まわしで徐々に赤い涙に染まるマリア像。その横をみゅうがピンクのパンタロンの白衣で通り過ぎ外来ブース奥へ向かう。
医事課井村「一週間分見たよ、もういいな」
医事課前川「だってあそこだけ先代の病院からの物だってガラスで覆ったのよ。50万かけて。ありえないでしょ。なのにまたなんて」
井村「よし、いいよなもうこれで」
前川「それより今日中に予防接種を全員分終わらせないと。明日休みの職員もいるから」
 
○ 外来ブース奥(同日午前8時30分)
外来看護婦クラーク勢揃いの申し送り。
婦長「新型インフルエンザの患者数は先週比で2倍になったと発表がありました。ワクチンの問い合わせには保健所の電話番号を教えてください。入院患者様の分もいつになるかめどがついてません。あ、あと、前回7月の医師補助業務テストの結果ミキちゃんが合格して、施設の認定証が届きました。以上」
  約15人の看護婦クラーク拍手。

○ 申し送りのすぐ横の外来ブース(同日)
座って聴いていた茨医師(35)
茨「みゅうちゃん、テストだめだったんだ」

○ 外来ブース奥(同日)
クラーク7人は今日は誰が茨医師につくか、外来ブース奥のホワイトボードに磁石をつける婦長の手元をじっと見つめている。
アキ(21)「茨先生、今日は予約何人?」
みゅう「さっきチェックしたときは予約枠いっぱいの40人に+初診がもう13人入ってた」
みゅうAside「今日は中野でブービーを見に行くから絶対早く帰るの。先週行けなくなったからって、大学病院は病理教室で年寄りばっかで若い人はここだけだからって、チケットくれたのは茨先生だけど」
  婦長が上から順にクラークの名前の書いてある磁石を科名の入った欄につけていく。
みゅう「外科、整形、お願い、茨先生だけはやめて。先週もだったんだから」
  最後の内科が加藤のテプラを貼った磁石。
みゅう「もう今日はだめよね、あきらめよ」
外来ブース1に医事課の井村が来て茨に、
井村「先生は新型インフルエンザのワクチンされますよね」
茨「え、非常勤ですよ俺は。しかも週一の金曜日だけの」
井村「先生は外来の数が多いので人数に入れたいのですが。他でやる予定ございますか」
茨「臨床で患者見るのはここだけだから」
  みゅうが横に来て口をはさむ
みゅう「先生ワクチンやらないんですか。新型インフルエンザばんばん来てますよ」
茨「B型肝炎のワクチンやっても免疫つかなくて、その後オペ中にB肝の針刺しして、」

○ 回想・外傷の開頭の手術中。(一年前)
茨と若い医師。
麻酔科医「血圧50きりました」
茨「早く閉めよう」
もたもたする若い医師に
茨「止血なんかいいよ、もうそんな出ねえだろ。ちょっとかしてごらん。」
持針器をよこせと手を出す。皮膚から勢いよく抜きすぎた針が茨の手に刺さる。
手術室看護婦「先生、B肝よ!」
若い医師「スイマセン、すいません。」

○ 外来ブース1(同日)
茨「その夜、予防のフェロンを注射したら40度近い熱発してそれから一切やらないんだ」
みゅうのほうを向いて
茨「おはよう」
みゅう「おはようございます」
  茨はオーダーpcの一番目の受付の名をクリック。みゅうがマイクのスイッチを押し
「内科から一番の方およびしま、、、」
と言い終る前に男は入ってきて話し出す。
問診表に38歳男性、頭痛、熱発37.5度。
男1「朝起きたら頭痛がひどくて、」
茨全く表情を変えず
男1「十時から人に会うんだけど」
茨「突然起こりましたか」
男1「ああ、起きたときは重いぐらいだったのに食事をしているとどんどん痛くなって」
みゅうAside「それは突然じゃないじゃない。37.5度なんだから風邪じゃないの?」
  男1「今まで頭痛くなったことなんか一度も無かった。CTやら無くていいの?」
茨「大丈夫でしょう」
男1「やってほしいんだけど。」
みゅうAside「えー、自分で決めないでー。」男1「十時前に終わります?看護婦さん、血圧高いみたいだからちょっと計ってくれ」
みゅう「申し訳ありません、私看護師ではなく、クラークという事務員なので計ることができないんです。すぐ呼んで参ります。」
  男がCTをとりに出て行くとかわりに女子中学生が入ってくる。茨は喉を診察して、
茨「はいむこうむいて、背中から見せてー」
咳込み背中を半分だけ出す女子中学生。
みゅうAside「茨先生が肺野にステート(聴診器)を当てるスピードは明らかにほかの先生に比べても早い。」
中学生のパーカーをめくり上げるみゅう。
みゅうAside「絶対ちゃんと聴いてないでしょ。」
茨は聴診器を当てようとする。聴診の邪魔になるスポーツブラも躊躇無くめくるみゅう。
みゅうAside「ウワッ。横乳。私より大きい」
茨「肺の音はきれいですので、次はインフルエンザの検査に回ってください」
入れ替わりに男が入ってくる。じっとCTをみつめたまま顔をしかめ気味に黙る茨。
男「大丈夫ですか」
茨「この白い点は石灰化ですが精査したほうがいいですね。あなたは煙草を吸いますね」
男「えっ!ええ。でもCTで判るんですか」
茨「動脈硬化があるのでMRIで脳血管の検査したほうがいい。予約しましょう。」
  男はショックを受けた様子で言いなり。
茨「一番早く入れときました」
男「ありがとうございました」
みゅうAside「たった二人でもう30分。どうやって60人以上こなせばいいのかしら60÷4=15時間以上かかるってこと?」
みゅう「3番の方」
女は眼鏡をかけてやせていて神経質そう。
カルテには33歳女性(佐藤綾)主訴・熱発、頭痛、寝汗。十日前の水曜日に一ヶ月以上続く熱発で初診。先週に続き来院。37.4度。
みゅうAside「ええっ。また熱発と頭痛。おまけに寝汗も」
茨「前回の痰の培養ではばい菌は検出されませんでした。レントゲンも免疫機能も正常」
聴診器を当てると胸元に小さいクルス。
茨「ハイ深呼吸して、もう少し大きく吸ってー。がんばってもう少し。ハイ吐いて」
聴診器を耳からはずしながら
茨「胸の音は異常ないですね。一応今日は胸部のCTを撮りましょう」
佐藤「先生、異常なしなら気にしなければいいんでしょうか、私の気のせいですか」
女がレントゲンを撮りに出て行く。みゅうは人差し指を回してマイテマイテのサイン。
みゅう「なんでさっきの人はCTいらなくて、この人にはしてあげなきゃだめなんですか」
茨「この人は先週の検査でも異常所見が無く、病状がいいのか悪いのかさえも判らない」
茨Aside「先週一人立ちしたこの娘にあんまり細かいことを話してもしょうがないけど」
茨「彼女の一番の苦しみを聴き出し、少しでも和らげないと。それになによりこの人は困って深呼吸もできないぐらいじゃないか」
みゅうAside「何で不定愁訴(愚痴)の塊みたいな人の話を聞くのかわからないわ」
茨「抗生剤はフロモックス。白血球6500正常。CRP(炎症性蛋白)0.1正常」
みゅう「37,5度近くが一ヶ月以上も続いてCRP0.1で正常って、どういうことですか」
茨Aside「0.1が正常で、この場合、変だなんてよくわかるな。少しは話が通じるのかな」
茨「ほんとに体の一部分、局所の炎症でおさまっているってことでしょう」
みゅうAside「やっぱ気のせいなんじゃない」
茨「先週も頭痛の訴えがあって脳外にもかかってCTをとってる。CTの所見は?と」
みゅうが所見用紙を茨に見せる。カルテ
にはn.p.(no problem)(異常なし)の二文字のみ
モニターでCTの画像を確認すると、茨は少し態度を改めた様にみゅうに説明を始めた。
茨「確かに頭蓋内はn.p.だけど…ここは副鼻腔といって鼻の回りの空気のとこだけど、」
  モニターのコントラストを軟部組織にするとぼんやりとドーナツの様な組織が現れた。
茨「ほらさっきの男の人と比べて内側の粘膜が明らかに厚いでしょう」
みゅう「どういうことですか」
茨「慢性的な副鼻腔炎です。鼻腔の培養を」
  みゅうは佐藤をよびいれる。
茨「鼻づまりは?」
佐藤「気になりません。いつものことで」
茨「副鼻腔炎かもしれません。培養検体採取キット“スワブ”を3つください」
  鼻鏡で広げて両鼻の奥と、のど(上咽頭)からも採った。検体の綿棒が容器からはみ出そうで不潔になりそうになり注意する茨。
茨「不潔にしちゃだめ」
まったくげっと咽頭反射のこない女性。
茨「37,5度が一ヶ月じゃ大変だったでしょう。一つ一つ熱の原因を探して、なんとかしていきましょう。」
茨の言葉に女はようやく目線を上げる。胸部のCTができるまでの間に話しだす茨。
茨「どうでもいい話ですが、佐藤さんてのはいい名前ですね。私なんか痛そうな茨ですよ。医療とはまったく無関係なことなのでお答えになりたくなければ結構ですが旧姓は?」
みゅうAside「何をいきなりこの人は」
佐藤「加藤です」
みゅうAside「え?加藤が結婚して佐藤。最悪。加藤英利華が佐藤英利華ってこと?まあ茨英利華よりはいいわね」
一瞬会話が途絶え、予期せぬ沈黙。
とって付けたよに茨がみゅうに話しだす。
茨「加藤さん、もし斉藤さんとかになったらどうする?」
みゅう「茨よりはいいですよー」
と、無理に明るく取り繕おうとする。
みゅうAside「もおいいでしょ、このネタ」
  すすり泣く女性
みゅうAside「アー泣き出しちゃった」
  茨は出来上がった肺のCTを見ながら
茨「CTもOK です抗生剤を変更します。ごめんなさい、本当に失礼なことを申しました」
  みゅうそっと肩を抱いて女の荷物を持って個室の検査前室に連れて行く。

○ 検査前室(同日)
みゅう「本当に申し訳ございませんでした」
佐藤「いえ違うんです」
女はようやく落ち着いてポツリと言う。
佐藤「ここ一ヶ月以上で始めて話を聞いてもらえて、この先生なら大丈夫だと思えてきて。だって、まさに神を呪って灰の上で死ぬしかないとばかり思ってたところだったんです」
みゅうAside「確かにバカ話の中にも、私が最後まで面倒見るという所はあったわよね」

○ 外来ブース(同日)
みゅうがブースに戻ってくると、
茨「中学生のインフルエンザの結果は?」
みゅう後ろのモニターをクリックするが
みゅう「まだでませんね。もう20分たってでませんからきっとマイナスですよ」
茨「あれは+だよ。アイス賭けてもいいよ」
みゅう「じゃ、売店のハーゲンダッツで」
みゅうの後ろのpcで丁度ポンとアラート音がして結果をクリックすると+。
茨「やった。すみません、じゃ、抹茶で」
 
○ 外来ブース(同日午後1時)
午前の外来続行。交替にアキがくる。
アキ「みゅうちゃん、お疲れ、お昼どうぞ」
みゅう「ありがとう。先生おさきにー」
  みゅう出て行く。
アキ「先生、よろしくお願いします」
茨「アキちゃん、合格おめでとう」
  アキ、暗い顔になり茨に打ち明ける
アキ「患者様のプライバシーなので誰にも言っちゃだめとみゅうちゃんに言われてたけど、先生にならいいですよね。みゅうちゃん、7月のテスト午後のテスト受けてないんです」
茨「え?」
アキ「実は昼休み問題出しあった後、会場の臨床講堂に向かおうと精神科の待合室を通ったら、症例1の人の奥様を見つけて、みゅうちゃん、お薬のことを話し出して、開始30分にも間に合わなくって受けられなかったの」
茨Aside「そうか、あの娘が、テストを犠牲にしてまで説得してくれてたんだ。」
アキ「みゅうちゃんの出した問題を片っ端からテキストにチェックつけてたらほとんどそれから出て、持込OKのテストだったから」

○ 同ブース(午後2時10分前)
アキ「おつかれさまー。これで終わりです」
アキ出て行く。アキと入れ違いに婦長。
婦長「先生お疲れ様です。午後の開始30分ずらしましょうか?あと10分で2時ですよ」
茨「いえ、みんな手際よくやってくれてるから全然疲れてませんよ」
婦長「だって、お昼もまだでしょう」
茨「大丈夫です。それにしてもここの娘たちは二十歳そこそこなのにみんな頭がいいですね。CRP0.1で正常だとか知ってて驚きました」
婦長「あの娘は特に手際だけじゃなくて頭もいいでしょう。明るいし、ボインだし。来て二ヶ月でドクターの間でも一番人気なの」
茨「あの娘って?」
婦長「加藤でしょ」
婦長少し浮かない顔で
婦長「なんでテストだめだったんでしょう。来てすぐじゃ早すぎたのかしら。絶対大丈夫と思って受けさせたんですけど。あの娘は大卒のあと専門に3ヶ月通って7月から入って先週から一人立ちしたばっかりなんです」
茨Aside「じゃ二十二、三歳か」
婦長「先生ならわかっているとおもうけどあの子はものが違ってるでしょ。みんなもなんとなく感じていて手出しできないのよ。先生もだめですよ。大切にしてあげて。あの娘は従軍慰安婦(かんごふ)じゃないんだから」
婦長出て行く。入れ替わりみゅうが来てバッグからアイスとおにぎりを取り出す。
茨Aside「先週のバッグじゃないんだ」
みゅう「先生アイス。どうせ休んでないんでしょ。あとその前におにぎりどうぞ」
茨「ありがとう。アキちゃんから聞いたよ。症例1の奥さん説得してくれたって。」
  茨、おにぎりを開きながら言う。
みゅう「どうせ受けてもだめだったわ。次がんばります。来週なんですよ次のテスト」
と、何事もなかったかのように微笑返す。 

○ 同ブース(午後4時25分)
みゅうAside「あと5分で4時30分。受付終了よ。すごい時間内で終わりそう。きせきだ」
最後の患者が入ってくる。
カルテには53歳男性。37.2度。頭痛。
男2「これから夜勤で頭痛が心配なんだ。CTと、インフルエンザも心配で検査してよ」
みゅうAside「二つやったら5時過ぎちゃうじゃない。朝の人よりワガママね。先生は今日用事があるからって、先週ビタミンのチケットくれたんじゃなかったっけ」
茨がpcでオーダーし男2退室。
みゅう「なんで先生は、自分の都合で検査だけを希望する人の言いなりにするんですか」
茨「だって病院の儲けになるよ」
みゅう「…」
茨「医師法には“応召の義務”というのがあって診てくれって求められたら応じなければならない。そういう義務があるんだ。どうせ診るんだからにこにこして診ようよ」
茨、ふに落ちないみゅうの方をむいて
茨「ここだけの話だぜ。今まで誰にもこんなこと話したことないんだけど」
と前置きしてやや声を落とし
茨「CT撮って石灰化とか見つけたらもっと調べたほうがいいといってMRIとか他の予約入れてやるんだ。しかも混んでるとこへ、なるべく早くしたからといって」
みゅうAside「えー?」
茨「早く調べたほうがいいのは本当だしね」
みゅうAside「そういえば朝の人にもしたわ」
みゅう「朝一の男の人はCTで煙草を吸っている人の脳だったんですか」
茨「煙草を吸うと確かに血管が収縮して脳が萎縮するかもしれないけど、そんなことは知らないよ。臭いがしたもん」
みゅう「えええええーーーそんな。だってあの人本当に心配してましたよ」
茨「だから検査して安心させてあげましょう。その前に予約攻撃だけど」
みゅうAside「予約早く入れてくれたって検査説明の時本当に感謝してたのよ」
茨「それにしてもインフルエンザの結果遅いね、あれはマイナスでしょ。賭けますか」
みゅう「だってマイナスですよ」
茨「じゃあ、昼のオニギリのお礼に+に賭けてケーキでどうだ」
みゅう「ヨシッ」
みゅうは男2が茨の予約攻撃の餌食になっているのををみながら思う、
みゅうAside「こんなに忙しいのに全然疲れない。むしろすっきり爽快。この人は他の先生と違って前診た医者の診療内容には一言も文句を言わないし、患者様にもまったくやな顔をしない。タフでそして人間的。で、意地悪。  
一年前までバリバリの脳外科だったけど、体を壊して病理に移って、週一で内科外来を手伝ってもらってるっておじさんが言ってたけど。まあこの気性なら誘いを断る人はいないわね。次は絶対食事を賭けてくるわよ」
ポン、結果のアラート音がしてミュウが振り向いてpcをクリックしようとして一日終わり。

○ 国立東二病院前の通り(同日夕6時30分
茨が東二病院の駐車場に車を入れる信号待ちをしている。バスから歩道の柵をまたいで通りを横断しようとしているRRLのジーンズに白いポロシャツのみゅうが茨の車の前を横切ろうとする。茨が気付き声をかける。
茨「加藤さん!ビタミンいかなかったの?」
みゅう「先生?これから当直ですか?」
茨「城南地区の学会の世話人会なんだ」
みゅう「書類係で間に合わなかったんです」
茨「家この辺なの」
みゅう「ええ。そこの花屋の裏です」
  車を駐める茨。みゅうは柵に腰を乗せて尻を向けてサンダルをぶらぶらさせている。
  みゅうがドアの音にゆっくり振り向く。
茨「そこのファミレスBuitoniでお茶しよう」
みゅう「何時に終わりますか」
茨「八時半なら大丈夫」
みゅう「じゃ八時半」
 
○ みゅうの家(同夜午後7時45分)
母親と二人。みゅうメールに気づく。
○ 姉のメール インサート
『ゴメン。今、和歌山なの。低気圧で飛行機飛ばずに帰れない。』
みゅう「ママ、くーちゃん帰らないって」
母「電話があったわ。同僚の人と和歌山よ」
靴下を出してソファではきながら
みゅう「私も職場の人が東二に学会で来てて、Buitoniで会ってくる。10時までには帰る」
  一瞬驚くが納得顔で
母「これから?まあ!あなたたちはいくつになっても何から何まで本当にそっくりね。」
みゅう「そうかしら、行ってきます」
母「でもね、お姉ちゃんにはもう教えたけどあなたにはまだ教えてない事があるのよ。」
みゅう「えっ?」
母「それは子供のとき聴いてもわからないし、大人になっても、この人だって人が現れたときじゃないと判らないことなの。」
みゅう「そんな人じゃないわよ」
母「だって今までこんな事しなかったじゃない。あなたたちも、その人たちが今までとは違うってうすうす感じてるから、こんなことするのよ」
黄色のラブラドールを呼び寄せでかける。

○ 東二駐車場(同日午後8時15分) 
茨の車の後の柵。今度は茨が車向きになって座る。木が風にざわめきブレザーを脱ぐ。

○ 回想・外来ブース1(今日の昼休み)
婦長「先生なら判ってると思うけど、あの娘は物が違うでしょう。大切にしてあげてね」

○ 東二駐車場(同日8時15分)
茨「こんな夜遅くからお茶に誘ったのがとんでもないことをしたように思えてきたよ」

回想・外来ブース1(今日の昼休み)
婦長「あの娘は頭もいいでしょう。明るいし、ボインだし」

○ 東二駐車場(同日8時15分)
茨「自分は肝炎を患ったばかりで、しかも一回りも年上だ」
  携帯を取り出すが
茨「断ろうにも携帯の番号聞いてなかった」
  すぐ横の住居表示図街区図に気付く茨。
花屋の裏は5丁目1。104に電話する。
104の案内の声「3717-OOOOです」
  すぐに電話すると
老婦人の声「はい、もしもし加藤です。」
茨「夜分遅く申し訳ございません。私英利華さんの職場の同僚の茨と申しますが、、、」
老婦人「ああそれはうちじゃございませんのよ、エリカちゃんのお宅は3718ですよ」
  茨絶句。電話を切る。
茨「教えてもらっちゃっていいのかなあ。」
  再度電話する茨。緊張する頻脈の音。
母「ハイ加藤でございます」
茨「私、茨と申しまして英利華さんの同僚のものです。英利華さんはご在宅でしょうか」
母「アラあなたが同僚の方?えりかは今、」
突然、みゅうの声。
みゅう「せんせ」 
  振り向く茨。犬を座らせ前屈みのみゅう。
茨Aside「この娘、こんなに髪長かったんだ」
茨「やっぱり遅くなっちゃうからと思って電話しようとしたら携帯の番号聞いてなくて、104できいて、そしたらおばあさんの住んでる加藤さんちにかかっちゃってもし知り合いだったら申し訳なかったってお伝えください」
みゅう「親類らしいですよ」
茨「誘っといて御免なさい。今日はよそう」
みゅう「家にはBUITONIでお茶で10時には帰るって言ってきたから大丈夫ですよ」
茨「今からBuitoniでもないし」
みゅう「今頃このこのお散歩ついでにシフォンケーキ買に行かされますよ。でも、じゃ仏カフェ(la Primeur)でもいいですか?」
 吹き付ける風は生暖かくなり、雨が降り出し雨どんどん強まる。車に避難する二人。
茨「送ってくよ」
みゅう「え、もう。まだ大丈夫ですよ」
  さらりと言うみゅう。
 
○ みゅうの家の前・車の中(同日同時刻)
車を家の前に止めても犬は動かない。
みゅう「もうあんなこと無いように携帯の番号とメアド教えます。」
 
○ 動き出す車の中(同日)
家の前で手を振るのが雨越しにゆがむ。
茨「もう二度と誘っちゃいけないんだ」
車を出しながらメアドと電話番号を消す。

○ 病院待合室(9月20日日曜日 7時)
玄関には人だかり。医事課の女青木
青木「今日は、まる一日勉強したかったわ。もう、今週土曜日テストなのに」
井村「早く通して8時でしめちゃお」
青木「信者の方は9時からミサで、それ以後のは野次馬ばっかりだろうから」
信者1「韓国の血涙のマリア様はいろいろ病気を治してくれたって」
7時の時報で開放すると、整然と入って来てひざまずいて祈り動こうとしない人たち。

○ 病院(9月25日金曜日 朝10時)
  今週もみゅうがつく。ブースに二人きり。
茨「10時で患者さんが途切れるなんて珍しく暇だ。先週の佐藤さんも来ないね」
みゅう「昨日電話したら培養だけは出ていて、pcには感受性が出てからの最終報告じゃないと飛ばさないそうで、まだ載ってません」
茨はみゅうの指し出すカルテに目を移す。
茨「昨日、外注の検体ラボに電話したの?」
みゅう「ええ。うちの検査科できいたから」
差し出がましいことをしたというように少し恥ずかしそうに目線をそらしうなづく。
茨Aside「俺が気にして大学病院から電話しなきゃいけないのに。またやられた。まあ、外注のラボに電話一本すれば済むことだけど」
茨「Serratia marcescens(++)セラチア?」
みゅう「何ですかセラチアって?」
茨「大腸菌と同じようなグラム陰性桿菌だ」
みゅう「???」
  患者が途切れているのを見て話し出す茨。
茨「もともと人間の最大の敵は、肺炎等の呼吸器感染症だった。この原因細菌を見つけ出すためにグラム(GRAM)という人が染色方法を発見しこれに染まるボールのような球菌が肺炎の主たる原因ということがわかった。
  これに対する抗生剤は偶然アオカビから抽出され1940年代から使われだした。これで勝負がついたと思われたが、このペニシリンに抵抗する桿(さお)状のソーセージのような桿菌(かんきん)が主役として現れた。」
みゅう「もうその菌には勝てないんですか」
茨「この菌に屈したかのごとき人類だったけど1970年代、ようやくイタリアのサルジニアの下水からこれに効果のある物質がみつけられた。でも、このセフェム系の抗生物質の登場にもかかわらず抵抗してくる菌は出現し、それに対する抗生物質が開発されるといういたちごっこが繰り返されている。」
みゅう「セラチアにも薬はあるんですか?」
茨「培養の容器に偶然生えたアオカビのところには、ばい菌が生えなかったように、この菌に約20種類の抗生剤を別々にぶっ掛けて抑制効果があったもの、要するに感受性のあるやつ、効くやつを使えばいいだけだよ」
みゅうAside「確かに感受性が出てそれにあってる抗生剤を選べばいいんだろうけど、しつこく副鼻腔炎を疑って耳鼻科でもないのに鼻鏡を突っ込んで培養出す人なんていないわ。最初の痰の培養では検出できてないんだし」
みゅう「セラチアはどんな菌ですか?」
茨「大腸菌と同じような桿菌で、まあどこにでもいるような雑菌だ。免疫力が落ちたときに感染することで有名なのと、脳外科の病棟で感染がでて、雑菌なんで流しが薄くピンクに染まって見えるとセラチアだとかいって病棟のチェックをしたよ。奇跡という別名があったんだっけそれくらいしか知らないなぁ」
みゅう「ここにでてる霊菌てなんですか?」
茨「あ、それだ。奇跡じゃなくて、幽霊の霊。何でそんな名前なのか昼休に調べてみるよ」
 
○ 外来ブース (同日午後1時半昼休み)
茨が座ってpcを見ている。
みゅう「感受性間に合ってよかったですね」
茨「セラチアの霊だけど。キリスト教ではパンとワインがキリストの肉体と血を象徴していてキリスト教の重要な儀式である聖餐式では、パンやパンを模したウエハースを肉体とし、ワインを血として式が執り行われる。かつてこの聖餐式でパンに付着したセラチア菌がパンをピンクから赤に染めあたかもキリストの肉体から血がしたたり落ちるという奇跡を起こしたかのように見せたことがあった」

○ インサート
カトリック聖餐式で割ったパンから滴り
おちる赤い血の様な液体に驚き崇める信者。

茨「このことから、この赤い色素もラテン語で驚異(おどろき)をあらわすProdigumからProdigosin(プロディゴシン)と呼ばれ、セラチアも霊菌とも言われている。日本語で言う幽霊の霊ではないらしいよ」
みゅう「抗生物質は当りだったんですか?」
茨「だめじゃないみたいだけど、感受性ではアミカシンにしたほうがいいようだ」
みゅう「佐藤さんは免疫力も異常ないのに、健康な人でもセラチアになるんですか」
茨「ヘロイン中毒や、院内感染では肺炎などの原因になる。水のあるとこに生え易く特に留置している経鼻経管栄養の経鼻カテーテル、尿道カテが感染を引き起こす誘引となるとされていて、特にこれらの再利用は厳禁だ」
みゅう「でもあの人は経鼻カテも尿道カテもなかったですよね。今pcに名前載りました」
  pcを見ながら言うみゅう。今ひとつといった前と変わらない表情で入ってくる佐藤。
茨「調子はいかがですか」
佐藤「寝汗はいいみたいですが、頭痛は相変わらずで熱発も続いてます。」
茨「感受性が出たので抗生剤を変えます。ところで今までに経鼻カテを使ったことは?」
佐藤「いいえ」
逆に佐藤が訊く。
佐藤「経鼻カテ挿入で危険はありますか?」
茨「挿入時ですか?鼻咽頭の粘膜損傷や気管などへの誤挿入ですが、なぜですか?」
佐藤「いえ」
茨「お薬は通常7日分ですが経過では内服継続もあるので来週も来て下さい」
  処方箋を受け取った佐藤が出ていく。
  
○ 外来ブース(同日夕方 外来終了直後)
茨は帰り支度をしながら佐藤のカルテの表紙を見ている。表紙には国保家族のシール。
隣の空いたブースで伝票貼りのみゅう。
アキ「みゅうちゃん、後やっとくから帰って。明日テストでしょ」
みゅう「アキちゃん」
  驚いた表情のみゅう。
みゅう「あと検査結果の伝票貼りだけで、30分ぐらいだから」
アキ「だったらなおさらやっとく、この前の試験のお礼だから。もう帰って勉強して」
婦長斜めから見ていて
婦長「今日は金曜だから伝票の数も多いし、1時間じゃ終わらないでしょう」
婦長Aside「アキちゃんがこんなこと言うのははじめて見たわ」
婦長「アキちゃんがそう言ってくれてるんだから帰りなさい」
みゅう「はい。じゃお先に失礼します」
バッグ(Franzi のTOTE)を取り出し茨に
みゅう「先生お先に」
佐藤のカルテをめくっていて気づかない
茨「なぜ経鼻カテって言葉知ってるんだ?」
  最後の頁に切り替え前の保険証のコピーが貼ってあるのを見つけ食い入るように見る。
苗字の違う実母と思われる加藤マツという老婆の扶養に入っている佐藤綾33歳で長女。
茨「彼女の旧姓は加藤さんだ。加藤マツさんは実の母で、住所も一緒、今は同居中だ」
pcに加藤マツの名前を入れ処方を見ると経鼻カテのときに使用する栄養剤の処方がある。
茨「あった、ここに経鼻カテが」
受付にカルテを出してもらい確認する。茨「同居の実の母が経鼻カテ使ってるじゃないか。半年前から月に一度脳外科に痴呆のため受診して栄養剤の処方をされてる。きっと痴呆の母が訳もわからず自己抜去したチューブを彼女は触ってるんだ。みゅ、加藤さん」
アキ「もう帰りました」
茨Aside「そうか」
メアド消したのを思い出しメモを書く茨。
メモ『佐藤さんのお母さんが経鼻カテを使ってます。カテの衛生に注意するよう来院時に伝えてください。茨』   

○ 待合室(同時刻)
帰り際に井村にメモを渡して帰っていく。茨「クラークの加藤さんに渡して下さい」
井村は受付カウンターにテープで止める。

○ 大学病院食堂(翌日土曜日テスト当日)
試験当日昼休み。みゅうと前川と青木
青木「みゅうちゃん後で問題出し合おうね。あーあ。テスト終わったらゆっくり休みたいのに。明日は日曜なのに涙番で出勤よ」
前川「ほんとせっかくの日曜日だってのに」
みゅう「何ですか涙番って」
前川「カウンターの医事課職員は先々週マリア像が血の涙を流してから、先週、今週と、日曜に7時出勤で、野次馬整理をしてるの」
みゅう「話には聞いてたけどいったいどんな涙なんですか。」
前川「そうかあなたが来る直前の6月以来だもんね。本当に真っ赤な血のような涙よ。」
写メを見せる前川
青木「信者が礼拝すること引きも切らずよ」
みゅう「誰かのいたずらじゃないんですか」
みゅうAside「キリストじゃなくて、マリア様に奇跡の赤ですか」
前川「そう思って防犯カメラをチェックしたけど手を触れたものどころか近寄ったものさえも映ってないの」
青木「あまつさえ今年になって保護の為にプラケースでマリア様を覆ったとこだったの」
前川「先々週はプラケースはずしてきれいに拭いたのに、また先週血の涙が流れてたの」
みゅう「日曜って?」
前川「それが不思議なことに、流れるのは」
みゅう「…」
前川「必ず、決まったよに日曜日の朝なの」

○ O病院待合室(翌9月27日 日曜朝7時
赤い涙を流したマリア像のアップ
待合室のみゅうと井村、青木。
玄関にはチェーンが張ってあって小雨なのにすでに人出が多く外にもあふれている。
患者ために見物人を制限している三人。
井村「うちは入院も、救急もやってるんだからこんな事に関わってる人手も暇もないぜ」
みゅうaside「本当に7時から来て整理してるんだ。本当に真っ赤ね。マリア様で奇跡の赤っていったらやっぱりセラチアよね」
みゅう「でもどうして拭いても拭いても決まって日曜日に出てくるのかしら。」
井村「さあ?もう拭いちゃってもいいだろ」
青木「一巡してからにしたほうがいいわよ」
みゅうAside「外で待ってる人たちが怒るわ」
解放し数十名の人たちがかわるがわる入っては手をあわせ祈りの言葉を唱えてる。
8時を過ぎてようやく人が減りだした。
井村「もう少ししたら清拭して閉めよう」
みゅうAside「その時培養を採らせてもらお」
  人気もなくなり最後に入ってくる佐藤親子。車椅子の老母の鼻からは使い古しベトベトの経鼻カテ。井村は佐藤親子の車椅子を手伝い受付カウンター裏に貼ってある茨からみゅうへの伝言の前を通り過ぎ待合室に入る。
ハシゴや培養検体採取キットをいじっていて佐藤親子に気づかないみゅう。祈り終わって最後の佐藤親子は帰ろうと向きを変える。
薄暗い待合室に朝日のスリット状の光が差し込む。光が目に入り思わず同時に振り向いて目を合わすみゅうと佐藤親子。
みゅう「佐藤さん!」
眼鏡をかけた雰囲気が瓜二つでまさに親子といった感じ。似ているが、何よりみゅうの目は老婆の鼻から出ている経鼻カテに釘付けになる。古びている経鼻カテのアップ。
みゅうAside「経鼻カテじゃない。あんな汚れて。チューブの再生利用は厳禁だって」
みゅう「佐藤さん、お早うございます」
みゅう呼び止めちかづいていく。
佐藤「あら看護婦さん、お早うございます」
佐藤は帰ろうとして、もう一度母に
佐藤「お母さん、見て、マリア様私たちをお導きくださるよう私たちの苦しみを背負って血の汗を流してくださってるのよ。」
  老婆はまったく答えず。今度は本当に出て行こうと背を向ける。みゅうは近づいて
みゅう「佐藤さん違うのマリア様の血の涙はセラチアというばい菌が原因なのよ。」
そんなみゅうの声を気にもせずもう一度と最後に見せようとする。
佐藤「マリア様、お導きください。また来週参ります。」
みゅう「来週って。セラチアは、院内感染の原因になるばい菌なのではやしとく訳にはいかないの。もう二度と流れないのよ」
ハシゴを組み立てだした井村見て佐藤親子はようやく出て行こうとする。そのとき天窓から朝日が差し込み血の涙を流したマリア像が浮かび上がっているようになる。薄暗い待合室に、斜めの光が強まり表情が動いたかのようなマリア像。みゅうと佐藤親子しか目にしていない。佐藤もぼう然と見とれている。
母「綾ちゃん、ごらん」
佐藤「お母さん、私のことわかるの!」
母「マリア様が血の汗を流してらっしゃる」
佐藤「お母さん、お母さん」
それもつかの間、明るくなる待合室。
佐藤「五ヶ月ぶりなんです。私のこと娘だって、綾ってわかってくれたのは」
涙が溢れそうな佐藤。言葉のないみゅう。       
井村が掛けたハシゴの音にわれに返り
みゅう「一昨日の続きのお話があるんです」
  井村がハシゴに登り始め血の涙を拭うおうとしているのがみゅうの目に入る。
みゅう「待って培養だけ採らせて。拭いちゃうと何の菌だか判らなくなっちゃうんです」
  井村を制してハシゴに飛び乗ると一気に登って赤い涙を一部ぬぐい検体容器に入れた。
何度も感謝の十字を切っている佐藤だが
佐藤「失礼します。これからミサなんです」
みゅうはハシゴの途中から飛び降りて
みゅう「ほんの少しですから」
  と頼むが、ゆっくりと出て行く親子たち。
 
○ 外来ブース(同日)
みゅうは急いで涙から採取した培養検体にシールを貼って検体用の保温機に入れる。
待合室越しに玄関の前を経鼻カテの老母を乗せたハイブリッド車が出て行く。
井村「佐藤。茨先生から伝言だよ」
メモを受け取ると内容も見ずに髪も着替えもそこそこで通勤用の電チャで追いかける。
みゅう「お願い、踏み切りでつかまって」

○ 大井町線踏み切り(同時刻)
逆に自分がつかまって。伝言を取り出す。見ると経鼻カテのこと。
メモ『佐藤さんのお母さんが経鼻カテを使ってます。カテの衛生に注意するよう来院時に伝えてください。茨』
みゅう「いまさら遅いぞ。茨」
 
○ 目黒通りの伊勢丹前の歩道(同日)
氷川神社の神輿の人出であふれて車道に    
一般歩行者や自転車、通行人を誘導している。
最左車線で膨らみをパスできずに佐藤の車がウインカーを右に出したまま止まっている。
みゅう「やった!追いついたわ」
  車道に出ようとすると、車道で整理をしているハッピ姿の男の後姿に僅かに触れる。
みゅう「ご免なさい、通してください」
男、振り返り
みゅう「みっくん!」
みっくん「みゅう!」
みゅう「どうしたの?お祭に帰ってきたの」
みっくん「音楽コンクールで帰ってきてんだ。来週の日曜三次なんだ」
みゅう「三次って、最終予選の三次予選?」
みっく「ああ、10時から」
みゅう「じゃ通れば本戦?すごい!行くよ絶対。でもそんな大変なときに何してるの?」
中央車線の車が途切れ神輿をパスしようと動き出す車。それを見てあわてるみゅう。
みゅう「じゃ来週行くから練習がんばって」
みっく「ああ、じゃな。相変わらずだよな」
 
○ サレジオ教会の手前(同日)
尖塔の前で減速し曲がる佐藤の車の遠景

○ サレジオ教会の脇駐車場。(同日)
複数の駐車場に同色のハイブリッド車。
みゅう「せっかく見つけたのに。そう何度も、症例1のときのように一回でうまくいかないわよね。でも、どうせ今週金曜日には来るんだし今日はもういいよね。お買い物行こ」
  完全に青空になったサレジオ教会の尖塔

○ 車の中(同日曜日10時)
髪をおろしてみゅうが一人で運転。
坂道の途中の交差点・鎗が崎を左車線から青信号で一気に加速して通る、気持ちよく。
みゅう「そうね、来週の楽コンにワンピも買っちゃお」
  JRのガードを越えて信号待ちで右折。ビルの谷間から寺で視界が急に広がる環状通り。
みゅうAside「この通りのこの場所が好き。ビルの間で一回視界が狭くなって急に開ける前の、風が一回すぼまってお寺の緑で広がって吹き抜ける前の、まるで弓が引き絞られて力が蓄えられている様な豊かな感じが好き」
お寺の交差点を左折し
みゅうAside「お母さんが先週言ってたお姉ちゃんはもう知ってるけど私には教えてないことっていったいなんだろう。あえてお母さんに聞くと、あんな意地悪なおっさんが大事な人ってことになっちゃうから聞けないし。今日の伝言だって、どうして手渡しのメモなの。何でメールよこさないんだろ」
 
○ 外来ブース前(10月2日金曜午前8時)
茨が私服で出勤。ブースに入る茨を見かけるみゅう。茨の後を追うようにして外来ブースへ。ドアも窓も開け放たれた誰もいない朝のすがすがしい時間。十月なのにセミの声。
茨「おはよう。テストどうだった」
みゅう「ばっちり。先生アリガト。先々週先生が佐藤さんに言ってた、この人が何で困って何を求めて来てるかって、出題されたの」
シャツ(naracamicie)で深々と頭を下げた。
茨Aside「よくそんなこと覚えてるな」
茨目をそらす。
みゅう「でも今週日曜、マリア様の血涙の時、佐藤さんがお母さんとベロベロの使い古しの経鼻カテで来たのに注意できなかったんです。あのカテに毎日触るのにあんな汚れて」
茨「なんだい?マリア様の血涙って?」
みゅう「2週間前から日曜日ごとにそこの待合室の柱に彫ってあるマリア像が真っ赤な血の涙を流してるんです」
茨「初めて聞いたよ」
みゅう「プラスチックで覆ってあるのに拭いても拭いても日曜日ごとに流れるんです」
茨「そんならさぞかし大騒ぎでしょう。でもどうして佐藤さんが血涙を見に来てたの?」
みゅう「経鼻カテの入った痴呆のお母さんにマリア様の奇跡を見せたくて来たらしいんですが。肝心な経鼻カテが感染の原因になることがあるって言おうとしたら涙の培養出してる間にミサに行くって帰っちゃって、追いかけたけどサレジオ教会で見失っちゃって」
茨「培養の結果は」
みゅう「先生がキリストの奇跡って言ってた様にやっぱりセラチアでした。でもなぜ日曜毎にセラチアが涙になって現れるのかしら」
茨「午前中が早く終わったら見てみよう。今待合室は順番待ちの人でいっぱいだから」

○ 待合室 (同10月2日金曜日午後一時)
異常な残暑で冷房がフル稼働しているアップ。人気のない待合室の壁際マリア像の下。冷房の排気口についた水滴がみゅうの胸元に落ちる。上を見上げるみゅう。天井の継ぎ目に沿って水滴が落ち、プラケースの中までも水滴が落ち、マリアの顔に涙のようにかかる。
みゅう「先生水が」
茨もマリアの目に水が垂れるのを見る。
茨「日曜日ですか」
茨しばらく考え込んで
茨「この待合室の冷房が切れるのは?」
  みゅうは受付カウンターで聞きいてくる。
みゅう「土曜日の昼過ぎから月曜の朝の間だそうです」
茨「セラチアは3-4日間で水気の多いところで繁殖し、高温が苦手だといわれている」
みゅう「それが日曜日と関係あるんですか」
茨「冷房が入る月火でマリア像の顔に水滴が落ちそこにセラチアがついて水木金で繁殖して土日で発色してたんだ。真夏の冷房が切れると暑い時期は冷房のない土曜の夜が暑すぎて発色できなかったんだ。暑さの和らぐ9月になってようやく生えるようになってきた」
みゅう「6月に一回だけ現れたのは?」
茨「おそらく6月になって冷房を入れて水滴が落ちて始めてセラチアがつくことができた。それ以後は土曜日が暑くなりすぎて発色するまで増殖できなくなったんだろう」
みゅう「要するに昼冷房が必要なぐらい暑くて、夜は冷房なくても涼しいときじゃないと発色できなかったってことね」
茨「セラチアは嫌気性菌といって酸素がないほうが繁殖しやすく今年になってつけたケースの密閉が増殖によりいっそう拍車をかけたんだ。もう冷房もやらなくなるだろうから生えないと思うけど念のため天井にシートを敷いて、今日も消毒しといたらいい」
みゅう「もうこれで涙は流れませんよね。私、血涙がセラチアのせいで流れてるって言っちゃったんです。原因がわかったら院内感染の雑菌を病院がはやすわけにはいかないからもう流れないようにするって」
茨「当然だ」
みゅう「そしたらその直後何ヶ月も佐藤さんのことわからないままだったお母さんが佐藤さんの名前を呼んでマリア様見てご覧て、一瞬だけ正気になって、わかってくれたんです。でももう私がセラチアだって見つけちゃったから、流れませんよね」
  うつむくみゅうに静かに力強く言う茨。
茨「一度で十分だよ」
みゅう「え?」
茨「思い出というのは母親本人でなくて、それを胸にして残される人の中にしか存在しないんだ。だから一瞬でも正気になったときの声、表情が佐藤さんの心に残っていれば十分だ。きっと彼女は何回も何回も心に焼き付けているに違いないよ」
みゅう「…?」
  みゅう顔を上げ、涙のないマリアを見つめる茨を見る。
茨「悪性の脳腫瘍で昏睡になって亡くなっていく人の思い出は、意識があって意思を通じあえたときのもので、昏睡のときのものではだめなんだ。残された人たちはその思い出がたった一回のものでもそれを何度も語り合うことによってずっと心に刻んでくんだ」
みゅう「ふーん。ほんとに脳外科だったのね。この人」
茨「でも偶然とはいえ、まさにその涙の赤はProdigosin奇跡の赤だったね」

○ 外来ブース(同日金曜午後3時30分) 
みゅう佐藤宅に電話する。
みゅう「佐藤さん電話にも出ません」
茨「この電話は同居前の番号でしょ。このカルテの表紙は何年も前のものだよ。」
みゅう「経鼻カテが佐藤さんの原因かは不明だけど、お母さんにも感染の危険があるんだから再利用はだめだって教えてあげなきゃ」
茨「明後日サレジオ教会に来るのは確実なんだから君がいって教えてあげればいいよね」
  みゅうコメカミに手をやり頭を抱えて
みゅう「そうだ。症例1のときも退院したり外来の受診が終了したら先生が自宅へ行ったりは絶対しないっていってたっけ」
茨「俺はプライベートな所へは行きません」
みゅうAside「でたーーー」
茨「テレビドラマでは勝手に患者家族のプライベートに入り込む若い医者や、工事現場で工事用ドリルでケルノーハのノッチもあるのに外傷者の頭部に穴を開けている救急の医者がいるけど、脳外科の専門医がCT撮って万全の手術しても結果がだめなら訴えられる昨今、こっちがしゃしゃり出てく幕じゃないよ」
みゅうAside「何この屁理屈男。昼はあんなにいいこと言ってたのに」
みゅう「でもおばあちゃんは先週佐藤さんと来たばっかりで次は三週間後で、二人してセラチアになっちゃうかもしれないんですよ」
茨「なら君がサレジオ教会行って偶然あったようにして話せば?俺はとにかく行かない」
みゅうAside「私にいけって?」

○ 待合室(翌々日10月3日 日曜朝7時)明るい朝。マリア像のアップ。涙は流し
ていない。みゅうと村井だけ。見上げて、
村井「原因がセラチアだって判ったって噂が流れたから今日はほとんど人出がないかな」
みゅうAside「佐藤さんちが来てると思ったんだけどやっぱり来ないよね」

○ O病院の駐車場から出た車の中(同日)
みゅうAside「O病院には7時から見に行ったんだから、もういいよね、サレジオ協会は」

○ 家の手前の衾町公園の脇の一停(同日)
祭灯のためにススキが刈られて小鳥と少女の像が見える。思わず車を止めるみゅう。

○ 回想・公園(高3のみゅうとみっくん)
公園で男女数人で缶ケリしている。空は鉛色。鉢合わせし少女の像の影に座る二人。

○ みゅうの部屋(10月3日 日曜朝8時)
楽コンの会場の地図。先週買ったシフォンのワンピースをおろす。FRANZIは戸棚のまま。

○ みゅうの車(同日 日曜9時)
 晴れた空。鎗が崎の信号はぎりぎりで登れない。信号待ちで思い出す。

○ 回想・一昨日の診察室
茨「君はサレジオ教会に毎週彼女たちがいってるって知ってるんだから」
茨「俺は行かない」
みゅうAside「私にいけってこと」

○ 回想・先々週金曜日の診察室
みゅう「とても33には見えない愚痴の塊の様な冴えない人を、なんで助けるんですか?」
茨「だってこの人は悲しみに沈んで深呼吸も満足ににできてないじゃないか」

○ みゅうの車(10月3日 日曜9時)
IRのガード先いつも信号で止まる交差点渋谷橋を止まらずに右折し環状通りに入る。
みゅう「このまま真っ直ぐ楽コン行こう」
    ×   ×   ×
  一度狭くなって広がろうとする視界に。
みゅう「お姉ちゃんはもう知ってるんだ。なにが一番大切かを」
一気に拡がる視界に
みゅうAside「私にはまだよく分からない。でも、今始めて、ぼんやり感じた。この、力が蓄えられるような豊かな感じを、今度はあの人と手に入れられたらいいって」
 
○ 回想・診察室(先々週金曜日)
茨「だってこの人は悲しみに沈んで深呼吸も十分にできてないじゃないか」

○ みゅうの車(10月3日 日曜9時)
みゅう「もーしょーがないーーーー」
気がつくとお寺を右折している。首都高の下のトンネルに入ったので急に後悔して。
みゅう「あれ?これでいいのかなぁー。お姉ちゃん。お母さん」
  目黒通りで坂を下りながら、さらに後悔。
みゅうAside「先月のテストに引き続き茨先生のせいでまた今度は楽コンに行けないのー」
 
○ サレジオ教会(同日 日曜11時30分)
待っている間に曇り空。車椅子を押した佐藤親子がようやく最後の最後に出てくる。
みゅう「おはようございます」
佐藤「おはよう、素敵ねワンピ、見違えた」
みゅう「来院されないので心配してました」
佐藤「すっかりよくして頂いて」
みゅう「もう今日は、涙流れなかったんですよ。あれはセラチアという佐藤さんのお鼻にもついてたばい菌が原因だったんです」
佐藤「知ってました。今週はもう流れないだろうと思ってO病院にもいきませんでした」
みゅうAside「なんだ、聞こえてたんだ」
みゅう「それからお母さんの経鼻カテですが、再利用ではセラチアの感染の原因になるのでくれぐれも使い捨てにしてお使いください」
佐藤「はい。今週必ずうかがいます」
 病院の封筒を目の前にかざし言う佐藤。
みゅう「え、うちの病院の封筒?」
佐藤「今神父様が渡してくださって。茨先生お手紙どうもご親切に。主を目の当りにできて、自分の言葉を灰の中で悔い改めます」
手紙『お加減いかがでしょうか。今週治療効果を見るためにCTを撮るので午後でいいので御来院ください。追・お母様の経鼻カテ再利用は感染の危険のためご遠慮ください。茨』
佐藤は曇ってきた空の下、大きく息を吸い込むと急いで車椅子を押して帰っていく。
   
○ みゅうの車(同日 日曜12時)
みゅうAside「しっかり手を打ってんじゃない。プライベートには立ち入らないとかいっといて。私のこと信用してなかったのね。そりゃ先生には行くとは言ってないし実際渋谷橋までは行くつもり無かったけど。楽コンあきらめて、こっちを選んだのにーーー」

○ 帰衾町公園の横(同日 日曜の昼近く)
曇り空 みゅうは車を止めて像を見る

○ 回想:公園(高3のみゅうとみっくん)
缶ケリで騒ぐ声。みんなが散って静かになる。二人が逆方向からテラスのライオン像の下、鬼の死角のベンチに走って来る。息が荒い二人。鬼の足音の下で肩を寄せる二人。 
みっくん「俺オーストラリアに行くんだ」
みゅう「ピアノならオーストリアでしょ」
小鳥にキスする少女像。顔を寄せる二人
目を閉じるみゅう、みっくん。唇が触る。
曇り空のアップ。

○ 帰衾町公園の横(日曜の昼近く)
ムーンルーフをプッシュで全開にしそこから見える曇り空に重なる。我に返って
みゅう「覚えてないよね」
みっくんの家の前の一停で止まるとピアノの音が聞こえる。三次課題のピアノソナタ。
みゅうAside「きっと失敗したんだ。もう帰ってるってことは。」
車を止めて急いで降りるとベルに手を伸ばすが、ためらうみゅう。でもとうとう押してしまう。茨ドクター危うし!



   城南風(じょうなんふう)
    
       症例3:奇跡の血涙


 

一日百人近い患者を診ている中でも、治療困難な症例を見逃さずにわずかな異常をも発見し、原因を追求治療していく医師茨35歳。
これまでは一人ですべてを解決している茨だったが二ヶ月前から外来クラークとしてみゅう22才がやってきてからは、なぜか単なる事務員の彼女が治療困難な症例の解決に関わってくるようになる。足手まといになるというよりは症例はむしろスムーズに解決していく。症例1:妖精オンディーヌの呪い。症例2:ハッジ(メッカ巡礼)に続き今回は二人で扱う3例目の困難症例:奇跡の血涙。みゅうはただ単なる事務員として多くの医者と接しているのだが、普通の医者とはどこか違う茨にいやいやながらひかれている。
今日も普通を装う患者の中に混じって治療困難なクリスチャンの女性がやってきた。一ヶ月以上続く微熱。いろんな病院にかかって相手にされず。茨は鋭い診察眼で彼女の病気のみならず、その原因も看破する。原因はセラチアという細菌による副鼻腔炎だった。
偶然にもこの菌が原因となってみゅうたちの病院のマリア像が日曜に赤い血の涙を流すという怪現象が起こり、病院は対応に追われていた。みゅうがこの原因を突き止められそうになったとき、目の前に困難症例の女が老母を伴いやってくる。痴呆で娘の顔もわからなくなり、食事も取れなくなった母親にマリア像の奇跡による回復を期待しているのだ。母親の鼻にはセラチアの原因となる経鼻カテが挿入されていた。マリア像の血涙の原因究明を優先したため一足違いで老母の感染の危険を救えなかったみゅうは二人を追いかけるが、みっくん22歳に再会するせいで見失う。
初恋の人は四年ぶりに音楽コンクールの為に帰国しているという。楽コンの本戦出場をかけた最終予選の日曜日の午前中は老母が教会に現れる数少ないチャンスでもあった。本戦をかけたみっくんの応援に行くか、茨に言われ老母への感染の危険を知らせに行くか。迷ったみゅうのとる道は。
迷った挙句、茨に言われたサレジオ教会を取り、無事親子に感染の危険を注意できたみゅうだったが…。第三話にして茨とみゅうの仲は急に近くなっていくが、お決まりのライバル出現に二人の行く先は?危うし茨。


                    白と黒       
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ナレーション「陰陽分れざりしときと始まる
 日本書紀は、景行天皇が浦賀水道に響く鳴
 き声からミサゴ(鶚)の姿を探したとして
 いる。この鶚が巣にボラを貯めこみ自然発
 酵したものを、人間が鶚の眼を盗んで手に
 入れ食す。これが古来伝わる鶚鮨である」

○ 広島県宮島 世界遺産厳島神社
  国鉄(JR)宮島桟橋駅沖の手漕ぎ舟(26年前九月終わり)
国鉄の制服の30代の男(重氏32歳)と同僚50代の男(孫四郎57歳)。トンビ大の胸と羽だけ真っ白い鶚(ミサゴ)が舞ってるのを舟に揺られ双眼鏡で追っている。
重氏「あの松ですか」
孫四郎「ああ、これ仕掛けられるか?」
 1mほどの巣だが、中心部に魚籠の様な窪
 みがあるように細工した物を指さす。
重氏「ええ。でもなんで来たばかりの俺に教
 えてくれるんですか?」

○ 厳島神社近くの絶壁の森(25年前二月)
重氏と孫四郎が巣の下にいる。
重氏「もう潰すんですか?」
孫四郎「巣の中で五週以上ほっとくと鮨にば
 い菌が繁殖して鶚が死んじまうだろ」
孫四郎が爪切で針金をとがらしている。
孫四郎「俺もそうやって教わったんだ。おま
 えしか潰せないなら今潰さないとな」
重氏「誰か鶚が死ぬとこを見たんですか」
  重氏がバケツをかぶって木を登り、巣の底から魚をつかみだしバケツに魚を入る。
重氏「潰しますよ。いいですね」
針金を数本巣に打ち込み木から降りる。

○ 浜急 水族館駅 近くの森沖のボート上
(2090年、現在9月26日昼近く)
ボートの上で30代の男(本間35歳)50代の男(重氏58歳)が双眼鏡で眺めている。
インサート 鳥(鶚)がボラを捕る映像
本間「重さん捕りました。おいどこ行くの」
重氏「見失うなよ。昔は海岸べりだったけど、
 今じゃ海岸は人が多くて営巣しないんだ」
本間「でも森の向こうに行っちゃいますよ」

○ 森のはずれ。3mの金網で覆われた高さ7mの携帯電話の電波鉄塔(同日昼過)
二人がボートから上陸して追っていく。携帯電話の電波鉄塔の頂上に巣が作られている。金網の外で待っている本間。追いつく重氏。26年前と同じ巣を持ってる。
重氏「これあの巣とかえられるか?」
本間「こんな金網、乗り越えるの簡単すよ」

○ 森の電波鉄塔下(9月26日同日夕暮れ)
本間と重氏が仕掛け終わり巣を見ながら
重氏「実は俺広島に帰るんだ。来月一杯で退
 職で。これで最後のビシャコなんだ」
本間Aside「やっぱり退職するんだ」
本間「何で来て半年の俺に教えるんすか」
重氏「来た日に俺を見つけてくれたからさ」
ナレーション「ビシャコ鮨は羽が水を切る音
 からミサゴが訛ったとされ、これは鶚が魚
 しか捕食しない事による伝説でこの習性も
 確認されていないが、ある巣の下で採取さ
 れた主鰓蓋骨からこの鶚が捕食していたボ
 ラの最大長は1m以上と推定されている」

○ みゅう(加藤英利華22才)の部屋
(10月30日 金曜日 朝6時)
大型スピーカーから曲ダッタン人の踊り。目覚めるみゅう。

〇 みゅうの家、居間(同時刻)
居間で犬(ラブラドールの村上)とみゅう。朝から黄色の犬が寝ぼけ眼のみゅうに跳びかかり卓上のケーキをあさる。
みゅう「こら、村上っ、スィットよ」
頭を撫でて頬擦りをして散歩に出かける。

○ みゅうの勤めるO病院裏。隣の家との山茶花の生垣越し(10月30日金曜日8時)
犬(ラブラドールのデビッド)が生垣の下の隙間から鼻面を出して、医事課の男井村の口からドーナツを食べる。人の気配に井村は病院の通用口に向かう。

○ O病院事務室(10月30日金曜日8時)
医事課の男井村と医事課の女青木。
青木「皆がデビッドに口移ししないでって」
井村「勝手にあいつが舐めてくるんだよ」
青木「井村さん、デビッドはみんなの手も舐
 めたりするんだから。いいですね。」
  しぶしぶ納得顔で、投書箱を開きながら
井村「毛虫がいるって。待合室の山茶花に」
青木「椿よねこれ?山茶花って椿のこと?」
○ インサート インターネット画面
椿や山茶花にはチャドクガの毛虫がつく
○ O病院中庭(10月30日金曜日8時10分)
硝子で四方を囲まれた坪庭に井村が一人。
○ インサート インターネット画面
  山茶花(さざんか)開花時期 秋から冬
           椿は春になってから、
  自生地域 椿 野生種の北限は青森
山茶花 野生種の北限は山口まで
チャドクガは成虫になっても毒棘で刺す。ネットを見ていた青木が井村に駆け寄りガラス越しに叫ぶ。成虫の蛾が飛び去る。
青木「井村さん、刺されるわよ。戻って」
井村「毛虫なんかいないよ、蛾が一匹だけ」
聞こえないまま、よける井村。

○ O病院外来ブース奥 (同日朝8時半)
婦長の周りにクラーク七人が集まり奥のホワイトボードに付けられる自分の名前が貼ってある磁石を見つめている。
みゅう「外科、整形、お願い、茨先生だけは
 やめて。先週もだったんだから」
最後の内科に加藤のテプラを貼った磁石。
みゅうAside「うっ、今日は予約70人なのに」
アキ「みゅうちゃん、今週もまた茨先生よ。
 茨先生、週一しか来ないのに」

○ 外来ブース1(朝8時39分)
井村が医師茨(35)に首筋をみせている。
井村「見てただけですけど」
茨 「成虫にも毒棘があるんですかね?」
○インサート 印刷されたネット画面
チャドクガのすきな木 椿、山茶花、茶
  入れ替わりに入ってくるみゅう。
茨 「中庭に毒蛾がいたんだって」
みゅう「毒蛾ですか?」
茨 「毒蛾皮膚炎て病名になってるんだよ」
  みゅうが本棚の新臨床内科学を出す。
○ インサート 新臨床内科学第9版
毒蛾皮膚炎   雌の毒蛾には毛虫時代の毒針毛の遺残を尾部に有す。これが皮膚に刺入され皮膚炎を生じる。
みゅう「毛虫だけじゃないのね」
  九時の時報
一斉にクラークが待合室に出て行って
みゅう「内科から1番の方お呼びします」 
 ブースに戻り窓際に立つみゅう。
○ インサート カルテ問診表 
55歳男性 グレープフルーツアレルギー
  50代の男が診察室に入ってくるなり
男「グレープフルーツのチュウハイを間違っ
 て飲んで心配で。看護婦さん血圧計って」
みゅう「申し訳ございません私看護婦ではな
 いので計れないんです」
茨 「採血などお調べしてみましょうか」
男「検査の前に診察してくださいよ」
みゅうAside「きたわね、朝一で」
  みゅうがシャツをめくり茨が聴診をする。
茨 「グレープフルーツを食べてそれでアレ
 ルギーが出たんじゃないんですか?」
男「だから昨日、血圧をスポーツセンターで
 計ったら高いので」
茨 「グレープフルーツは降圧剤の効果を強
 め血圧は下がるようで、ご安心ください」
男「えっ、下げるの?」
みゅう、後ろを向いて頭を押さえる。

○ インサート カルテ問診表 
35歳男性 あわびアレルギー検査希望
  患者の本間(35)が診察室に入ってくる。
みゅうAside「またアレルギー?しかも鮑?」
茨 「あわびですか…」
考え込む茨を見ていた男
本間「無理ならいいですよ」
みゅうAside「あわび?これ病院に来ること」
本間の「今年に入って二度目なんですが、明
 日が最後の日だから決心して少しかじって
 みたんですがまだ痒みが続いてるんです。
 鮑アレルギーなんてあるんですか?」
茨 「ええ、採血してアレルギー反応がある
 かどうか調べてみましょう」
みゅうAside「え!鮑アレルギーってあるの」
本間「これから24時間の当直なんです」
みゅうAside「でもこれって病院に来ること」
本間「7月から病院探してまともに取り合っ
 てもらえたの三軒目で初めてです。諦めて
 昨夜食べてみたら今夜当直なのに寝られな
 くて。明日までには結果が出ませんか?」
  
○ O病院外来検査前室 (同日朝9時半)
検査前室に本間。みゅうが入ってくる。
みゅう「やはり1週間かかるそうです」
本間「解りました。お願いします。前の二軒
 は鼻で笑うか食べなきゃいいって。あの先
 生はなぜ相手にしてくれるんでしょうか」
みゅう「そうなんですよね…」
本間「えっ」
みゅうAside「何か普通の先生と違うのよね」本間「あの先生だったら治してくれるかな」
みゅうAside「多分ね。なぜか不思議だけど」

○ 外来ブース1前待合室 (朝9時半)
前室の前で老人に呼び止められるみゅう。
大(おお)先生「茨先生の看護婦さん」
みゅう「みっくんの先生の先生!私看護婦じ
 ゃないんです。事務員なんですよー」
みゅうAside「茨のでもねーし」
大先生「茨先生に礼をと思って。隆、火曜日
 に帰るんだ。今週は連絡取れてないだろ」
みゅうAside「日曜日音楽コンクール本選の応
 援バックレてから連絡無いけど。そんな」
  大先生はCDをみゅうに渡す。
大先生「日曜演奏会の音源。サービスだぞ」

○ 外来ブース1(13時)
12歳中学生女子。母と父親の本間と来院。
○ インサート カルテ問診表
12歳女性 発疹。今日蛾が原因と皮膚科で言われた。ボラのアレルギー検査希望。
みゅう「また蛾?大発生じゃない。教科書で
 は10月までっていうのに。もう11月よ」
母親「皮膚科の先生は蛾が原因って言うんで
 すが、ビシャコ鮨を食べたのが原因じゃ」
茨 「ビシャコ鮨ですか?」
母親「トンビが造るボラのなれ鮨なんです」
本間「鶚だよ。鶚は魚しか取らなくてそれが
 巣で自然発酵した鮒鮨様のものなんです」
茨 「発疹はいつからですか?」
本間「昨夜です。7月にもでたけど今度は強
 く出て。先生なら診てくれると思って」
茨 「洗濯物に蛾がとまって毒棘がついても
 発疹は出ますよ。戸外に外出したことは」
本間「してませんし外干は禁止なんです」
茨 「頬以外に他にできている場所は?」
少女「右の手のひらです」
  茨はじっと発疹を見つめて
茨 「手の甲にはないんですね」
茨 「お宅に犬はいますか?」
本間「ええ、柴犬が」
  本間はスライドグラスを取り出して、
母「相良皮膚科で見せてもらったセロハンテープで皮疹の上をはがしたものです」
○ インサート 顕微鏡像 
ccdモニターに毒蛾の棘
みゅうAside「うっ、痛そう」 
茨 「ビシャコを捕る時のカッコは?」
本間「この服ですが」
茨 「鶚の巣はどんなところに?」
本間「海岸の突出した松の枝でその木に登っ
 て巣の底のボラだけを捕ってくるんです」
茨がセロハンテープでパーカーのフードをしつこく接着してみる。顕微鏡像で棘。
みゅうAside「どうしてあるってわかるの?」
本間「棘が!じゃあこの服が原因なんです
 か?あそこで付いたんですか?」
茨 「わかりません。ただそこに行ってた時
 に着ていて棘が検出されたのならそこへは
 行くべきではないでしょう」
母「7月に比べて特に今回は呼吸が荒くなっ
 て息苦しいって言ったんで驚きました」
茨 「アナフィラキシーです。アレルギーは
 二回目以後に重症化することもあります。
 森の中で毒蛾の棘を浴びてそのまま持ち帰
 って家で棘に接触したのかもしれません」
本間「…蛾のいる木に近づかなけりゃいいん
 でしょうか」
茨 「そうですが、どの木だか判りますか」
  
○ O病院外来検査前室(同日13時05分)
検査前室にみゅうと本間。
本間「4週間目の鮨の巣があってどうしても
 明日遅くとも来週までに手入れしないと」
みゅう「お手入れ、ですか?」
本間「5週間以上たつとビシャコ巣のボラにはバイ菌が生えて鶚が死んでしまうんです」

○ 外来ブース1(13時10分)
 みゅうと茨。アキが交代に来る。
トートバッグ(Franzi)に大先生からもらったCDをしまいこみ、出て行く。
○ 外来ブース1(13時50分)
午前中分が終わるところにみゅうが戻り
みゅう「何で検査台帳は古いの残してるの」
アキ「もっと古いのもあるよ」
棚の奥から5年前のを出し去っていく。
みゅう、新臨床内科学教科書を見ながら
みゅう「Ⅰ型アレルギーって何ですか」
茨 「蜂の毒などが体に入ると何とか中和し
 ようと抗体ができ、二度目にその毒がきた
 時速攻で毒と抗体が反応するのがⅠ型で」
みゅう「どのくらいでおこるんですか」
茨 「数分以内に防御反応物質が放出される。
 ところがこの反応が過剰で呼吸が困難にな
 ったりするこれがアナフィラキシーです」
みゅう「致命的なやつが100万人に0.4人て死んじゃうこともあるんですか?本間さんどうし
 ても鶚の巣の手入れに行くって。先生、お
 嫌でしょうけど…」
茨 「いいよ、致命傷のこと電話で話すよ」

○ 外来ブース1(16時39分)
  みゅうと茨。最後の患者退室。
アキに渡された検査項目台帳を見る。
インサート 5年前の検査項目台帳
 アレルギー項目 食餌 鮑A黒 鮑B白
本間の勤務先に電話し終わる茨。
みゅう「鮑が、白と黒に分かれてて。本鮑を
 黒鮑、雌貝鮑を白鮑って言うんだそうで」
茨「黒はだめだけれど白ならOKかもしれない
 よ。この年だけ黒白分けて載せてるんだ」
  pcに向いオーダーを入れながら
茨Aside「またやられた。俺が気付かなきゃい
 けないのに。どうして君は気付くんだ?」
みゅう「本間さんいかがでした?」
茨 「よっぽど鶚に執着があるようだよ。い
 つもはしない患者への電話までして注意し
 たんだから行くかどうかは彼の勝手だよ」
みゅう「でもアナフィラキシーは?蛾の木に
 近付かなければって、森の中から椿山茶花
 茶をよけるのは無理よ。砂漠の一円玉よ」
○ インサート インターネット画面の印刷
  開花時期、椿は春。山茶花10月10日頃~
自生地域 椿 野生種の北限は青森
山茶花 野生種の北限は山口 
茨 「三種類も探さなくていいだろ」
みゅうAside「!ふーん、自生しているのは椿だけってこと?それだって簡単じゃないわ」
茨 「昼休み調べたけど、モナコ皇太子のア
 ドバイスでリシェはネプチューンという犬
 に僅な毒を再注入した。呼吸困難、ショッ
 クなどで犬が死亡したことから最初の毒が
 過敏症を作り出し再度の注射がアナフィラ
 キシーの原因になったと発見したそうだ」
みゅう「えー、じゃあ今度起ったら死んじゃ
 うの?そんな事言っても私行きませんよ」
茨「俺はプライベートな所へは行きません」
みゅうAside「でたー。お得意の」
茨「作り話では勝手に患者家族のプライベー
 トに入り込む医者や、救急の医者が工事現
 場で頭部に穴を開けているけど、脳外科の
 専門医がCT撮って万全の手術しても訴えら
 れる昨今勝手にでしゃばる幕じゃないよ」
みゅうAside「もう!また私に行けってこと」

○ 浜急終点水族館駅まで1㎞ みゅうの車
(翌日10月31日 土曜日午後4時)
  みゅうが一人で運転。雨が降り出す。
みゅう「降ってきちゃったじゃない、最悪」
新聞の包みを抱えて60歳ぐらいの婦人が、手でひさしを作って歩いている。
みゅう「お乗りになります?この辺の方?」
婦人「ええ、駅の売店のものですが。お花を
 とりに行ってたら降られちゃって」
みゅう「この辺りに椿ってありますか?」
婦人「椿ねえ?」

○ 大学北病院(10月31日土曜日午後4時)
帰ろうとする茨。駐車場脇の藪に山茶花。
茨 「これ山茶花ですか?野生の?」
管理人「山茶花ですがここは農家をつぶし作
 った駐車場だから野生じゃないでしょう」
茨 「人家や廃屋の近くには山茶花があるのか。そういやまた、携帯番号聞いてたよな」
○ 回想 O病院前 茨の車
(一週間前 土曜日 午後6時30分)
茨の車からおりて病院玄関に向うみゅう。
みゅう「また行きましょうねBBQ。メアド
 と携帯番号、もう消さないで下さいね」
茨Aside「もう二度と誘っちゃだめなんだ。俺は肝炎からの病み上がりで12歳も上なんだ」
○ 大学北病院横駐車場
(10月31日 土曜日午後4時)
茨Aside「そうだ、先週の今頃ふたりで浜島で
 バーベキューしてたんだっけ」
○ 回想 浜島つばさ公園 
(一週間前 土曜日 午後3時30分)
小学生の釣竿に大きな魚がかかりみゅうが3mの堤防から砂浜に飛び降りて手伝う。
堤防の上からの水でみゅうが水浸し。
×   ×   ×
  みゅうと茨が小学生二人とBBQをしている。
○ 大学北病院横駐車場
(10月31日 土曜日午後4時)
茨一瞬ためらい、でも電話するが留守電。
茨 「椿だけじゃなく山茶花もお茶も探して下さい。人家や廃屋の周りにも注意して」

○ 浜急 水族館駅(同日午後4時30分)
婦人が車から降り、駅長とみゅうと婦人。
駅長「本間なら今日退職の駅員がいて見納め
 だからって鶚を見に森に行ったよ」
みゅう「この辺りに椿の木ってあります?」
駅長「さあ。おばちゃんは?知ってる?」、

○ 水族館駅の近くにあるハーバー(アニボーシ)駐車場(同日午後4時40分)
みゅうが車から降りると、大きな鳥が海に急降下して1mほどの魚を捕ると鳴きながらハーバーと、反対の森に向かってく。
みゅう「えー、なんか気味悪いんですけど」

○ 水族館駅近く海沿いの森入口(同時刻)
みゅうひとり。鳥の声を追って森に入る。
みゅう「いいや、行っちゃえ」
  船から下りる本間の同僚重氏(58)。シャツにフランネルのスカートのみゅうが先を走る。携帯の電波鉄塔に巣くったのを見上げて立つみゅう。呼吸一つ乱れないみゅうと息を切らして駆けつける重氏。
みゅう「すみません、あの鳥は?」
重氏「鶚だよ。見たか?」
みゅう「ええ、あんな大きな魚を」
重氏「お前こんな時間に一人で何してる」
みゅう「患者さんが鶚にばい菌がつくって。
 でもその人森に近づいちゃだめなんです。
 お嬢さんに蛾のアレルギーが出て呼吸も苦
 しいぐらいで森の蛾が原因の様なんです」
重氏「じゃあ藪に入っちゃだめなんじゃない
 か。やっぱり俺が潰しに行く事になるのか。
 今度は俺が本物か試されるってことか」
 
○ 回想 厳島神社近くの絶壁。鶚の巣がかかっている木の下。(26年前4月)
若い重氏(32)。倒れてる孫四郎(57)。
重氏「大丈夫ですか?どうしたんですか?」
  孫四郎をおぶって崖を下る重氏。
鶚が舞っている。遠景に厳島の赤い鳥居。

○ 回想 水族館駅近くの森
(6ヶ月前2009年4月)
弧を描いて鳴いている大きな鶚に惹かれる様に森の中に入る本間。巣のある鉄塔脇で気を失っている制服の重氏を見つけ
本間「大丈夫ですか?」
重氏「ビシャコは?」
本間「ビシャコ?」
重氏「魚は?木が濡れてて。滑り落ちたら手
 足がしびれて動けないんだよ。」
鶚が舞っている。今度はおぶわれる重氏。

○ 回想 水族館駅(3ヶ月前2009年7月)
  ポリネック(頚椎カラー)の重氏と本間。
本間「退院おめでとうございます」
重氏「ありがとう、でもやっぱり痺れが残っ
 てて手術を受けたほうが安心らしいんだ。
 転んで頭を打たなきゃ良いそうだから広島
 に帰って落着いたら手術を受けるよ」
本間「快気祝に食べたいものありますか?」
重氏「入院直後持ってきてくれたビシャコは
 やっぱり最高だったけど今は特にないよ」
本間「いいから。快気祝なんだから」
重氏「まあ、食べたいって訳じゃないけど、
 ここに来たばかりの時には鮑がこの辺でも
 よくとれたっけなあ」
本間Aside「来たばかりの時の昔話を言うなん
 て重さんやめるつもりだな。半人前で居続
 けるのなんてこの人には無理だもんな」

○ 水族館駅近くの森
(10月31日 土曜日午後4時30分)
みゅうと重氏
重氏「今日で俺は退職して広島に帰るんだよ。
 ビシャコは間に合わないから鮑をもう一度
 食べようって言ってたんだが。あいつは七
 月にアレルギーが出て、俺だけ食べるなん
 てって遠慮したら、病院で調べるって」
みゅうAside「本当に何とかしたかったんだ。
 何で来たのなんて言ってご免なさい」
  本間が電波塔から50mほど離れた一本だ
けそびえる松ノ木に登ってるのを見つけ、
みゅう「本間さん。森に入っちゃだめです」
巣の下からボラを掴み捕りバケツに入る。
重氏「本間、濡れた松から滑り落ちて死んで
 る人もいるんだ気をつけて降りろよ」
  正にそのとき本間が木からずり落ちる。
重氏「大丈夫か?娘さんもアレルギーだって
 聞いたよ。本間も俺も巣に近づけなくても
 巣は残らず潰さなくちゃならないんだ。巣
 の中で五週以上経過した鮨にはばい菌が繁
 殖して鶚が腐って死んじまうだろ」
みゅう「潰すって?」
本間「今からすか?これは俺が潰せますよ」
重氏が爪切りで針金を尖らせ渡し本間が登り巣に針金を刺すと鶚が飛び去る。
みゅうAside「へー、あれで寄り付かないの」
本間「もう一つ鉄塔の巣が残ってますよ」
重氏「お前はあの藪には入っちゃだめだよ」

○ 森のはずれの鉄塔
(10月31日の土曜日午後6時薄暗い)
本間と重氏と、みゅう。再び鉄塔の下。
  鉄塔の頂上にビシャコ巣がある。鉄塔の周りには金網。松が張り出していて松から鉄塔に乗り移ることができるが松に登るにはいかにも蛾がいそうな雑木林の藪をくぐっていかなくてはならない。
重氏「もうおれは登れないんだ、半年前に落
 下して頚椎症なんだ。本間も娘さんのアレ
 ルギーがあるんなら、もう登って巣を潰す
 ものがいないんだよ。だからもういいだろ
 う鶚一匹ぐらい死んだって」
雨が強くなってどのみち登れなくなる。
重氏Aside「また雨じゃないか」
みゅうAside「良かったこれで登れないわ」
本間Aside「でも5週までまだ一週間あるな」
重氏「俺は今日広島に帰るし鶚はほっとけ」
本間Aside「でも重さんがこのまま見捨てて帰ってしまうとはとても思えないぜ」

○ 水族館駅 (10月31日午後6時前)
改札に入っていく重氏と本間。改札の外で見送るみゅうに売店の婦人が話しかける。
婦人「椿あった?水族館まで行ったって?」
みゅう「ええ、ハーバーでも聞いたけど…」
本間「これさっきの。最後のビシャコです」
本間が重氏に渡す。駅長が改札に現れる
重氏「駅長!」

○ 回想国鉄宮島桟橋駅長室(25年前二月)
若い重氏(33)と国鉄宮島桟橋駅駅長。
早期退職勧告の掲示に民営化反対の書込。
重氏「東京の浜急で雇ってくれそうだって」
駅長「お前じゃなくたって定年間際のモンが
 いるよ。お前は組合でもはぐれモンだった
 から民営化されても排除されないよ」
重氏Aside「孫四郎さんはあと三ヶ月で25年の
 功績賞なんだ。お嬢さん恵子さんの結婚式
 にはバッジして出たいって言ってたんだ」

○ 回想 国鉄 宮島桟橋駅沖のボート
(数日後25年前二月 退職話の数日後)
重氏と孫四郎が舟の上で。曇り空。
重氏「なんで潰すんですか、早すぎでしょ」
孫四郎「本当は俺が退職するんだったのに、
 お前が俺の代わりにここ辞めるって言うか
 ら。俺はとっくに登れないんだよ。お前が
 いなくなると誰も手入れできなくなって、
 ばい菌が繁殖して鶚が死んじまうんだろ」
孫四郎が爪切で針金をとがらしている。
重氏「誰か鶚が死ぬとこを見たんですか」
孫四郎「さあ。ただ俺もそう教わった」
  重氏がビシャコ鮨を捕って巣に針金を数本打ち込んで木から降りてきて鮨を渡す。
重氏「あと一箇所つぶして全部です」
  雨が強くなり
孫四郎「松が滑って危ない。終わりにしよ」重氏「鶚は?俺もう今日夕方出発なんです」
孫四郎「鶚の一匹や二匹いいだろ。ほら」
  ビシャコ鮨と爪切りを重氏に渡す孫四郎。
重氏Aside「なんだいいのかよ見殺しで」

○ 回想 浜急水族館駅 (25年前3月末)
若い重氏と浜急水族館駅駅長
駅長「希望は?」
重氏「何でもやりますので」
駅長「とりあえずホームの仕事しててくれ」

○ 回想 同駅(一週間後25年前4月夕方)
  重氏、駅員A、駅員B。白塗りの変電所の鉄塔に巣くった大きな鳥の巣を見上げ。
駅員A「こいつなんかには無理ですよ。先週
 定年でやめてった国鉄の前任の爺さんなん
 か一年間ホームの掃除以外しなかったし」
重氏Aside「あんたらがさせなかったんだろ」
重氏「鉄塔から追い払うだけでいいんすか」
重氏Aside「神奈川にも鶚がいるのか」
駅員A「国鉄、お前にできるのか。殺したり
 するとそこの水族館の先生がうるせえぞ」
駅員B「登ってったってあの爪で前と後から
 顔をめがけて飛んできやがるんだ」
山茶花の木から松の木を伝い柵の中に入る。爪切りで針金を尖らして鉄のバケツを頭から被り鉄塔を登って巣の真下から針金を数本巣に串刺して降りてくる。巣の周りから飛び去る鶚。ほんの数分の事。
駅員たち「どうやったんだ?」
重氏「鶚は銀色に光るもの特に針金は大嫌い
 みたいなんです」
駅員A「よし、これで電気不良解消ですね」

○ 回想 浜急水族館駅ホーム(同日夜7時
  掃除をしている重氏、駅員Aが近寄って
駅員A「駅長がそこ終わったら来いって」

○ 回想 浜急水族館駅(同日夜7時)
  駅長の机のまえで重氏と駅長。
駅長「お前いつまでホームの仕事ばかりやっ
 てんだ。今日はあとトイレの掃除して上がれ。今月はトイレ当番だからな」
重氏Aside「トイレだぁ。馬鹿にしやがって」
駅長「それから、明日から改札だ。国鉄ではどうだかしらねえが、お客の手を引っかかないように爪はちゃんとしとけよ」
重氏Aside「今までだって手入れしてたさ」
と爪切りをポケットで握り締める。

○ 回想 浜急駅当直室(同日夜7時)
トイレ掃除を済ませ当直室に入る本間。
重氏Aside「やっと格上げかよ、まるで鶚のお
 かげみたいじゃんか」
すでに二人の同僚がビールを用意してる。
駅員A「駅長が実家から持ってきた黒鮑だよ。
 今月はお前がトイレ番で、今日やるってオ
 ヤッサンが急に言うから…早く手を洗えよ。
 トイレ番が座らないと始められないぜ」
駅員B「今日のトイレ番は、オヤッサンが鮑
 をお前にってわざわざ今持ってきたんだ」
重氏「いただきます。うーん」
駅員A「この辺じゃ黒鮑も白鮑も区別しない
 けど、刺身は本鮑、本物の黒、黒鮑だよな。
 重氏、同い年なんだからため口で話せよ」
重氏「うーん。う、うめえ…」
駅員A「だろ、やっぱり鮑は黒だよな」
言葉に詰まる重氏。不意に駅長が来る。
重氏「駅長、明日から一生懸命やります」
駅長「重氏、奥さんから電話だ。広島の孫四
 郎さんて人が転落事故で危篤だそうだ」

○ 回想 広島の葬式(25年前4月10日)
重氏が焼香で供えられたビシャコをしげしげと見ていると孫四郎の奥さんが
奥さん「恵子が好きだから結婚前にって獲り
 に行ったのよ。ここんとこ一週間ずっと雨
 続きでやっと雨が上がったからって滑り易
 いのに。ホント馬鹿なんだから。死んだら
 ビシャコも結婚式もないじゃない」

○ 回想 厳島の森の中。(同日午後)
重氏が喪服のまま木の下に一人で来る。
重氏「こ、ここは!最初に孫四郎さんを見つ
 けたとこだ」
散乱している巣と針金。新しい爪切り。
重氏「うっ!針金じゃねえか。違うんだ、孫
 四郎さんは俺が壊せなかった巣をあんな体
 で潰しにいったんだ。やっと雨が上がった
 から夕闇に紛(まぎ)れ。鶚が菌にやられる前に」
厳島を振り返って鶚が舞うのを見ながら
重氏「孫四郎さん、ごめん。あんた腰抜けなんかじゃなかったんだ」

○ 浜急駅ホーム(10月31日午後7時06分)
重氏、本間。駅長(駅員A)が改札に現れる。重氏の顔色が変わり振り返る本間。
本間「駅長わざわざ残ってたんですか?」
重氏「駅長!」
駅長「重氏!」
婦人が手提げに入れた山茶花を数本渡す。
婦人「重氏さんビシャコの森の山茶花よ」
みゅうAside「えっ?山茶花って」
駅長「バカ野郎。とっとと辞めやがって」
  改札の外にみゅう。改札の外で何かを待っている様な駅長。漁港から漁網に20個ほど入った鮑が届く。本間も出てきて
本間「二人はおない年なんだよ」
駅長「オヤッサンぼけたか?重氏は首を痛め
 てるから本鮑の黒を二個って言ったのに」
針金でよられて閉じてあかない漁網。
  売店のはさみは漁網に歯が立たない。重
  氏がホームから来て針金を切る。
本間Aside「うっ爪切り。まだ持ってんのか」
駅長が鮑を渡すと出て行く快速電車。
本間「重氏さんホントに帰っちまったな。ビ
 シャコの巣もそのままで…」
みゅうAside「でも爪切りは持ったままだし、
 重氏さんこのまま大人しく帰るのかしら」
恐る恐る聞くみゅう。
みゅう「あの…その山茶花…」
婦人「山茶花なら森の鉄塔の周りにあるよ」
みゅう「野生のものがなぜあんなところに」
婦人は残りの一本の花をみせる。
婦人「電車を引くための電気鉄塔建てるって
 35年ほど前に私んちが立ち退いたのよ。今
 じゃ携帯の鉄塔だけど」
みゅうAside「椿じゃなくて山茶花じゃないの。
 違うぞ茨。出発に間に合うように雨の間に
 採りに行って花は全部切っちゃったのね」
みゅう「本間さん山茶花があるのがはっきり
 したんだからもう森には行きませんよね」

○ 高速玉川料金所 みゅうの車
(翌日10月31日の土曜日午後7時30分)
  玉川料金所を通過したときに携帯がなる。
みゅう「みっくん!」
料金所の駐車スペースに車を停める。
みっく「今大丈夫、ずっと圏外だったけど」
みゅう「えっ?大丈夫よ」
みっく「火曜に帰るんだ。明日会えるかい」
  携帯を見ると16-18時までの間に4回はみっくん、一回は茨から電話があった。
みゅう「お誘いなら予定入れちゃったよー」
茨留守電「椿以外の廃屋の山茶花にも…」
みゅう「これだけっ?しかも遅いぞ!茨!」
  着歴は丁度、森にいた時間。
みゅう「もうっ、あそこの携帯の電波鉄塔ビ
 シャコの巣で役にたたないんじゃないの」

○ ファッションビルP3駐車場みゅうの車
(11月1日 日曜日午前10時5分)
  みゅうが運転し、助手席にみっくん。みゅうの赤い自動車と全く同じ形の白い自動車が地下駐車場に一台だけとまってる。
みゅうAside「うっ、茨、ここは10時からしか
 開いてないのに朝一で何してんの?こっち
 は昨日雨の中散々椿を探し回ってたのよ」
みゅうが見つけ思わず無意識に横に停めてしまう。車を降りる二人。
みっく「色違いじゃん」
みゅう「う、うん」
  
○ ファッションビルP2前の繁華街の坂道
(同日10時25分)
みゅうが坂道の頂上(P2の前)で呼ぶ。
みゅう「早くおいでよ」
  坂の途中の信号に引っかかるみっくん。
茨がブレザー姿でもう一本の坂道を来る。
みゅうAside「茨?。車があったから不思議じゃないけど、教会から出てこなかった?」  
  みっくんを残し駆け寄り茨の肘に指先で触れる。黄色い袋の中の楽譜集を隠す茨。
みゅう「センセ」
茨「外では先生って言うなって」
みゅうAside「またブレザー。賛美歌6:17?」
みゅう「電話くれたんですね。ビシャコの巣が携帯の電波鉄塔にあって、留守電も聞けなくてお陰で椿を探し回ったんですからね」
  教会からエリコ(22)が茨に駆け寄る。
エリコ「もう半だから礼拝始めますって」
みゅうAside「うわ、きれいな娘(こ)」
茨 「P3の車に行けば楽譜があるから」
  手を下ろすみゅう。小雨が降り出す
みゅう「お急ぎのところ呼止て御免なさい」
エリコ「私暗譜してるので私のを使って」
  戻る茨とエリコ。眼だけで挨拶する茨。
  指でさよならするみゅう。みっくんが来る。茨とエリコを見つめるみっくん。
みっく「みゅうより目立つ娘(こ)っているのか」みゅう「あと三時間だよ」
笑いながら言うみゅう。
みゅう「明後日もし雨だったら送ってく」

○ 浜島翼公園駐車場 みゅうの車の中   (11月3日休日 火曜日午前10時15分)
  雨でみっくんとみゅうの乗る車だけ。
サンドイッチを出そうとトートバッグの中でCDに触れカーオーディオに入れる。
みっく「クリスマス過ぎたら帰って来るよ」
みゅう「うん」
みっくAside「憶えてないか。4年前だし」
○ 回想 同駐車場のみゅうの車(4年前)
高校卒業した二人が座る同じ場所。雨。 
みっく「大先生がウィーンで待ってるんだ」
みゅう「遊びに行ってもいいよね」
みっく「大丈夫クリスマスには帰れるから」
○ 浜島の駐車場のみゅうの車     (11月3日休日 火曜日午前11時15分)
みゅうとみっくん。
カーオーディオ みゅうのMC「モーツァル
 ト幻想曲から、先生無理なさらずにね」
音源は金曜もらった大先生の幻想曲
みっくAside「うっ、じじいの幻想曲」
みゅう「ゴメンね本選も応援いけなくて。こ
 の音源、金曜日に大先生にもらったの」
みゅうは言い訳するようにFMに変える。
FM「…隆さんはウィーン留学中で今回が初め
 てで3位の楽コン入賞です。曲はモー…」
偶然に流れる自分の演奏を消すみっくん。
みゅう「ホントにごめんね」
みっく「爺の復活演奏会のほうが大切だよ」
みゅうAside「応援行けてたら優勝したよね」
みっく「一昨日の人が茨先生?」
みゅう「ウン。週一のバイトの先生なの」
トートバッグからサンドイッチを出す。
カーオーディオから再び幻想曲。急いで跳ばそうとするみゅう。サンドイッチに伸ばしたみっくんの手と触れ膝が汚れる。
みゅう「ごめんこの後ずっと飛行機なのに」
みゅうMC「次は幻想曲の続きでピアノソナタ14番ハ短調。先生がんばって」
○ インサート 大先生に微笑むみゅう
みっくAside「じじい。しっかりみゅうのために弾いてるじゃんか。完全に元通りだ。さすが。やっぱりみゅうは皆に勇気をくれるよ」
雨の中ハンカチを濡らしてくるみゅう。  
みっく「ホントにありがとう。みゅう。85の
 爺さんを治して元通り元気にしてくれて」
みゅう「いつも雨だよね」
みっくAside「憶えてたのか…四年の間も」
○ 回想 同駐車場のみゅうの車(4年前)
みっくん、みゅう。高校卒業の二人。
みっく「クリスマスには帰れるから」
  雨の中最後のキス。
○ 浜島の駐車場のみゅうの車
(11月3日休日 火曜日午前11時15分)
みっく「クリスマス過ぎたら帰れるんだ」
  ズボンの膝のマスタードをこすりながら
みゅう「また4年間かしら?」
  膝に近づけたみゅうの頭をしばらく抱きしめたまま、キスできないみっくん。
みっく「必ず帰るよ。キスはそれからだ」

○ 東京国際空港 出発降車場(午後1時)
  みっくんを車から見送るみゅう。
みっく「必ずクリスマス過ぎに帰るから」
みゅう「お正月までは待ってないからね」

○ みゅうの家(同日午後3時)
みゅうが帰ると母がリビングで箱を開け、
母「本間さんて方から。病院に届いたって。
 これ鮒鮨の卵が唐墨になってるじゃない」
みゅう「ビシャコはボラの卵だから。鮒鮨と
 唐墨ね。茨に持ってったげようかしら」

○ 外来ブース1(11月6日金曜午前8時)
登院した私服の茨にみゅうが結果を見せ、
みゅう「本間さん、黒鮑ならOKだそうです」
○ インサートPC画面クリンセーバー
「今夜雨が上り明日は1週間ぶりの晴」
みゅうAside「雨が上がっちゃうの?」
みゅう「頚椎症ってどんな病気なんですか」
茨 「脊椎が細くなってるのでわずかな頭部
 外傷で首が屈曲進展するだけでも脊髄が圧
 迫されて四肢麻痺が出たりするんだよ」
みゅう「椿を探しに行ったら頚椎症なのに金
 網を越えて電波塔の巣を潰そうとしてる人
 までいて。本間さんのお嬢さんのアレルギ
 ーのことを知って登ろうと、結局雨で登れ
 なくなったけど。だから雨がやんで松が乾
 たら本間さんが登っちゃいそうなんです」
茨 「椿は?」
みゅう「山茶花が巣の下の藪にありました」
茨 「じゃあもう近づけないよ本間さんは」
みゅう「5週間放置すると鶚が死ぬって」
茨 「俺は鳩とか鶚のことはわからないよ」

○ 外来ブース1(同日午前8時45分)
  茨とみゅう。外来開始前に女子事務員の青木とアキが来て発疹の右手の掌を出す。
茨 「デビッドに?蛾の棘がついてたの?」
青木「撫でてたのは右手の掌だけだから」
 
○ 外来ブース1(同日午後1時45分) 
  みゅうが昼食から戻り、タッパを出して、
みゅう「センセお昼まだでしょ。これ本間さ
 んから頂いたビシャコ鮨です」
茨 「この唐墨、今、炙ってきてくれたの」
みゅうは見破られ、うなづき眼をそらす。
  ×   ×   ×
午後一番で本間と妻が入ってくる。
茨 「ビシャコ有難うございました。鮑アレルギーは+ですが黒鮑では出てません」
本間「じゃあ黒鮑なら食べていいんですね」
茨 「ええ、それからお嬢さんですが」
本間「もう森へは行きません」
みゅうAside「なんだ。良かったじゃない」
本間「あと近所にも山茶花がありまして心配
 なので、アナフィラキシー予防の注射があ
 るそうなので持たせたいんですが」
茨 「処方しますよ。処方の資格登録してな
 いと誰でもできるものではないんですが」
首を横に振るみゅう
みゅうAside「近所の山茶花用なんかじゃない。
 絶対ビシャコの森の山茶花用に決まってる
 わ。処方しちゃだめよ」
茨 「私は医療以外で関わるのは大嫌いだし
 鶚がどうなのか全く興味ありません。ただ
 …、こんな処方で解決するんでしょうか」
本間「…そうですよね」
みゅうAside「そうよ、問題は重氏さん自身が
 自分で行こうとしていることなんだから」
茨 「家に持ち込んだものをもう一度気にし
 てみて下さい。蛾の死骸に触れた犬を娘さ
 んが撫でてるんじゃないかと思うんです」
  帰っていく本間夫妻。
みゅう「犬が原因なんですか?」
茨 「三叉神経痛の人は頬への刺激で痛みが
 誘発されるんだけど犬や枕に頬擦りして発
 作が出た人がいたんだ。頬と手の平だけだ
 なんてこんな付き方は枕か犬に付いた毒棘
 を頬擦りしたとしか思いつかないんだ」
○インサート みゅうが自宅の村上に頬擦り
  井村が入ってくる。頬から口に発疹。
井村「すみません、外来始まってるのに」
みゅう「井村さんデビッドに触ったでしょ」井村「触ってないよ」
みゅう「青木さんはデビッドでなったって」
井村「触ってないってば、しつこいなぁ」
みゅう「じゃあ青木さん呼んできていい?」井村「う、ごめん、もう口移ししないから」
みゅうAside「やっぱり犬についた毒棘よね」

○ O病院外来(11月6日金午後5時)
  最後の患者が出て行く。みゅうと茨。
みゅう「そういえば先生さすがですね、ボス
 ミン注の処方資格もあるなんて」
茨 「登録は署名でOKだけどしてないよ」
みゅう「えー!」
茨 「彼だってわかってたじゃないか。その
 人は行かなきゃ終わらないんだ」
陽がさし明るくなってくる夕焼けの夕方。
みゅう「ああ、雨が上がっちゃうわ」
みゅうAside「先生らしくないわよ…そんなの。
 ねえまた私が行かなくちゃいけないの?そ
 れに私が行って何とかできるのかしら?」

○ O病院裏の生垣(11月6日金午後6時)
みゅうの携帯がなって立ち止まる。電話の声にダビッドが生垣の下から顔を出す。
みっくん「明日ソウルから一旦羽田に寄ってからウィーンに帰ることになったんだ」
みゅう「明日は雨が…」
みっくん「雨が降ったらだめなの?」
みゅう「逆なの雨が上がっちゃうの…」
みっく「クリスマス前だけど翼公園にいる」
  しゃがみこんでダビッドとじゃれる。
みゅうAside「森には行かなくてもいいよね」
山茶花にクモの巣で付いた蛾の体が揺る。
みゅう「これね井村さん達が迷惑してたの」
  
○ 水族館駅近くのみゅうの車
(11月7日土曜日午後3時45分) 
  雨上がり。一人で運転するみゅう。森の横まで来ると電波が悪くなってくる。
みゅう「悪いってことはまだ潰してないね」
移動して113に電話して確認する。
みゅう「水族館で携帯が繋がらないんです」
故障係「そちらはまだ復旧しておりません」
  即答する電話の係員に
みゅう「すみません、お手数ですが今現在の
 状態を確認していただきたいんですが」
故障係「つい今しがた確認して、保全からお
 電話したお客様がいた所ですので新しい状
 況です。そちら様へも保全から連絡させま
 すが。いつお伺いできるか」
みゅう「い、いえけっこうです」
みゅうAside「まだ巣は潰してないのね、やっ
 ぱり苦情も出てるんだ。でも使えない訳を
 知ってるなんて保全係にいえないわよね」
鶚が雨上がりに森から海へと飛んでいく。  

○ 回想 O病院ロッカー室
(11月7日土曜日午後1時45分) 
  帰り支度のみゅう。サンドイッチの包み。
アキ「青木さんが電話だって」
ロッカー室の電話に出るみゅう。
本間「重氏さんのお宅から駅に電話があって、
 急に水族館駅に行くと広島を出たって」
みゅう「本間さんが巣を潰してた時やっぱり俺が潰さなきゃって言ってらしたわ」
本間「昼前の天気予報見てたら急にだって」
みゅうAside「今日潰しに来るってこと?」
本間「俺は4時まで当直でいなきゃいけないんだよ。もし明るいうちに登るようならとめといてくれ。体が空き次第、俺も行くから」
みゅうAside「俺が行くって、あなたも来ちゃだめでしょ。大体なんであたしが行くってことになったような口ぶりなのよ」
お弁当の入ったトートバッグを見てると、
○ 回想 水族館近くの森(先週土曜日)
重氏「俺が本物かどうか試されるって事か」
○ 回想 O病院(11月6日金午後5時)
茨 「その人は行かなきゃ終わらないんだ」
○ O病院 ロッカー(11月7日土曜日午後1時45分)
みゅうが電話を取り出す。
みゅう「みっくん、ほんとにごめんね」
ピンクの白衣を着なおして出て行く。

○ 水族館駅近くのハーバー(アニボーシ)駐車場(11月7日土曜日午後3時50分)
  みゅうがクルマを降り立ち、森に向う。
みゅうAside「この人たち頭おかしいわよ。こ
 の鶚って何なのよ。一人は転んだら四肢麻
 痺で一人は娘がアナフィラキシで呼吸困難
 だってのにそれでも向かって来るなんて」

○ 大学北病院(11月7日土曜日午後4時)
  茨が駐車場で雨上がりの山茶花を見て
茨Aside「今日の夕方だろ、浜島で3メートル
 飛び降りたあのこなら鉄塔にも登るよな」
○ 回想 浜島つばさ公園(先週土曜日)
みゅうが3mの堤防から砂浜に飛び降りる。
○ 大学北病院(11月7日土曜日午後4時)
電話するが留守電。考えて再度電話。
茨「これ以上気持がひかれちゃまずいのに」
  
○ 水族館駅近くの森鉄塔下
(11月7日土曜日午後4時50分) 
待ち構えているみゅう。上から不意に重氏の声。バケツ姿で木に登っている重氏。
重氏「そんな格好で来て、登ろうと思ってる
 だろ。暗くならないと鶚にやられるぜ」
みゅうAside「重氏さん!今度転倒したらもっ
 と重症の後遺症が出るって。大体もう力が
 入らなくてそれ以上登れないんじゃない」
重氏「明日俺が帰るって時に鶚がアレルギー
 を出して本間を近づけなくしやがって…」
  自分に言うように巣を見上げて。
重氏「俺を呼んでたんだよきっと。俺が本物
 だったか、偽者だったか鶚に試されてるん
 だ。ビシャコをやる資格があったかどうか。
 これだったんだ。今度は本当に判ったよ」
○回想 広島厳島森の中(25年前葬式の後)
金属のバケツを拾って重氏が立ち尽くす。
重氏「違うんだ孫四郎さんは自分で潰しにい
 ったんだ。あんたやっぱり本物だったんだ
○ 水族館駅近くの森鉄塔下
(11月7日土曜日午後4時50分) 
重氏とみゅう
重氏「最後の最後がこの鉄塔だなんて」
みゅう「私が登るから。お願い、降りて」
重氏「俺を見つけてくれた本間にビシャコを
 伝える事が俺の役割だと思ってたけど違っ
 てたんだよ。自分で俺のビシャコを終わり
 にすることが最後の俺の役目だったんだ」
  手が痺れ思うように動かず片手でバケツをずらし上を見ることができない。苛立ちバケツを放り投げる。バケツを拾うみゅう。バケツの中のクモの巣で付いたゴミを見つめる。本間が走って現れる。
みゅう「本間さんこれ蛾の死骸の一部よ。こ
 のバケツをお家に持って帰ったことは?」
本間「うっ、確かに7月と10月24日だ」
みゅう「きっとこのバケツにビシャコを入れ
 てもって帰ったときだけ犬がここに首を突
 っ込んで棘が付いたんですよ」
本間「重さん、もう大丈夫ですよ。俺が潰せ
 るんだ。ビシャコを入れてたバケツの内側
 にくもの巣で蛾の死骸がついてたんです」
みゅう「死骸があったからアレルギーの元も
 はっきりしたわ。もう本間さんに登って巣
 を潰してもらえますよ」
重氏「そんなことはどうでもいいのさ」
みゅう「えっ?」
重氏「この俺が潰さなきゃいけないんだよ」
再び登り始めるが手が痺れる重氏。
重氏Aside「孫四郎さんこれで俺が持ってたあ
 んたの記憶や鶚への気持ちを一部だけでも
 伝えることができたですか?俺は黒に、本
 物になれるのか、それとも白のままか」
  鶚の啼く声がどこからともなく一声響く。
みゅうAside「もーホントにバカなんだからこ
 の人たちは、もー。重氏さん落ちたらどう
 すんのよ。ちょっと本間なんとかしろっ。
 助けてよっ、茨!」
  みゅうと本間が重氏を受け止めようと近づく足音に鉄塔の金網の扉が開いて二人のヘルメットの男が現れる。
NTT①「電話してくれた加藤さんですか?」
みゅう「えっ」
NTT①「保全に電話されました?」
みゅう「えっ、いえ…」
NTT②「あんたたちか、鳥を殺さずにすぐに追
 っ払ってくれるっていうのは?」
NTT①「ほんとにすぐにやってくれるんです
 か?水族館から紹介された大学の研究室は
 来年の1月まで生態調査してからだって困
 ってたんだ。あなたが加藤さんですか」
みゅう「ハイ」
×   ×   ×
  二つ目の内側の扉が開けられ重氏が梯子を登って鉄塔の巣にハリガネを打ち込む。
  飛び去る鶚。肩の力が抜けるみゅう。
みゅうAside「携帯で私の名前が判ったの?」
巣を撤去する保全職員。
みゅうAside「私の前に連絡してた人って…」
NTT①「いや、助かった。電波強度、良好。」
みゅうAside「茨ねっ、またっ。今日雨上がっ
 たから重さん夕闇に来るって知ってて。私
 につながらないから巣は壊してないだろう
 って保全に電話したのねしかも私の名で」
○ 回想 外来ブース1(昨日午後5時) 
茨 「彼だってわかってたじゃないか。その
 人は行かなきゃ終わらないんだ」
みゅうAside「先生らしくないわよそんなの」
○ 水族館駅近くの森
(11月7日土曜日午後4時50分) 
みゅう「どうしていつもこんな意地悪な助け
 方なのー?いくらプライベートには関わら
 ないっていったって直接来てくれたって。
 さっきは本当にだめだと思ったんだから」
  みゅうが茨に電話をかけるが圏外。
NTT①「電波鉄塔の真下は電波強度ゼロだよ」
鉄塔の上からNTTの二人が呼んでいる。
鉄塔に登っていくみゅう。本間も続く。
茨の携帯は留守電。と、みゅうの留守電が点滅。森の向こうに光る海と影富士。
重氏「あんたが電話してくれたのか?俺に本
 物よって言ってくれたのか?」
みゅう「え、いえ、ハイ」
本間「重さんまだ時間あるでしょ。重さんが
 来るって駅長が先週の鮑を用意してんだ」
重氏「お前、アレルギー治ったのか?」
本間「いやでも黒鮑ならOKだったんです」
みゅう「うーんやっぱり何とかなったのね」
重氏「この辺は黒鮑も白鮑も区別しないが」
本間「でも刺身はやっぱ黒の本鮑ですよね」
爪切りを渡す重氏。
  みゅうが携帯の留守電を聞く。
留守電4:05「これを聞いてるときは全部終わ
 った時だろうけど、君に繋がらないから、
 誰でも鉄塔に登れるよう電話したよ」
  一週間して咲き誇っている山茶花。
みゅう「遅いぞっ、茨。…これからあの人と
 い る限りずっとこうなんだよね」
1

 飛んでる鶚も黒と白だね

撤去した瞬間携帯がつながり茨のメール
留守電

呪われてもやってくと本間
ビシャコあげるとみゅうが
なぜか前から黒と白

みゅうAside「呪いも打ち破れて重氏さんも生きてるし、鶚も伝承されたし、鮑もokだし。やっぱりこうなるの」


茨 「彼だってわかってたじゃないか。その
 人は行かなきゃ終わらないんだ」


この呼び名は羽の水を切る音で鶚をびしゃこと訛ったとされる。しかしこの鮨自体














   城南風(じょうなんふう)
    
    症例5:黒と白


 




















枚数 55








一日百人近い患者を診ている中でも、治療困難な症例を見逃さずにわずかな異常をも発見し、原因を追求治療していく医師茨35歳。
これまでは一人ですべてを解決している茨だったが四ヶ月前から外来クラークとしてみゅう22才がやってきてからは、症例はむしろスムーズに解決していく。①妖精オンディーヌ②大巡礼③奇跡の血涙④見つめる眼。と続く今回は二人で扱う5例目の困難症例: 黒と白。みゅうはただ単なる事務員として多くの医者と接しているのだが、普通の医者とはどこか違う茨にいやいやながらひかれている。   
第四話ではとうとう幼馴染のみっくんの音楽コンクール本戦をも振りきってしまった。今日も普通を装う患者の中に混じって治療困難な男性がやってきた。半年前から出た鮑アレルギー。前の病院二件でも相手にされず。男はミサゴ(鶚)という2mの鳥が捕るボラが巣で自然発酵してできる鶚鮨を捕る技を受け継ごうとしていた。この鳥は一ヶ月放置されるとボラに付くバイ菌で死ぬという不思議な性質を持っていた。男はこの鮨をとりに巣に行く時に浴びた蛾の毒棘で娘が重症アレルギーになり再度来院した。娘のアレルギーにもかかわらず、巣を潰さないと菌のため死ぬという鶚を救うために毒蛾のいる森に行く男。みゅうは男を止めに行くが、そこには鶚鮨を伝えた職場の先輩重氏がいた。重氏は男の娘のアレルギーを聞き転落の危険も省みずみゅうたちに隠れて巣をつぶしに巣のある森の電波塔に向う。ウィーンに向う帰途ソウルから羽田に引き返すみっくんの気持ちを尻目に電波塔に向うみゅう。茨の診察で毒棘は男の自宅の犬が原因とわかり自分が登ると言って重氏を制止する男だが、重氏は頑なに登ろうとする。握力が落ち危いという時に電波塔の柵が開き中から保全職員が現れた。茨が巣を撤去できるから柵を開錠するように電話していたのだ。巣は無事撤去され鶚も救われたが茨へ傾く気持ちを認めがたいみゅうだった。




   城南風(じょうなんふう)
    
    症例5:黒と白


 






















頭痛がひどくなり外出もできない女のために、一年近く滞在したアラブから急遽帰国し病院に付き添ってきたイスラム教徒の男は、友人以上の好意を持っているのだが彼女の兄を肝炎にした負い目を感じていた。病院に来るなり女は一過性全健忘という病気に見舞われ混迷状態になってしまう。午後から学会でいなくなった脳外科医に代わって診療を開始した茨だが、女は軽快するどころか熱発し髄膜炎と思われる病状に陥る。転院を試みる茨だがアラブから帰ってきた男は一年前に参加した大巡礼で劇症型髄膜炎の原因菌を保菌している可能性があり、救急指令センターはオープンに一時間かかる感染ユニットでしか受け入れられないという。渋る婦長を説得し夕方5時過ぎから始めた腰椎穿刺では女は髄膜炎ではなかった。安心するみゅうをしりめに、茨は女の意識改善に打つ手がないことに困窮の表情を浮かべるが、女は記憶を回復する。そうとは知らない男は障害が残っても一生みさせてくれという申し出をする。正気の女は快諾し頭痛も全快する。前回に続き茨に惹かれるみゅうだが第二話にして茨もみゅうに引かれていく。しかしどこかかみ合わない二人の行方は。
登場人物

みゅう(加藤英利華かとうえりか)(22)
茨(35)    内科医

浜急駅員 本間(32)

浜急駅員 重氏(58)

国鉄宮島桟橋駅国鉄員 孫四郎(59)

国鉄宮島桟橋駅駅長

浜急の駅長(駅員A)(58)
浜急の駅員B
 
本間の妻
本間の娘


浜急駅売店の女

NTTの保全部員1
NTTの保全部員2
男(グレープフルーツアレルギーの男)
  
同僚クラーク 水谷アキ(21)
医事課男 井村
医事課の女 青木


みゅうの母
みゅうの犬(村上)


タイトル:   城南風(じょうなんふう)

全くありきたりの一話完結医療ものドラマ

主人公は35歳医師と22歳医療秘書(外来クラーク)の日常(ほとんど診察室場面のみ)

一話完結で進んでいくが、二人の関係が徐々に近づいていく
(セックス、レイプ、ドラッグ、いじめ、殺人全くなし)

茨(35歳)は12年目の脳外科医だったが、1年前仕事中に肝炎にかかったため脳外科をやめて大学病院の病理医となり、大学病院の薄給を補うために週一度みゅう(22歳)のおじの病院に内科医としてアルバイトし生活をしている。みゅう(22歳)は四大卒業後おじに誘われて事務員として3ヶ月の研修後病院に就職した。毎回毎回、生死が切迫してはいないが本当に病気を持っているにもかかわらず見逃されて苦悩している患者を茨は当然のように治療していく。他の医師とはどこか違う茨に次第に引かれていくみゅうだったが


第3話にしてお決まりのパターン展開。初恋の相手(同級生みっくん)がオーストリアから楽コンのため帰国し二人は偶然再会する。みっくんにひかれるみゅうであったが、

第四話で初めて茨とプライベート(京浜島)で過ごすと、患者には物静かに優しい(クールで人間的)のだが、プライベートは明るく快活な感じの茨に再びひかれだす。

第五話では茨のことが気にかかり帰国するみっくんをそのまま見送ってしまう。

第六話七話と、茨にとてもひかれるみゅうだったが、反対に茨は、自分が肝炎になっていることから、将来のある年下の若くて健康的なみゅうに抱いている自分の好意を封印することを、すでに決めていた。

第七話ではみゅうは、茨がみゅうには明かしていない病気を肝炎であると知るが、肝炎の原因となった不幸な不運な事件を全く気に掛けない茨をみて、茨への思いは逆に強まっていく。

第八話にしてみゅうが強く自分に寄せる好意に気がつく茨だが、無邪気に明るく熱く寄せる好意に対して、自分は病気から回復したばかりで12歳も年上でありふさわしくなく、一緒には、なれないと柔らかに、しかしはっきりと断る。一方クリスマスを前にみっくんはみゅうのためだけにオーストリアから帰国してくるのだった。

第三話で茨を選んでいたみゅうは最終話でも茨のいる大学病院に知らず知らずのうちに足を向けてしまう。クリスマスのこの夜、急に訪れたみゅうから遠ざかろうと誰もいない大学病院の教室に消えていこうとする茨の背中にみゅうが言う。「私は肝炎だって先生を、…」みゅうには秘密にしていた病名に歩みを止める茨だが振り向かない。走りよるみゅうはその背中に再び、「それでも、それでも私は…」茨はその言葉をさえぎるように急に振り向き、みゅうを抱き寄せる。キスをする茨。きれいな大粒の涙のあふれだすみゅうに。「センセイ(先生)って呼ぶな」と、茨。微笑む二人。めでたし、めでたし。

第一話 症例1:妖精オンディーヌ
第二話 症例2:HAJJ(ハッジ:メッカ巡礼)
第三話 症例3:奇跡の血涙
第四話 症例4:見つめる眼(青春のはしゃぎ、鬼ごっこ、先生って呼ぶなよ)
第五話 症例5:白と黒
第六話 症例6:台風11号
第七話 症例7:和音の秘密
第八話 症例8:城南風(じょうなんふう)
第九話 最終話:それでもわたしは





登場人物
みゅう(加藤英利華かとうえりか)(22)
茨(35)    内科医

患者 橘田(37)
   橘田の内妻・上条(40)
   娘(5歳)
男1

   

みゅうの母
みゅうの姉加藤久美子(24)
みゅうの犬(村上)

みゅうのおじ 欣弥

婦長
同僚クラーク 水谷アキ(21)
医事課男 井村
医事課の女 青木

金魚店店主
リーマン